いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ちょっとした変化

とりあえず書いている。

上手くいっているのかどうかはあまり気にしてない。

でも文章書く人って基本的には構成考えながら書いているのだろうと思うけど、そういうの無視してます。めんどくさいから。

だから技術が向上しないのだと思っている。

技術が向上するかしないかはやる前とやった後で検証しているかどうかの差だと思っている。その積み重ねで大きな差がつく。

ただやっているだけでも変化はあるかもしれないけど、検証をしたかどうかで大きく違うと言うのは目にしてきた。

元同僚は毎日準備をし、実施し、検証するということをひたすらやり続けた。

そうすると経験では僕の方が長かったが、あっという間にどこかに飛び去った。

すごい勢いで僕の横を駆け抜けていった。

そうかやることを吟味して準備をし、実施した結果を検証する。結果だけでの検証ではなくて、準備したものが適切であったかどうか、実施内容が適切であったのかの検証まで含めて丁寧にやっていた。

それを毎日繰り返すことで成長の速度がハンパじゃなかった。

そんな風景を横目に見ながら、僕は経験則で仕事を続けている。

そりゃ限界もすぐ来るし、仕事に対してのモチベーションも上がらないと思う。

やりたくない仕事を毎日やっても身に着くものは少ない。

全てが受け身での作業となるため、得るものが少ない。

前がかりに仕事をしたことがここ数年ない。

そのために成長は1㎜ぐらいあればいい方か。

どうすればこの局面を乗り切れるのだろうかと考えるが、結論は出ない。

 

そう結論を出す前に次の行動を取ってしまうのが僕。

仕事に対して向き合うのをやめ、日課の充実に時間を割いた。

まずは睡眠時間を確実に取ること。

これを最優先にしたために、仕事でやることがあったとしても無視して寝ることにしている。

そのおかげで依然と同じ仕事をしているけど、朝起きる時のだるさが改善されている。

仕事より睡眠を優先して良かったと毎日思えている。

睡眠は最高。何よりもまず寝ることが一番のストレス発散となっている。

お金を掛けずにストレス発散できるんだから言うことはない。

 

文章を書く時間を設けることも優先した。

これは元々やりたかったことなので、楽しくて仕方がない。

最近は毎日書くことに躍起になり、楽しむことが少ないような気がしないでもないけど、それでも楽しい。ということはめちゃくちゃ楽しいと言うことだ。

文章を書くことが楽しくなるとは思ってもみなかった。

でも書くこと自体は好きだったので、やろうと決意して良かった。

この文章に関しては本当に上手い下手気にしてないので、楽しくてしょうがない。

上手い下手を気にしだすと極端に嫌になるのかもしれない。

スキルが高い低いも同様で、仕事をやり始めた当初は結構楽しくやれていたけど、なんとなく結果を求めるようになり、そのためには技術を上げ、結果の質を高めたくなった。仕事していれば自然と生まれる感情かと思うが、そこからが苦しかった。

自分の中での質ではなくて、他者の質と比較しだしてからどんどんと袋小路に追い込まれていった。なぜ自分のスキルはこの程度しか成長しないのだと。これでは彼の質には追い付かない。負けてしまう。

そう思いだしてからは仕事は何も楽しくなくなった。

日々他者と比較した質だけにしか目が向かなくなり、自分がやっていることに対しての振り返りや、結果の正しい検証が出来なくなっていった。

その結果しんどくなって仕事を辞めるに至った。

その時からもしかしたら僕は腐っていたのかもしれない。

 

腐ってしまうと浮上するのは中々難しい。

決意だけではどうにもならない。どこかで誰が言ってた、時間、付き合う人、場所のいずれかを変えないと本質は変わらないとかそんな内容の言葉あったように思う。

その当時はそんな言葉を知らなかったけど、環境を変えてみた。働く場所も住む場所も変えた。同時に付き合う人も全く変わった。そうすると時間の使い方も変化してきた。

 

それでもまだ僕は腐っている。

腐ったものって結局腐ってるもんな。

発酵できなかったものはそこから良くなるってことないよな。

また変化を求められる時期に来たのかもしれない。

 

ということで日課を作り始めて、睡眠時間、書く時間を確保するようになった。

それでちょっとした変化が出てきている。

そして3日ぐらい前から筋トレを開始した。

やると前も書いたように次の日の朝起きるのが苦しい。だるくなる。

 

でもその苦しさやだるさが良いのだと気づいた。

今までは仕事に行きたくなくてだるくなっていたけど、そうではなくて、まず先に筋トレの苦しさ・だるさが来ることによって、起床時に仕事のことを気にしなくなった。

元々あんまり気にしてなかったのかもしれないけど、なんとなく雰囲気が変わってきた感じはする。

少しずつ変化を感じられているので良いことだと思う。

急激な変化は僕は堪えられない。結構そこで体調崩すので、今のところ緩やかに変化していることはいいことだと捉えている。以前の僕だとなぜ急激に変化しないのかとイライラしていたかもしれないけど。

