いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

久しぶりの早起き、することもなく文章を書く。

今日はあまりにも早く起き過ぎたので、することがなく早朝からパソコンを開いてみた。

そう言えばブログを暫く書いていないなと思ってはてなブログのページを開く。

最後に記事を書いたのが、約2か月も前になっている。

そんなにもこの間に書くことがなかったのかと思い返してみる。

でもそんなこともなくて、結構充実していたと思う。

充実していると書かないのかもしれない。

前にも書いたけど、脳みその容量がオーバーになると書くのであって、そうでなければ比較的に平穏に暮らし、書こうという気にならないらしい。

その程度の文章に対しての熱量であるので、毎日書くというのは難しいらしい。

スゲー書きたい。と思っていたのは数年前。

あの時から比べると生活の充実度がやばい。

というよりも現状の生活に満足しているのかもしれない。

生活に満足するとそれ以上の生活を訴求することが無くなるから、逆に何もしなくなるのかもしれない。

ある種ブログを書くという行為は余白を与えないようにするための隙間を埋める行動なのかもしれないと思い始めている。

ということはこれからは書く頻度は圧倒的に減る可能性が高い。

と言っても今日書いているということは満足度とはあまり関係のないということを力説している可能性もある。

正直言って気分屋である自分がいつも同じ感情や同じ行動をするのは難しく、その時々の流れに乗ってやりたいことをやっているというのが実際な訳で、あまりこうだと決めつけすぎるのは自分の可能性を潰すことになるから止めておこうと思っていたのについつい社会性という謎の概念が時々出てくるのが怖いところ。

これは誰しもあるかもしれない。

自分の思うまま、特性のままに生きればいいのに、ふとなぜかその行動に対して疑問を抱くことがある。

その症状に何か名前があればいいのにと思う。

一回書いたかもしれないけど、何かで太宰治の作品かなんかで、「トカトントン」という短編があり。何かに熱中していても突然頭の中でトカトントンと鳴ると急に目の前の熱中していることから冷めてしまうというやつ。この文章を読んだときにまさにこれだと思ったのを思い出した。

だから、突然何の気になしに疑問をもつ症状を「トカトントン」と名付けることにしよう。

トカトントンは僕にはよく起こる。

それがなぜなのかはわからない。社会性という名の過去に押し付けられた概念かもしれないし、ただただ飽き性なのかもしれない。ただその瞬間に起こるのは「これをしたとて」という何とも言えない感情。虚しさというのかなんなのか。

その感情が湧いた時に「お前はもう死んでいる」ばりに感情が死んでいるというか、興味が死んでいる状態になる。

それでも30余年生きてきて、自分なりに少しずつ対処法も学んで来てはいるつもりで、おそらく過熱した時にその症状は出やすいのだと思う。

人によるかもしれないけど、何かに熱くなるというのは永遠に温度が上昇し続けるというのは無理で、上昇し続けた熱はいつかどこかで雲散霧消となる。

水が沸騰して、それ以上加熱した時に蒸気になって消えてしまうように、熱した気持ちも沸騰して、さらに加熱すると消えてしまうらしい。

だから急速に物事にのめり込むというのは、トカトントンのフラグがすでにそこで立ってしまっているとも言える。

とりあえず今わかっている唯一僕が分かっているトカトントン対処法は過熱を避けるということ。

そうすればある程度のところで、熱を保つことができその行為を長く続けることができる。

これが分かってないうちはやればやるほどどんどん好きになるのだと思っていたし、やればやるほど色々なものが見えてくるんだと勘違いしていた。

実際にはそうではなく、やればやるほど自分の限界やその対象の限界が勝手に見えるような気がして、「これをやったとて」という虚無感というのか絶望というのかが押し寄せてくる。

瞬間最大風速を出せるというのはある種の才能かもしれないが、それが燃え尽き症候群のような「トカトントン」を生み出してしまうのだと今のところ自分の中では結論付けている。

