いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

習慣が人を作るのか

勝手にルール作って勝手に苦しむ。

大体そうなんかな。

人の話を聞いているとそんなこと別に気にせんでいいやんって思うこと多い。

でも自分に置き換えてみると、自分もそんなところあるかもしれない。

ルールがないと生きられないのが実際なのかもしれない。

何も制約がない中では生きられない。

自由にやってよと言っても、何かしらルールを決めたがる。

〇時にこれをやって、それが終わったらこれをして...

みたいな。習慣と言うものがどうしても出来上がってくる。

習慣の中から、ルールが出来て。

ルールの中から個性が出来てくるのかもしれない。

と考えると変えるべきは性格とか考え方ではなくて、習慣の方で、習慣を如何に調整できるかで、生きやすさも変わってくるのではないかと今思いついた。

習慣=日課と言うことになるのだろうと思うけど、たぶんそういうことではないのかと勝手に考えている。

坂口恭平さんの言おうとしていることはこういうことなのかな。知らんけど。

習慣っていつの間にか出来上がってて、特に意識することがない。

勝手に生活の中にあるもので、結構怖いような気もする。

僕は毎日朝ドラを見ているのだけど、朝ドラの時間が決まっているので、ある意味朝ドラに時間を支配されていると言っても過言ではない。朝の時間は結構朝ドラを中心に回っている。テレビと言うものはそういうものなのかもしれない、生活の中にいつの間にか入り込んで、習慣を変えようとしてくる。

いやいやそんなことはない、現代は録画機があるから自分の見たい時間で見ることが出来るから、支配はされていないと言うかもしれないが。録画したとて、1時間番組であれば、その1時間はテレビに支配されている。そう思うと結局は同じではないかなと思う。テレビって怖いなと思う。

しかもテレビは視覚を支配している。視覚から情報を沢山得ているので、その資格をその時間帯だけでも支配されていると言うことは結構凄いことではないのかなと僕は思っている。

支配、支配と言ったものの僕は元々はテレビ大好きっこなので、テレビのことを全面的に嫌いになることはない。どちらかと言うとネットの動画の方が苦手。YouTubeスマホで見ている人を見るとちょっと怖いなと思う。現実世界より圧倒的に小さい画面の中で起きていることに全神経を集中させてみている感じがして、現実世界に居ないように見える。でもその没入感が良いのかもしれないが、自分の背後にある広大な現実よりもスマホの極小の画面の中の仮想現実のような空間の方が現実感を感じられると言うのはちょっと怖い。具体的に何が怖いというのはないけど、身体感覚よりも視覚で得られる感覚の方が脳を支配できるのだなと言うか、視覚で作られた空間の方が居心地が良いと言うことなのかよくわからないけど、すごく疲れるような気がするけど、若い人たちは疲れずにずっと集中してみているのが凄すぎてちょっと狂気を感じる。

スマホを行している人はほとんど目が動いてない、すごく小さい範囲でしか目が動いてないし、瞬きの回数が極めて少ない。そんな状態で苦しくないのかなと思うけど、そんなことにすら気付かないほどに画面の中の世界に没入している。没入できることは羨ましいかもしれない。ここ最近そんなに何かにドハマりすることがないから、その点においては羨ましい。

でもなんか嫌なんですよね。

身体感覚から得られる情報の方が圧倒的に楽しいと思う。

 

ダメですね。また対立構造を作り出して、どちらがいいとか言い出している。

なんで人間ってそんなことしてしまうのかとがっかりする。

人間と広くいうのもだめですね。僕はどうしてもそう言う癖がある。

これも習慣と何か関係があるのかもしれない。

今のところそこまで習慣づいているものは無くて、朝こうやって書いている文章ぐらい。

書くことによって、さっきみたいに意識できることがあるからいいのかもしれないなと思いながらも習慣について考えているけど、他に何があるかな。

最近は毎日朝起きて速攻でウンコすると言うのが習慣になっていて、その時に出ないと結構ストレス。

習慣が出来ないとストレスが溜まるような体質になってきたのはちょっと厄介だなとも思っている。習慣がガッチリ身体に染み付いてしまうと融通の利かない体質になってしまうのではないかと言う不安もある。そもそもが融通が利かず頭の柔軟性に乏しい僕が習慣を得ることによって、ますますその体質が悪い方向へ行くのではないかと思っている。まあそれはその時考えたらいいか。習慣はそもそもその時々によって異なってくるものでもあるし、法律みたいに何度議論を重ねてその結果変わるものでもないから大丈夫か。それに習慣を変える前に変えるべきは日課であって、日課を継続した結果習慣になるという順序を間違えてはいけないな。

習慣がその後の体質を構築することになる訳で、体質が変わるというのは途方もない作業のように思える。

徐々に変化しているものは気づく着にくいから、ちょっと楽しみが少ないような気もするけど、それがまたいいのかもしれない。気づいた時にはえっ?こんなに変わってたのって驚けるかもしれないから。

楽しみは先にしたい方だけど、体質に関しては焦っても仕方がないから長い目で見よう。

 

今日は機能に比べてよく眠れたから、書くのもすごく楽な気分出かけている。軽快にここまですすで来た。

睡眠が僕の行動にここまで影響しているとは思わなかった。

こうなるとなんでももっと長い時間寝て来なかったのかなと後悔する。

10代、20代の時はとにかく遅い時間まで起きるようにしていた。テレビを見たり、本を読んだり、音楽聞いた入り、ネットサーフィンしたり。夜の時間が永遠にあるような感じで毎日遅くまで起きていた。日が変わる前に寝るなんてありえないと思っていたけど、優秀な人は毎日早くに寝ていたなと。優秀な人はその辺りちゃんと気づいて行動できていたんだなと思う。素晴らしい。テレビなんて見てなかったんやろうな。

やっぱり習慣が人を作っているのだなしみじみ思う。

日課、習慣を意識して生活してみようかな。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。