 

どれぐらいの変化が良いのかと言うと、気候の変化がぐらいゆっくりがいいと思っている。

こうやって毎日文章を書いているとこの時間の変化に気づくようになった。

最近だいぶ日の出が遅くなっていることに気づく。

でも毎日ほんの少しずつなので、毎日の変化には気づきにくいけど、1週間したらずいぶん大きな変化になっている。

少しずつでもそれほど大きな変化になるのかと思うし、毎日変化しているとあっという間に季節が変わっている。

少しの変化でも続くと大きな変化になるのだなと最近感じるようになった。

 

積み重ねが苦手とか言いながら、最近は積み重ねられるようになってきた。

 

睡眠時間、書く時間、筋トレの時間を日課に加入させたことにより、ちょっとした変化が出てきて、なんとか生きられている。

自分の理想の日課に向けて少しずつ変化させていこう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

 

ちょっとした変化

とりあえず書いている。

上手くいっているのかどうかはあまり気にしてない。

でも文章書く人って基本的には構成考えながら書いているのだろうと思うけど、そういうの無視してます。めんどくさいから。

だから技術が向上しないのだと思っている。

技術が向上するかしないかはやる前とやった後で検証しているかどうかの差だと思っている。その積み重ねで大きな差がつく。

ただやっているだけでも変化はあるかもしれないけど、検証をしたかどうかで大きく違うと言うのは目にしてきた。

元同僚は毎日準備をし、実施し、検証するということをひたすらやり続けた。

そうすると経験では僕の方が長かったが、あっという間にどこかに飛び去った。

すごい勢いで僕の横を駆け抜けていった。

そうかやることを吟味して準備をし、実施した結果を検証する。結果だけでの検証ではなくて、準備したものが適切であったかどうか、実施内容が適切であったのかの検証まで含めて丁寧にやっていた。

それを毎日繰り返すことで成長の速度がハンパじゃなかった。

そんな風景を横目に見ながら、僕は経験則で仕事を続けている。

そりゃ限界もすぐ来るし、仕事に対してのモチベーションも上がらないと思う。

やりたくない仕事を毎日やっても身に着くものは少ない。

全てが受け身での作業となるため、得るものが少ない。

前がかりに仕事をしたことがここ数年ない。

そのために成長は1㎜ぐらいあればいい方か。

どうすればこの局面を乗り切れるのだろうかと考えるが、結論は出ない。

 

そう結論を出す前に次の行動を取ってしまうのが僕。

仕事に対して向き合うのをやめ、日課の充実に時間を割いた。

まずは睡眠時間を確実に取ること。

これを最優先にしたために、仕事でやることがあったとしても無視して寝ることにしている。

そのおかげで依然と同じ仕事をしているけど、朝起きる時のだるさが改善されている。

仕事より睡眠を優先して良かったと毎日思えている。

睡眠は最高。何よりもまず寝ることが一番のストレス発散となっている。

お金を掛けずにストレス発散できるんだから言うことはない。

 

文章を書く時間を設けることも優先した。

これは元々やりたかったことなので、楽しくて仕方がない。

最近は毎日書くことに躍起になり、楽しむことが少ないような気がしないでもないけど、それでも楽しい。ということはめちゃくちゃ楽しいと言うことだ。

文章を書くことが楽しくなるとは思ってもみなかった。

でも書くこと自体は好きだったので、やろうと決意して良かった。

この文章に関しては本当に上手い下手気にしてないので、楽しくてしょうがない。

上手い下手を気にしだすと極端に嫌になるのかもしれない。

スキルが高い低いも同様で、仕事をやり始めた当初は結構楽しくやれていたけど、なんとなく結果を求めるようになり、そのためには技術を上げ、結果の質を高めたくなった。仕事していれば自然と生まれる感情かと思うが、そこからが苦しかった。

自分の中での質ではなくて、他者の質と比較しだしてからどんどんと袋小路に追い込まれていった。なぜ自分のスキルはこの程度しか成長しないのだと。これでは彼の質には追い付かない。負けてしまう。

そう思いだしてからは仕事は何も楽しくなくなった。

日々他者と比較した質だけにしか目が向かなくなり、自分がやっていることに対しての振り返りや、結果の正しい検証が出来なくなっていった。

その結果しんどくなって仕事を辞めるに至った。

その時からもしかしたら僕は腐っていたのかもしれない。

 

腐ってしまうと浮上するのは中々難しい。

決意だけではどうにもならない。どこかで誰が言ってた、時間、付き合う人、場所のいずれかを変えないと本質は変わらないとかそんな内容の言葉あったように思う。

その当時はそんな言葉を知らなかったけど、環境を変えてみた。働く場所も住む場所も変えた。同時に付き合う人も全く変わった。そうすると時間の使い方も変化してきた。

 