今改めて振り返って見ると人の感情というのは水の性質と似ているのかもしれない。

熱しすぎると蒸発するし、冷めきってしまうと固まるし、放っておくと自然と無くなっている。

感情や気持ちを水と例えると色々と納得いくことがある。

水は周囲の環境によって温かく感じる時もあれば冷たく感じることもある。

心も同じで環境の環境によっていかようにも変化する。

水は温度が違えば形状も異なるし、心にも形はない。

そうかこれは大発見かもしれない。

心は水か。

すごく面白い。

そう考えると心が変化するのは当たり前やし、急激に変化するのもわかる。

これは何かに使える。

いや使えない。

誰かにこのことを離すことって基本的にないから、ここで完結。

こういう話をどこかでするともっと自分が拡張できるのかもしれないけど、まあそれは今はいいかなと思っている。

この場で楽しめたら満足してしまう。

それが良いのかどうなのか。

今日はたまたま早く起きたから、書いたけどまた書くかどうかはわからない。

 

今日ほんとは一昨日に勉強した睡眠について書こうと思っていた。

ZOOMでのセミナーがあって、その内容が今まで勉強したこととちょっと違った視点での話で面白かった。

睡眠というものに焦点を当てるのはもちろん、睡眠そのものに対しての考え方が少し変わるような内容だった。

簡単に言うと自分に必要な睡眠が理解できているかということ。

ただ深い眠りだとか快適な眠りだとかということ自体も大事だけど、なぜ寝るのか、なぜ〇時間寝ないといけないのか、そもそも一般的に言われている睡眠時間というのはあなたにとって当てはまるのか。

睡眠と十把一絡げに言うが、世の中的に言われていることを鵜呑みにして、言われるままに寝てませんかと。

もっと主体的に捉えてどう眠ると自分に問って最適な眠りになるのかというのをもう一度考え直してみましょう。みたいな内容だったような気がする。

もっかい動画見直して整理して、自分なりの文章にまとめようと思っている。

この週末に。

なのでまたお目見えるする機会もあるかもしれないので、その時はまた宜しくお願い致します。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。でいつも締めてたけど今日から変えようかな。恭平さんが教えてくれた言葉やけどちょっとカッコよすぎるから。

それよりももっと相応しい言葉あるのではと考えて、

大丈夫、なんとかなる。に変えようと思う。

上手くいくかよりも何とかなる方が自分の場合には良いような気がするから。

 

大丈夫、なんとなかる。

うん、なんかしっくりくる。

親知らずの抜歯を終えての感想

こんなことに感想書く必要があるのかなとは思うけど、一応体験したこと残しておいた方が良いような気がして。

 

初日は午後2時に入院し、色々と看護師から問診され、食事時間やバイタル測定の時間など入院時の注意事項についての説明を受ける。

その後執刀医が翌日の手術に関して簡単に再度説明、オペ室看護師の問診、麻酔科医からの問診、夕食までベッド上で過ごす。

夕食後は特にすることがなく、19時台に看護師が来室されバイタル測定をして消灯時間の21時まで本を読んだりしながら、ベッド上で過ごす。21時以降は絶食。1日ほとんど動いてないので、眠りにつくまで時間がかかった。

 

2日目は朝7時ごろに看護師が来室され、バイタル測定。11時から手術があるので、麻酔のルート確保?のために8時から点滴開始。その後は絶飲食となる。

11時ちょっと前に看護師に連れられ、徒歩にて手術室まで行く。

手術室まではスタッフ専用のエレベーターにて行ったので、ちょっと特別感を感じながら少し緊張感が出てくる。

手術室に到着。到着すると昨日問診に来た手術室の看護師が待っておられ、氏名を確認された。

今回の入院で知ったのだけど、これほどまでに何回も本人確認をされるのだなと。

それだけ患者間違えがないように気を付けないと、間違えが起こりやすいのかと。確認される方は面倒と感じるけど、確認する方も一々面倒だろうなと思う。

 

高校時代に一度全身麻酔での手術を受けたけど、その時は元気だったのにもかかわらず、ストレッチャーでの移動だったので、周囲の状況が全然わからなかったけど、今回は徒歩にて自分が寝る手術台まで行ったので、周囲の状況を見ることができて面白かった。

普段見ることない場所を見られるというのは良い経験になる。

思った以上に手術室が多くてびっくりした、地方の病院なのでそんなにたくさんはないかと思ったけど、僕の確認できただけでも8つぐらいはあったように思う。

通路を看護師たちが忙しく歩きまわっていた。色々な機材も置いてあったように思う。

手術室は一番奥の手術室で、部屋に入るともちろんだがすでにすべて準備されており、物々しい雰囲気というか、あーこれからあそこに寝て手術するのかと思うと不思議な感じ。だって奥歯を2本抜くだけなのにという感覚がこの時もまだあった。

