4月に入った。
ヨガを始めて既に3カ月が過ぎたということ。
凄く早いような気もするし、まだ3カ月かと思う。
始めて3カ月だったら体の変化もこんなものかと納得いく。
まだまだ未熟な身体だと思う。
30代後半になって身体が未熟と言うのもおかしな言葉だとは思うけど、
本当に未熟。
身体が未熟と言うより感覚が未熟という感じか。
見た目ばかりが成熟して、中身は伴ってない。
身体の細部まで理解できてないと言うのか。
まあまだまだ学ぶことは多いということ。
発展途上ということにしておこう。
身体は磨けばまだまだ発展する可能性を残している。
それって何歳になっても可能な気もする。
身体は衰えていくかもしれないけど、感覚を研ぎ澄ますのはできそう。
身体の衰え=感覚の衰えとも言えるけど。
この年にして今まで動かなかったところが動くようになっているところを見ると、変化する可能性は残されているような気もする。
錯覚かもしれないけど。
そこがまた楽しいのかもしれない。
そして、動かないところが動くようになってくると身体に余裕が生まれ、
心にも余裕が生まれているような気もする。
生活全体に変化が起きている。
身体が変われば心が変わるとずっと思い続けてきたけど、その通りになっている。
もちろん心がきっかけとしては必要になるけど、そこから先は身体が変わらないと心の大きな変化と言うのは生まれないと思う。
決意を変えても何も変わらないって、大前研一さんがたしか言ってた。
変えるのは行動とか実際目に見える形が大事って。
心は形が無いものだから、どれだけ一生懸命変われと念じて、変わろう変わろうとしてても、目に見える形でなければ変わってないのと同じ。
目に見える形って身体に変化を起すと言うよりは、行動になるのかな。
日々の行動によって身体は形作られているから、行動が変化することで、身体が変わってくる。
そうなってくると感覚も一緒にもちろん変わるから、心にも変化が出てくる。
そうなってやっと、心の奥底のものが少しずつ動き出して、心が動き出すと、その動きに合わせて、心も変化するのではないかと思っている。
そう考えると、心が変われば、行動が変わる...という言葉はそのまま使った方がいいか。
心になんらかのきっかけがあって、行動が変わり、行動を積み重ねて行くことで、習慣が変わる、習慣が変わることによって、身体に変化が表れて、身体の変化により感覚が変わり、感覚によって心が変わっていく、そして心が変わることによって人格にも変化が現れ、最終的に運命が変わるのか。
すごく納得できる。
ようやく言葉の意味が分かったような気がする。
確かこの言葉は高校で野球をやっている時に野村監督が使っていた言葉として初めて聞いたと思う。表現の仕方はちょっと違ったような気もするけど。
それからずっと気になってて、少しは意識してきたつもりだったけど、ようやく今日。
というか今わかりました。
最初に出てくる心と言うのは心の奥底の変化を言っているのではなくて、きっかけと言うことかもしれない。人格の変化をあとで行っているので、行動を積み重ねて行くことで最終的に心の奥底まで変化するよと。
良かったなんか理解と言うより、体得出来た気がする。
朝から気持ちいい。
今日もヨガで気持ちよく身体を動かそう。
大丈夫きっと上手くいくよ。
恭平さんいつもありがとうございます。
また言葉使わせてもらっています。
最近は本当に気分が良い方を向いている感じがする。
言葉の大事さがだんだんと身に染みてきた。