それでもまだ僕は腐っている。

腐ったものって結局腐ってるもんな。

発酵できなかったものはそこから良くなるってことないよな。

また変化を求められる時期に来たのかもしれない。

 

ということで日課を作り始めて、睡眠時間、書く時間を確保するようになった。

それでちょっとした変化が出てきている。

そして3日ぐらい前から筋トレを開始した。

やると前も書いたように次の日の朝起きるのが苦しい。だるくなる。

 

でもその苦しさやだるさが良いのだと気づいた。

今までは仕事に行きたくなくてだるくなっていたけど、そうではなくて、まず先に筋トレの苦しさ・だるさが来ることによって、起床時に仕事のことを気にしなくなった。

元々あんまり気にしてなかったのかもしれないけど、なんとなく雰囲気が変わってきた感じはする。

少しずつ変化を感じられているので良いことだと思う。

急激な変化は僕は堪えられない。結構そこで体調崩すので、今のところ緩やかに変化していることはいいことだと捉えている。以前の僕だとなぜ急激に変化しないのかとイライラしていたかもしれないけど。

 

どれぐらいの変化が良いのかと言うと、気候の変化がぐらいゆっくりがいいと思っている。

こうやって毎日文章を書いているとこの時間の変化に気づくようになった。

最近だいぶ日の出が遅くなっていることに気づく。

でも毎日ほんの少しずつなので、毎日の変化には気づきにくいけど、1週間したらずいぶん大きな変化になっている。

少しずつでもそれほど大きな変化になるのかと思うし、毎日変化しているとあっという間に季節が変わっている。

少しの変化でも続くと大きな変化になるのだなと最近感じるようになった。

 

積み重ねが苦手とか言いながら、最近は積み重ねられるようになってきた。

 

睡眠時間、書く時間、筋トレの時間を日課に加入させたことにより、ちょっとした変化が出てきて、なんとか生きられている。

自分の理想の日課に向けて少しずつ変化させていこう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

 

腐ってから早5年

昨日も筋トレをやってけど、今日はなんとか起きられた。

筋トレをした上に五輪見てて寝るのが23時過ぎたけど、起きられた。

これはすごいことだと思う褒めて良いレベル。

そのおかげで今日も良い朝日が見られた。

それにうんこが出来る時間も出来た。

うんこは出ない日があるとすごく硬くなるのだと今日改めて分かった。

いつもより生みの苦しみを感じた。

でも最近は肛門様がキレて出血する機会が減った。

これは明らかな変化だ。

便ジョンソンが柔らかくなったのか、肛門様が柔らかくなったのか。

どっちかわからないけど、ありがたい。

肛門様が切れた時のあの瞬間。想像しただけでも身震いする。

 

筋トレなんとかやれている。

と言ってもまだ2日目。

目標はスノーマンの岩本という人。

Tarzanの表紙になっていて、理想的な体型だなと思った。

ムキムキ過ぎないことがいい。

たまたま見たテレビですごい身体の動きしてたから気になって、

図書館でTarzan探してたら、たまたま表紙になっていたので、これだと思った。

自体重であの肉体が作れるのかと思うと楽しみ。

僕が筋トレしない理由の一つに、Tシャツがピチピチになるからというのがある。

でも岩本さんはそんな感じではないのに脱いだらムキっとしている。

それ最高。

そんな身体目指しています。

何のためにやるのかと言うのが明確でなかったので、目指す像が出来て良かった。

と考えるとやはり目標は明確であった方が良いのかなと思う時もある。

どちらが正解と言うのはないから、やることによって分けたらいいのかな。

とりあえず岩本さんを目指すということでやってみよう。

筋トレをすると心が前向きになると言うことなので、やってみる。

 

と言うのも僕は5年前から腐ったままで、一歩引いた状態で仕事に取り組んでいる。

これは環境のせいにしてはいけないのだと思うけど、環境のせいでこうなったと思っている。

いやでもやっぱり自分のせいかな。

状況の捉え方次第でどうにでもなったと思うから、やっぱり自分のせいやな。

前々職が嫌になったタイミングで遠方からウチにこないかとオファーがあった。

これは渡りに船だと言うことで一気に気持ちが傾いた。

その話は僕がちょうどやりたいと思っていたことだったので、久しぶりに心が躍った。

こんなチャンスはないだろうと思った。

しかも知り合いからの紹介だったので、僕のことを好印象で迎えてくれた。

こんなええ話し世の中にあるんやなと。

この世は捨てたもんじゃないなと思った。

どう考えてもチャンスしかないと。

でも職場を辞めるのに時間がかかり、1年ほどかかった。

それでもオファーが消えることはなく、転職することが出来た。

その話が来たのもおそらくはそれまで頑張って働いていたから、神様のご褒美だったのだと思う。

ボーナスステージに辿り着いたような感覚で僕は意気揚々としていた。

晴れて入職し、入職時のオリエンテーションを事務方から受け、社長を待っていた。

そして社長が来て第一声が、すまんけど思てた部署じゃなくて、別の部署で働いてもらえるか。ちょっと遠いところになるけど、すまんな。だった。

ちょっと遠いというのがどれほど遠いのかというと借りた部屋から、高速で片道1時間。辺境の地まで行かされた。

この時点で僕は混乱していた。

元々やりたくない仕事がどんなことか伝えて、その部署に行くことはないという話だった。

あんなに明確に言ってたのになんで?それをその時は了承してたのになんで?