そんな軽い手術にもかかわらず、こんなしっかりとした手術室で、さっと見た感じではスタッフの方々が6人程度はいた。

看護師に連れられて、ベッドまで案内された。手術のベッドは思った以上に狭く、ストレッチャーとほぼ同じぐらいから。人の胴体がギリギリ乗るぐらいの大きさで腕ははみ出るので、腕を載せる台が横についていた。

その狭いベッドに寝かされると、心電図や酸素を計測する機械にそれぞれ繋がれ、名前と今日の手術内容に関して聞かれた。まだここに来ても患者の取り違えの可能性があるのかと思うとびっくりする。過去にあったからこそこうやって何度も確認するのか。

 

手術台に寝かされてから数分何もすることがなかったのだけど、その間にもスタッフの方々はいそいそと何やら準備をされたいた。

ここでも歯2本抜くだけなのにこれほどの方々に関わって頂いて有難いなと思った。

今から何時間かかるかわからないけど、僕のために数時間これほどの人が拘束されるのかと思うと人件費はいかほどかとか余計なことを考えたりもした。

そんな場違いなことを考えていると麻酔科医から声をかけられ、はっきりと聞き取れなかったけど、注射針が刺さっている左手が冷たくなるような感じがあり、その後顔の周囲がグーッと圧迫されるような、血の気が引いていくような何とも言えない感じになり、そこから意識が無くなった。

強くゆすぶられ、聞こえますかと何度も声を掛けられ、目を覚ますと手術は終わっていたようで、鼻の奥に強い痛みを感じ、目の周りが涙か何かでベトベトになっており、上手く目を開くことが出来なかった。

何かよくわからない状況だったけど、聞こえますかと言われるので聞こえますと答え。

痛みはありますかと聞かれたので、鼻が痛いですと返答した。

鼻の痛みに関しては当然あることなのか、特に何も確認されずスルーされた。

術部の痛みよりもその痛みの方が僕的には辛かった。

縫合した部分の止血のためにガーゼを嚙まされていた。

このガーゼが何とも言えないぐらいに不快で、これを噛んでいることによって歯茎が圧迫される痛みと中途半端に口が開いているので、顎がめちゃくちゃだるかった。

 

手術は11時から始まり、自分の病室に帰ってきたのが14時を過ぎていた。

病室から帰って来ても心電図と酸素のモニターは接続されており、さらには鼻に酸素のチューブがつけられ、点滴も入っていた。この管に繋がれているというのも不快感が強くこれが17時まで続いた。この時間が何よりも辛かったかもしれない。

拘束されているという感じが非常に強かった。

 

17時まで寝て起きてを繰り返したが、鼻の奥の痛みとガーゼの不快感は取れず。

その間に何度か看護師が来室され、取れないか聞いても医師の指示がないと外せないと言われ我慢した。

後になって分かったことだけど、ガーゼに関しては出血がある程度止まっているのが確認出来たら外しても良かったらしい。にもかかわらず医師がその指示を出していなかったみたい。まあ仕方ないけど、そこは医師か看護師どちらかが確認してくれたらよかったのにとも思った。

 

点滴以外の管は外れ、ガーゼも外れてすごくスッキリし、ようやくベッドから起き上がってもよいとなり、看護師付き添いの下立って、歩いてみた。もっとフラフラするかなと心配したけど、スムーズに動くことができ、ようやく一人で動けるようになった。

 

その夜も食事はなかったけど、しんどくかったので、お腹は空かなかった。

その後も点滴だけは続き、21時頃に抗生剤の点滴を看護師が打ちに来た。全ての点滴が終わったのが、23時。夜勤とは言え看護師も色々と夜まで作業があって大変だなと思った。

全ての管から解放されたので、ゆっくり眠れるかなと思ったけど、抜歯したところの腫れが気になり、思うように寝返りが打てずあまり眠れなかった。

 

翌朝から食事が再開され、お粥を何年かぶりに食べた、少し染みるような感じはあったけど、気を付けながら少しずつすするように食べた。前々日の夜から何も食べてなかったこともあって、すごくおいしかった。体がしんどかったので、全部食べれないかなと思ったけど、完食できた。

