人と会話することが年々減っているような気がする。
元々口数が多い方ではないけど、最近特にそう感じる。
人と会話というよりも、会話する人が減っているの方が正しいか。
特定の人とはそれなりに話はするが、どんどん付き合う人が減っている。
自ら進んで、どこかの輪に入って行こうとする気が無くなってきている。
とは言えすごく閉鎖的にになっている訳ではないから、精神的に病んでいる訳ではない。
どちらかというと没入していって結果多くの人と関わるのではなく、特定の人と関わるようになってきたんだと思う。
元々社交的に性格ではないから、それが歳を重ねるごとに強くなってきたという、いわゆる加齢現象か。
加齢現象が生じるにはまだ早い気もするが、なんでも早めに取り入れたいという基本的な性格も相まって人よりも先を行っているのかもしれない。
よく高齢者をみていると意固地というのかこだわりが強いというのか、そんな感じに自分もなっている。
じゃあやっぱり閉鎖的ではないかと思われるかもしれないが、排他的ではあっても閉鎖的とはちょっと違う。
自分の求めるものには行動するが、それ以外はどうでも良くなっているだけの話。
他人に興味があまりなく、共感という境地からは程遠い人生を送ってきたけど、それが極まりつつあるのかもしれない。
それが良いか悪いかは今の所わからない。
認知機能は関係人口と関わりがあると聞いたこともある。
関係人口が減少するとそれに伴い認知機能も低下するとか。
であるならば認知機能の低下を状況下にあるのかと思うとちょっと心配にはなるが、これからコーヒー販売したら関係人口も自然と増えるだろうとか勝手に妄想しているから大丈夫なんだろうなと結局安心する。
誰かと関わりたいと心から思ったことはないから、たとえ関係人口が減ったとてそこは大して大きな問題はないと思っている。
それ以上に影響を与えるのはやっぱり好きなことが出来なくなることだと思う思っている。
本を読む、字を書く、コーヒー焼く・飲む、運動する、遠出する、畑行くなどなど。
行為自体に意味はない、何が目的があってこそ人生は豊かになるなんて言われたことがあるような気がするけど、僕にはその行為が大事で、行為ができることに喜びを感じる。
目的なんてなんでもいいからその行為を長く続けられるようにしたい。
なんのためにそれをするんですか?誰とそれをしたいですか?とか聞かれることがあるけど、目的もないし、誰としたいかとかもない。
ただそれをしたいだけ。
そこに意味を見出す必要はない。
そう思ってこの文章を書いている。
もっと気楽になんでもやればいいのになと思う。
世間は複雑にしすぎてるし、その割に単純化しすぎてる部分もあったりでよく分からないなと思う。
自分のしたいことをしたいようにしたらいいのに。
久しぶりに書いてまたスッキリした。