しかもその部署は家の近くにもあるのに、なぜその辺境の地に僕を派遣するのか?

すでに働いている人の方が勝手もわかっていいじゃないか。

というかむしろそうすべきだろうと思った。

しかし、会社内でのバランスを見てそれしかないと思ったのか辺境の地に派遣された。

もうこの時点で僕は腐っていた。5年前のあの日から僕は腐り続けている。

そうか裏切られたことで、人を信用しなくなり頑張るのを辞めたのかもしれない。

その結果僕は今でも腐っている。頑張っていない。

組織にぶら下がっている金魚の糞のような存在で、必要性のない人間として存在する。せめてもの存在価値としては頭数として働いている。

決して生産性が低いとかそういうのではなく、士気高揚する時に足を引っ張るタイプとして存在している。

組織としてもっとも取り扱いにくい人間として沈んでいる。

これはなんとかした方が良いと思っても中々心が動かない。

言われたことは行動できるが、それ以上はない。

それ以下もたぶんないからまあいいかなと思っている。

言われた仕事以上のことをやるのが相手からの信頼を得る方法だと何かで見たような気がする。

20代の頃はそうやって過ごしてきたような妄想がある。確かにあの時は何も出来ないけど、なんとかしようとはしていた。

今は何もできないけど、何もしようとしてない。

厄介な存在。厄介と言うか疎まれていると言うのか。とりあえず組織で一番取り扱い注意の存在と化している。

まあそれはあくまでも自己評価であり、他者からはどう映っているかはわからない。

否定されることはないので、良いかとも思っている。

ただ注意を受ける年齢でもないということを忘れないようにしたい。

ただいるだけだけど、職歴は職場の中で結構上の方になっている。

困ったことにそうなのだ。

これから年数が経つごとにそうなっていく。本当に困ったことだと思うだけで、心が全く動かない。

 

そんなこんなで仕事には全くやる気が出ないので、その代わりに情熱を筋トレに向けようではないかと考えた。

筋トレは全てを解決すると何かで読んだのでその言葉を信じてやってみようと思う。

なので新たな日課として仲間入りすることになった。

筋トレは入浴前にすることにした。

今名前思い出した、筋トレは最強のソリューションとか言う本が在ったように思う。

読んだことないけど、今度読んでみようかな。面白そう。

筋トレで全部解決したらいいな。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

筋トレは寝坊する。

寝坊した。

昨日久しぶりに筋トレをしたせいか、めちゃくちゃ眠い。

疲れが取れてないのかな。

誰かが筋トレして寝坊したって書いてて、そんなん嘘やと思ってたけどほんまやった。

スヌーズを2回消してたのに、全く記憶がない。

今日はそのおかげでいつもより30分も寝坊してしまった。

おかげでウンコをゆっくりする時間がなかった。

日課が一つ飛んでしまった。

これは困ったなと言う感じ。

だから今日はこの文章をいつもより短くしようと思う。

制限時間をいつもより短くして書いて見ようと思う。

それでどれだけ書けるのかなと。

誰と競争する訳でもないけど、チャレンジ。

多く書けたからと言ってだれに褒められるわけでもないけど、やってみる。

そう言うのが大事な気がしている。

誰かにどう思われるかより、自分がどう思うか。

分かってはいたけど、どうしても周囲の評価を気にしてしまう。

なぜなのか。

たぶん自分に自信がないからだと思っていたけど、坂口恭平さんは違うこと言ってた。

周りを気にするのは自分が出来ると思っているからだと。

自分が出来ると思っているから、もしできなかったときにどうしようと。周囲からどう思われるだろうかと言うことに意識が向くと。

元々自信なんてなくて自己評価も低いと失敗したところで当然だと思っているから、周囲の事なんて気にならないと。

それを聞いてから確かにそうだなと思った。腑に落ちた。

実際経験からそうだなと感じた。

僕は自信家だ。

周りには自信がないと言うけれど実は違う。

なんか根拠のない自信がある。

なんとなくセンスが良い人間だと思っている。

なので、なにか新しいことをやってみようとしたときに出来る感じで行くから、出来ない時が恥ずかしいと思ってしまう。

んで、実際に出来なかった時に恥ずかしかった。

恥かいたと思った。

その経験から、人前で何かをする時にはすごく周囲の目が気になるようになった。

失敗できないと。失敗したらまた恥をかくと思ってしまう。

出来ないと思ってたらそんな気持ちにはならなかった。他人の目が気になる。

 