その時に気付いたけど、唇の内側に口内炎が4か所出来ており、さらに唇の両端が少し避けていた。なんか口が開きにくいなと思ったけど、その影響だったかと。手術中に大きく口を開くために器具を装着していたり、患部を見るためにグイッと引っ張られたことによってできた傷だろうと思う。これがこのあともしばらく続いて少し辛かった。

 

朝食後、医師から外来に来るように言われ、最終の診察が終わり、最後に抗生剤の点滴が終わったら帰っても良いということになり、9時過ぎから点滴が始まり、1時間程度で終わったので、帰り支度を済ませ、病室を出た。来た時は色々と看護師が対応してくれたが、帰りは特に誰も対応なく、詰所の事務の方に帰りますと告げて病棟を後にした。

 

幸いにも術直後から強い痛みを感じることはなく、手術の影響をあまり受けることなく、生活出来ているのもありがたい。

ただ、術部の腫れというか、頬から顎にかけての腫れが日を追うごとに大きくなり、昨日がピークで輪郭が完全に変わるぐらいに貼れていた。

元々面長の顔なのに、可愛く言えばハムスターだけど、実際のところはおにぎりみたいになっていた。当面マスクを外して人と会うことは避けたいぐらいに腫れた。

それも今日になって少しずつましになってきているので、少しほっとしている。

 

とりあえず抜歯が上手く行って良かった。

言葉通り、大丈夫きっと上手くいくよ。で良かった。

親知らずの抜歯で入院

今日から親知らずの抜歯で入院している。

歯が痛くて入院している訳ではなく、親知らずを残しておくことでその前の歯が痛むことが予想されるための予防的な措置のための手術。

そのため、現状生活は困っていないのに手術をするということで周囲の人から大丈夫と声を掛けられるのが少し申し訳ない。

そして仕事ももちろん休んでいる。

今日から2泊3日の予定で入院している。

祝日が前後にあるので、土日の休みも入れると9連休という大型連休を取った形になっている。

その辺も少し気を使う。

ただでさえ少し休みを取りにくい職業である上にこれだけの休みは職場内では今年初だと思う。

自分的にはすごく嬉しいからいいのだが、ちょっとだけ周囲の目が気にはなっている。

 

それよりも気になっているのは、今入院している病室。

口腔外科で入院しているのは僕だけで、あとはおそらく外科の患者さん。

年齢は50〜60代の方々。

看護師の説明から聞こえてくるのは、抗がん剤などの話。

咳き込まれている方もいるので、大丈夫かなと思う。

僕は元気なので、なんともないけど同室の方はおそらくしんどいと思う。

不安な気持ちも強いだろうし、早く良くなって元気に退院して欲しいと願うばかり。

 

とは言え、僕自身も全身麻酔ということで、不安がない訳ではない。

あと痛みに弱いので、術後の痛みが如何程のものかと恐怖も感じている。

 

そんなこと考えつつも体はとても元気なので、暇というのも事実。

ただ、個室ではないので、自由は聞かず好きに出来ないので困っている。

本を持って来たものの、あまり読む気にもなれずこうやって仕方なくブログを書いている。

 

他の人の説明の声が聞こえているのがすごく気になる。

個人情報がどんどんと漏れ聞こえてくる。

聞きたくなくてもである。

今薬剤師がある人に薬剤の説明をしている。

僕はいいのだけど、聞かれている人はそれでもいいのかなと思う。

そういうものだと言えばそうなのかもしれないけど、説明する時は他の人に聞こえないよう医療者側が配慮した方がいいのではないのかな?

 

思うことが色々あるけど気にしてたら夜寝られなくなりそうなので、この辺にしておこう。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。

筆ペンを習い始めた

面白い。

字をまともに書くというのは中学の習字の時間以来。

しかもその時は適当にただ時間が過ぎるのを待っていた。

その当時は字を書くことに興味を持てなかった。

字をきれいに書けることに何の意味があるのかと。

普段書かないような字を真剣に時間を使って書くのに何の意味があるのかと。

習字セットは重いし、書いていると手は汚れるし、赤でたくさん修正されるし。

良い思い出は何もなかった。

それでも筆ペンを習おうと思ったのは、大人になってから字が汚いことに恥ずかしさを感じ始めたから。

就職をしてから、何かと誰かに書いて渡すことが増えた。

メモ一つ取っても字が綺麗な人からもらうとなんか気分がいい。

自分がいざ人に渡そうとしたときの字の汚さに辟易していた。

社会人になって10年以上が経過してもその思いは消えず。

さらにこれから人にものを送って、そこに一言書き添えようという思いが出てきた。

そうなるとその字が汚いと思いも伝わらないのではと感じ、今回習ってみようと思うに至った。

 

