毎日丁寧に生きてこそ人に伝える言葉が出てくるのではないかと思った。
丁寧に生きるとは僕の中では一つ一つの行為や言葉に意識を向けるということだ。
そうやって生きることで、自分の中で新しい感覚や言葉が生まれてくるのではないかと思う。
感覚や言葉は経験することでしか生まれてこないのではないかと感じている。
もちろん外部から影響を受けて生まれるものもあるけど、中から湧いてくるものに関しては日々の中にこそあると思っている。
身近な行為の中で新しい感覚が得られたり、また今まで持っていた感覚が磨かれたりするのだと思う。
そう考えると最近の生活においてはただ忙しさにかまけて、惰性で過ごしている部分が多かったように思う。
外部からの刺激をたくさん自分の中に入れ込むことだけ。
それだけをひたすら繰り返していた。
それだけでもたしかに変化しているようには思える。
でもそれでいいのかと少しずつ感じるようになってきた。
特に感じるようになったのは、人に何かを伝えようと思った時だ。
人に何かを伝えようと思った時に外部から得られた情報をそのまま形を変えず、伝えても上手く伝わらないということがあったから。
自分の中で上手く消化できずに出したがために、情報だけが伝わり真意は伝わっていないと感じた。
体裁はいいけど中身が伴っていない。
言葉はそのままでも中身が伴わないということがあるのだと実感した。
それは日々において自分が実行できていないことを伝えても意味がないということにつながる。
だから日々丁寧に暮らし、少しの変化を感じながらそれを言語化して、自分の中で上手く消化していくことを繰り返すと変化が出てくるのかもしれない。
久しぶりに書くと気持ち良かった。
大丈夫きっと上手くいくよ。