他人の目が気になると言えば、誰かが言ってた。

他人の目は本当は他人の目ではないと。じぶんの目だと。

他人は別にあなたのことなど見ていないと。

自意識過剰なだけであると。

それも激しく同意した。

結局は自意識過剰なんですよね。

僕の失敗なんて誰も見てない。

僕の結果を誰も期待してないし、気にしてもない。

にもかかわらず勝手にプレッシャーをかけて緊張してしまっている。

そういうのじゃないねんけどなと自分では分かっているけど、中々そこから抜け出すことが難しい。

 

どうやってこの無意味なループから抜けたらいいのかなと思う。

永遠に抜けられないような気さえする。

これは感情論ではなくて、何かテクニックがあるのだろうけど、今のところ僕に合うものは見つかってない。

 

そうそうなんでもテクニックなんだろうなと思う。

心持とかそういうので片づけてはいけないのだと思う。

それは知らないから同じパターンを取ってしまうのであって、何かを意識的に変えることによってたぶん変わる。

でもそれが分かってない。

自分では開発出来ないので、探すしかない。

この辺は頭が働かないので、また本を読む。

 

あー今日は時間が無いので、ここまでやな。

いつもの半分仕掛けなかった。まあ仕方ないか。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

良いと思っていることがなんで良いのかをあまり考えたことがない。

今日から仕事が再開される。

そう言えば昨日でラジオ局を閉じた。

あっという間の妄想ラジオ局だったけど、楽しくやれた。

いつかのためにまた練習しておこうと思う。いつでもできるし。

今日も朝焼けは綺麗で朝から気持ちがいい。

最高の朝を迎えた。

これだけ気持ちがいい朝を迎えられたけど、昨夜は全く違った。

夜トイレに起きると、パンツが濡れていた。

おねしょをしてました。

何の前触れもなかったのに。

酒は飲めないので、酔っぱらっていた訳ではない。

久しぶりにおねしょした。

1年ぶりぐらいか。

なので1年に1回ぐらいはおねしょをしている気がする。

疲れていた訳ではない。

いや、今の感じだとちょっと疲れていたかも。

何となく身体が重い。

昨日の筋トレが効いたようだ。

一昨日にに図書館で借りたTarzanを見ながらの筋トレ。

BIG6と名付けられたトレーニング6種。

自体重トレでかっこいい筋肉つけましょうみたいな。

ジャニーズの人が表紙でした。

確かに美しい肉体してました。

僕も頑張ればああなれるのかなと思って。

やってはみたけど、種目によってはしんどすぎて初級でも10回続けられないものもあった。

何てしんどいんだと思いながら、これを乗り越えれれば表紙のような肉体になれるのかと思うと頑張れそう。

その結果今日は身体が重い。

朝は気持ちいいけど、夜は寒かった。

寒さで一度目が覚めた。

おねしょしてパンツ一丁で寝たからかな。

タオルケットにくるまって寝てた。

でも朝は気持ちい。

どんな状況であろうと生きている限りは朝はやってくる。

おねしょしても、寒くても、眠れなくても。

朝が来ない方がいいと思うこともあるかもしれない。

僕もそう思うことはよくある。

そんな時でも朝は来る。

朝が恨めしい時もあるけど、キレイだとそんなこと忘れられる。

というかキレイだと気づけるのはまだ心に余裕があるということ。

周囲の環境に注意を向けられるぐらいの余裕がある。

意思的に自然を向けることは心を穏やかにする一つの方法かもしれない。

ぼーっと見る余裕がない時は自然の何かを細やかに見るだけでもいいかもしれない。

何か作業に没頭するのもいいし、自然観察に没頭するのでもいいと思う。

作るだけではなくて、観察するのもすごくいいと思う。

あっという間に時間が過ぎる。

僕の畑での作業がそうかもしれない。

野菜や草を観察しているとあっという間に時間が過ぎてしまう。

凄く楽しい。

作業と観察がセットになっているのが畑の良いところかもしrない。

 

良いと思っていてもなんで良いかわからないことが結構ある。

別に理論的にではなくてもいいけど、自分なりになんでいいのかわかるともっと深まってより没頭できるようになるかもしれない。その良い部分により着目できるともっと良くなりそうな気がする。

 