知り合いの実家で教えてくれるとのことで、先週から通い始めた。

1時間だけではあるが、2回にして綺麗に書ける文字も出てきた。

昨日先生から言われて印象に残っているのは、

字をきれいに書くのには、長所を伸ばすということが言われるが、そうではなくて、その人の癖をまず無くすことから始めることが大事だと。

そうすることで自然と字は綺麗になると。

字は書き方があるようだ、書き方に沿って書けばきれいに書けるように出来ているらしい。

今までそんなこと誰も教えてくれなかった。

知らないことを知るのはやっぱり楽しい。

 

 

同じ悩みを抱える人はどれぐらいいるのか。

前もたぶん書いただろうなと思いながら書いている。

少し前の記憶はあまりない。

あまりないこともないけど、思い出そうとしないのか。

忘れてしまっている。

おそらくストレスの影響だろうと思っている。

何しろ、一日の3分の1、週の大多数を仕事に費やしているから。

仕事が嫌なら変えればいい。

そう思ってた20代。

実際そうなんだけど、別にしたい仕事もないし。

給料が確定しているならと仕事は変えずにいる。

職場は変えても、職業は変えてない。

解決すべきはそこだろうとすぐに突っ込まれるのは重々承知している。

でもいざとなればそうもいかない。

明日からの日銭が必要だ。

別に給料が日払いな訳ではないけど。

 

ということを考えている人って多いんだろうなと思うし、坂口恭平さんの本にもそんなことが書いてあったような気がする。

それは悩みではなく、みんながそう思うなら人間とはそういう特質があるということだと。

そう考えれば心が軽くなる。

赤信号みんなで渡れば怖くない。と同じ心理なんのかな。

人と同じであれば安心するみたいな。

 

でも僕は小さい時から人と同じ行動は嫌だから、それもなんだかなと悶々としている。

だからストレスが解消されずに蓄積され、記憶が削られていくのだと認識している。

 

自分から事をややこしくしているのだと思う。

ややこしくした方が好きだから。

ややこしくないのは飽きてしまうから、ややこしくしている。

ややこしい性格だと自認している。

それでいいのだと。

 

だから今悩みがあるように見せて、ストレスがあるように見せてそこまでストレスはないのだと思う。

 

実際のところ今の生活にはかなり満足している。

毎日定時で帰れて、好きなことに使う時間も十分にある。

休日はほぼ自分の時間にあてている。

ここまで自分のしたいように時間を使えている人もいないのではと思うぐらい。

 

でも足りないものもある。

旅に出ていないということ。

冒険が少ないということ。

これが今のところ足りていないものだと思っている。

旅と言っても世界中を歩きまわるとかそんな大規模なものではなくて、思いついた時に出発できないことで、冒険と言ってもアマゾンの奥地に向かうようなものではなくて、自分の知らない所に足を踏み入れる程度。

僕は壮大なスケールで物事を捉えるような人間ではなく、至って凡人だ。

凡人の中の凡人であることを自負しているから、多くを求めたりはしない。

ちょっとした旅と冒険があればそれで満足。

所詮は井の中の蛙であるから、その井の中で遊べれば十分だ。

月に行きたいなんて思ったこともない。

 

世の中的に元の状態に早く戻ればいいのになと思っている。

外に出れない時はこうやって自分の中に旅するしかないから。

 

まあ今のところは楽しめているからいい。

適当な文章も書き続けられるし。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。

同じ悩みを抱える人はどれぐらいいるのか。

前もたぶん書いただろうなと思いながら書いている。

少し前の記憶はあまりない。

あまりないこともないけど、思い出そうとしないのか。

忘れてしまっている。

おそらくストレスの影響だろうと思っている。

何しろ、一日の3分の1、週の大多数を仕事に費やしているから。

仕事が嫌なら変えればいい。

そう思ってた20代。

実際そうなんだけど、別にしたい仕事もないし。

給料が確定しているならと仕事は変えずにいる。

職場は変えても、職業は変えてない。

解決すべきはそこだろうとすぐに突っ込まれるのは重々承知している。

でもいざとなればそうもいかない。

明日からの日銭が必要だ。

別に給料が日払いな訳ではないけど。

 