書くことに置いてはどうだろうか何が良いのかな。

書くことも没頭できる。

でも頭の中に浮かぶ言葉がいつでも流れに沿っているかは全く別物で。

もちろん全然違う言葉が出てくることもあるというか、ほとんどがそう。

意図しない言葉勝手に出てくる。

それは頭の中がその言葉を処理してくれと言っているのかもしれない。

書くとその言葉が少しの間消えている。

そうなると脳の容量が確保されるから、脳がちょっと軽くなる。

脳を軽くするためにやっている作業。

没頭できるし、脳の中を軽くできるところが良い点かもしれない。

もっとありそうな気もするけど、文章を書く時は深く考察しない。

熟考していると時間があっという間になくなる中らそれは良くない。

 

そうか熟考することも没頭することと同じなのかな。

でも熟考し過ぎると頭の中が言葉でいっぱいになるから、それはあんまりよくないと思う。

 

没頭すると言うことは頭や身体を空っぽにする行為。

反対に熟考は頭の中をパンクさせる行為。

確かに一度パンクしてしまえば、頭の中は真っ白になるかもしれない。

でも身体も同時にぶっ壊れるかもしれないから、止めた方がいい。

それに熟考すると言うことは省エネで行えることなので、尚更さけたほうがいい。

永遠に出来てしまう。そうなると寝る間も惜しんでぶっ通しで熟考しちゃうので身体がもたない。

だから熟考は没頭とは言わないかもしれない。

没頭はある程度疲れると限界がくる。

その限界が来ると言うのもまた大事。

適度に区切りを付けないと身体が壊れる。

僕は壊れたことはないからわからないけど、一度身体が壊れるともとには戻らない。

戻るとすれば時間をあとに戻せたときだけ。

でもそれは不可能だから、もとには戻せないと言うこと。

だから本当に気を付けた方が良い。

 

もし熟考したいなら、書きながらやるのがおすすめ。

パソコンではなくて手書きでももちろんいい。

むしろ手書きの方が融通が利いていいかも。

書くと手を動かした作業になるから、余計にいい。

疲れるから、途中で辞めたくなる。

そうなればこっちのもの。

身体を疲れさせると言うことがある程度大事。

そうなるとよく眠れるようになる。

疲れすぎると余計に眠れないこともあるけど、疲れることは大事。

脳力ばっかり使っても疲れない。

体力をしっかりと使ってこそ良い睡眠が得られると思っている。

僕はそんな古い人間です。

身体を動かすと言うことは非常に大事です。

なんたって人間は動物ですから。

動いてなんぼです。

思考ももちろん動いてはいるけど、それは植物でもできること。

動物なら動いた方が良い。その方が健全。

もちろん動けない場合もある。

でもその時は動けない時だから、動かなくてもいい。

 

この言葉はみんなに当てはまる言葉ではないな。

生まれつき動けない人や生まれてから動けなくなった人もいる。

そんな人を配慮していない。

そうなんよな。

全ての人に当てはまる言葉というのはこの世界に存在するのかな。

あるなら教えてほしい。

無いならないでそれも教えてほしいし、もっと多くの人に教えてあげた方が良い。

そんな残酷な世界ではないと信じたいけど、僕の生きている周りではそんな言葉聞いたことがない。

不可能だと思っている。

そんな僕に希望を見せてほしい。

誰か知っている人いないかな。

教えてくれない場合は自分で探すしかない。出来るかな。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

四連休が終わる

皆さんおはようございます。

今日は都合上いつもより30分遅れで始まりました。

頭の中のラジオ局です。

いい加減これも飽きてきたので、今日で終わりにします。

まあ辞めたところでそんなに変化はないのですが、とりあえずもういいかなと。

逆に言うと我ながら良く続いたなと思います。

何でやり始めたのかはわすれてしまったけど、面白かったです。

ラジオの仕事出来たらいいなと思うけど、僕みたいな素人に仕事が回ってくるはずもなく、でも今なんかそれっぽいことできますよね。たしか。

まあそんなことはおいておいて、連休が今日までですね。

皆さん楽しめましたか?僕は十分楽しめました。

ただ、エアコン使いすぎて鼻と喉の乾燥がやばいです。

飲み込むとちょっと痛いぐらいです。

まあそれも仕方がないかなとは思っていますが。

ほぼ一日中エアコンを使っている訳ですからね。

もうちょっと湿度管理したらよかったと後悔してますけどね。

 

そうそう後悔ってしますか?

僕は良くするような気がします。でも忘れますけど。

皆さんもそうですかね?過去を振り返って後悔しますかね。

無い人の方が少ないか。

後悔したところでどうしようもないのに後悔ってしますよね。

意味わからんなと思ってます。

出来たら後悔したくない。

でもそんなに引きずってることって実はそんなないかもですが。

ウジウジあの時がどうとか言わないですけど、後悔する時はあるかもしれません。

 