ということを考えている人って多いんだろうなと思うし、坂口恭平さんの本にもそんなことが書いてあったような気がする。

それは悩みではなく、みんながそう思うなら人間とはそういう特質があるということだと。

そう考えれば心が軽くなる。

赤信号みんなで渡れば怖くない。と同じ心理なんのかな。

人と同じであれば安心するみたいな。

 

でも僕は小さい時から人と同じ行動は嫌だから、それもなんだかなと悶々としている。

だからストレスが解消されずに蓄積され、記憶が削られていくのだと認識している。

 

自分から事をややこしくしているのだと思う。

ややこしくした方が好きだから。

ややこしくないのは飽きてしまうから、ややこしくしている。

ややこしい性格だと自認している。

それでいいのだと。

 

だから今悩みがあるように見せて、ストレスがあるように見せてそこまでストレスはないのだと思う。

 

実際のところ今の生活にはかなり満足している。

毎日定時で帰れて、好きなことに使う時間も十分にある。

休日はほぼ自分の時間にあてている。

ここまで自分のしたいように時間を使えている人もいないのではと思うぐらい。

 

でも足りないものもある。

旅に出ていないということ。

冒険が少ないということ。

これが今のところ足りていないものだと思っている。

旅と言っても世界中を歩きまわるとかそんな大規模なものではなくて、思いついた時に出発できないことで、冒険と言ってもアマゾンの奥地に向かうようなものではなくて、自分の知らない所に足を踏み入れる程度。

僕は壮大なスケールで物事を捉えるような人間ではなく、至って凡人だ。

凡人の中の凡人であることを自負しているから、多くを求めたりはしない。

ちょっとした旅と冒険があればそれで満足。

所詮は井の中の蛙であるから、その井の中で遊べれば十分だ。

月に行きたいなんて思ったこともない。

 

世の中的に元の状態に早く戻ればいいのになと思っている。

外に出れない時はこうやって自分の中に旅するしかないから。

 

まあ今のところは楽しめているからいい。

適当な文章も書き続けられるし。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。

今より少しでも上手くなりたいとは思うけど

文章を書くのもそう、ヨガをやっててもそう、焙煎も、ROKもどれも少しでも上手くなりたいとは思うけど、そこまで必死でもない。

だからどうやったら上手くなるのかとかあんまり調べてない。

文章だったら、書く前に準備して、校正して、良い文章を参考にしてなどなど、やれることはたくさんあるのだろうけど、まあそこまでしなくてもいいかなと思っている。

やりすぎるとどうしても窮屈になるから。

もちろんコツ知ってた方が上手くなりやすいのかもしれないけど、上手くなった先に何か目指すものがあるとかなら、まだしも別にそんなことも考えてないし、今が楽しければそれでいいかなという、享楽的な感じで文章を書いているだけだし、ヨガもその時が楽しければそれでいい。

焙煎は大体美味しいからそこまだ質を求めてない。質を求めれば再現性が高まっていくんだろうということもなんとなく分かっている。

ROKに関しては少し数字を意識したりして、調べたけど、ある程度できる様になったら、それ以上のことは別にいいかなって感じ。

上達への道を目指せばより色濃いものになり、背骨もしっかりしてくるのだろうとは思うけど、別に薄くてもいい、薄っぺらくても自由にできるのであればそれでいいと思っている。

何者かになりたいと思っていた時期はそこ目指してたかもしれないけど、ある日からそれは自分の行き方とは違うと思うようにして、辞めた。

もちろんこれは逃げ口上と言えばそれまでだけど、それでいいと思っている。

逃げて何が悪いのか。

逃げずに歯を食いしばってやっても身体が辛いだけ。

辛いことは自分には合わない。

楽しいことだと続くと分かったから、辛いことは横によけておく。

そう思うとなんでも前以上に気軽に取り組めるようになったから、それでいいのではないかと思っている。

文章はいつまでもこんな感じでフラフラしながら進むけど、読む人は読んでもらえたらとも思っている。

まあ読まれなくても書くのは変わらないけど。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。