あ、今日ヤバイかもです。

眠すぎて何を書いているか全くわかりません。

さっきまでの文節で何を書いたかが全く思い出せない。

今日はマジで練習の練習かもしれません。

エッセイストの人ってすごいなと思います。

なんであんなに毎月毎月いろんなテーマに沿って書けるのかなと思ってしまう。

雑誌とかに書いてますよね。

それになんとなく、なるほどね的なことを書くんですよ。

あれはどうなんだろうか。経験から来るものなのかそれとも結構ネタを必死で考えてるのかな。

僕はネタを考えたことが全くなくて、とりあえずパソコンに電源入れてさあ書くぞと言う感じ。

ただそれだけ。

だから内容を考える暇がない。

電源入れてから書き始めるまでに数分とかからない。

あっという間に始めてしまう。

 

あー僕が後悔することはもうちょっと考えてからやればよかったってこと。

大体考えない。考えてやると止まってしまうような気がするから考えない。

とりあえず始めると言うことが何よりも大事だといつの間にか身着いている。

親に何か言われたこともない。

いつからそんな性格になったのだろうかと思う。

でも場面によっては考えすぎて何も進まないこともある。

どっちもあるな。

どっちかだけってまずないか。

ゆらゆら揺れながら進んでいる感じ。

僕にとっては結果がどうとか言ってられない。

とりあえず進むことだけが大事。

ジッとしていられないんだと思う。

綱渡りをし続けている感じだと思う。

でも本当にそんな感じがする。

でもそんな高いところでやる命がけの綱渡りではないけど。

それでもじっとしていると落ちてしまうので、とりあえず進むようにしている。

そう考えると瞬間瞬間で物事を判断して、振り返る余裕なんてないのかも。

 

僕人生は計画性と反省がない。

そうか綱渡りしてるから、どっちも出来ないのか。

地面歩いたらいいのにと思うけど、なぜか綱の上を歩きたくなる。

綱も地面もどちらも用意されているのに、綱の上を歩きたくなる。

大したチャレンジしている訳ではないけど、それでも地面は選ばない。

損な人生なのか得なのかよくわからない。

でも自分が好きな方を選んでいるからそれはそれでいいのかな。

バランス悪い方を取りたくなってしまう。

自分でも不思議だなと思う。

安定が怖いのかもしれない。

でも安定も絶対はないから、結局どちら選んでも同じような気もする。

それなら自分の好きな方を選択した方がいい。

 

あの時ああいう風にやっておけばよかった。

そう思う機会もないぐらいに不安定な場所に身を置くことが僕にとっては楽しいことなのかもしれない。

いや、でもそんなカッコつけるようなことでもないよな。

冷静に判断できてないだけで、結局はバカなだけやな。

 

そう言えば最近やっていることって書くか働くかだけ。

びっくりするぐらい他のことってやってない。

でも不思議と不足感はない。

書くだけでも十分満足できている。

満足できていれば成果物がどんなものでも別に気にしない。

自分さえ良ければいい。

 

今の仕事はそんな要素は一切なくて、相手が良くないとどうにもならない。

仕事ってそんなもんかな。

自分が満足して良いと言う仕事ってないのかな。

成立しないか。

成果物に対しての他人の評価が良くなければどうにもならないか。

売れないもんな。

売れるようになんとかしないとどうにもならないか。

そらそうやな。

どうにか何かを考えないと売れないはな。

お金を稼ぐことをそろそろ勉強した方が良いのかな。

文章でお金を稼ぐということがどういうことかよくわかってないけど、調べたらだれか教えてくれるかな。

いやそんなはずない。誰も教えてくれないから自分で調べてやるしかないのかな。

 

今日は本当に頭がぼーっとしている。

実は何もする気がしていない。

良く書けているなと自分でも思う。

 

朝は気持ちが良い。

夏の朝は最高に気持ちがいい。

これは早起きして夏の朝を毎日感じた方が良いなと思う。

 

今日はこの辺にしておこう。お疲れ様です。

今日も一日楽しみましょう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

僕は面白いと思う

おはようございます。

今日も懲りずに頭の中のラジオ局です。

今日も最高に気持ちい朝を迎えていますね。

鳥、虫、蛙の声がこだましています。

虫の中でもセミがこの時期は主張がすごいのですが、まだこの時間はおやすみのようで穏やかな時間帯です。

昨日の昼に屋外に出ましたが、朝とは全く違う世界ですね。

正に灼熱です。あの暑さでは屋外では何もする気がしませんね。

それでも近所では部活や少年野球などスポーツされてました。

体調大丈夫かなと心配になります。

暑い時期は屋内で出来るようなトレーニングに切り替えるとか早朝や日が沈んでからしか運動してはいけないと制限を付けてしまってもいいのかなと思います。

体調と言うか死に直結するぐらいの暑さだと思うので、選手たちが心配になります。

指導者はその辺り何も触れないのかな?

それとも時間帯が極端だと仮定に負担がかかるから止めておこうとなるのかな。

それ考えるんだったら、一度アンケートでも取って意識調査をしたらいいのになと思うけど、本当に対策を取らないと大変なことになると思う。休憩を多めにとるとかそういう問題ではなくて、気温が高い中での運動は中止した方が良いと思う。

僕が現役時代はそんな配慮は無くて、ウォーミングアップから死ぬほど走らされた。あれですべての集中力を失われ、何もする気が無くなる。あとの練習はぼんやりと惰性の練習になる。多分指導者としては、暑い時期を想定して暑さで集中力が切れた時にも対応できるようにとやっていたのかもしれない。でもそれちゃんと説明せんと子供は理解できないと思うし、そんな根性論でどうにかなる問題でもない。しかもそんなこと毎日やって何の意味があるのか。たまにやって、どんな状態に自分がなるのかと言うことを認識させるだけで十分に意味はあると思う。あれはただの体罰だったとしか思えない。

本当に暑い中で運動をする皆さんにはお気を付けいただきたいと思います。

 

連休も今日から後半ですね。

昨日は夕方から畑でBBQをしてきました。

開始当初は暑いかなと思いましたが、風も吹き徐々に気温も下がり快適な環境でBBQができました。

ちょっと連休ぽいことしたけど、楽しい時間はあっという間ですね。

なんとも寂しいような気がする。

あとの2日全力で楽しみたいと思います。

 

でも日常と非日常を区別し過ぎるとどちらになってもしんどく感じると言うことは最近分かってきた。

日課としては大きく変えない方が良い。

特に生活リズムに関しては特別に気を使いながら、やった方が良い。

どこかに出かけたとしても朝は5時に起きて夜は22時に寝るという流れは変えない方が良い。でないと疲れる。

何が生活の中で一番身体のダメージが大きいかと言うと睡眠時間と生活リズムだと思う。

逆に言うとそこが確保されているとあとは何したっていい。

というか僕にとっては何よりも優先されることはそこだと思う。

そこを蔑ろにすると一気に体調崩す。

最近自分の特徴がわかってきた。

毎日同じリズムで生活することが何よりも大事であると言うことが。

結構テキトーなキャラで通ってきたので、きっちりしているとか一定のリズムでというのが向いていないと思っていたけど、全然そんなことはなくて、毎日同じでいいのだというのが分かってきた。

それでも十分に生活の面白さを感じられる。

変化の富んだ生活というものはリズムを無視して、全くの対極にある変則性が重要だと思っていた。むしろ変則性こそが変化の富んだ生活や生き方であると思っていたけど、別にそんなところに面白さは内容だと言うことに気づいた。

毎日同じでも自分の捉え方次第でいくらでも変化を生み出すことが出来る。

当たり前のことだけど、毎日違う。

昨日の自分と今日の自分は全く別人であると言うこと。

人格はある程度翌日に持ち越されているし、記憶も継続性があるように感じている。

でも身体は全く別人である。

実際にはどうかしらないけど、おそらく別人である。

記憶を継続しているから同一人物のように感じているかもしれないけど、別人。

なんとなくそう思うし、誰かがそんな風に言ってて確かにそんな感じがするとその時から思うようになった。

そう考えるとなんとなく気が楽になったからそう思うようになったと言った方が正しいかもしれない。

なんとなくその理論が自分にはハマったのだと思う。

 

自分にハマる考え方が世の中に存在するかどうかだと思っている。

それは別に全くオリジナルである必要性は全くない。

誰かの考え方をパクってそれがしっくりくるならそれでいいと思う。

自分が身に付けているもので全くのオリジナルなんてないんだから、考え方だけは自分のオリジナルでなければならないなんておかしい。

そこ気にするんやったら、今着ている服脱いだ方がいい。

服という概念すら捨てて、違うもの探すか作り出した方が良いと思う。

考え方ってその程度のもんだと思う。

生きるための指針というのもそんなものでいいと思う。

いつ変わってもいいと思うし。

信念と硬くする必要もない。

一生一方向を向いて生きて行くなんて凡人には不可能だと言うことに気づいた方が良い。

人類の大半はというか99%は凡人と考えた方が良いかなと最近は思っている。

もっとかな99.999999999%ぐらいは凡人だと思えると気が楽になる。

何者でもなただの凡人だと早く気付いてほしい。

発信が出来てしまうとちょっと勘違いしてしまうのかもしれない。

浮かれてはいけない。

あなたは他人から評価を得られるような人間ではない。

ただの凡人だと気付けたら楽になれる。

情緒がありそうな言葉を呟いているとしてもあなたにそんな情緒はない。

むしろ世に問うだけの発言力もない。

たまたま今は発信ができるだけで、あなたの言葉を聞きたい人など別にいない。

そう思うとどうでもいいと思える。

好き勝手に言ってたらいいと思う。

誰に何かを求める訳ではなくて、自分で書きたいことを書くだけ。

凄く楽になれるんじゃないかな。

 

と自分自身に言っておく。

僕が面白いと思ったらそれでいい。そこで十分完結する。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。