いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

連休明けほどダルいものはない。

あっという間に3連休が過ぎ去った。

本当にあっという間。

何で休みってこんなに早いのかと思うぐらいに早い。

嫌になる。

もっと休みたいと思うけれども、そこは社会人であるので、行くしかない。

まあ今週は幸いにも2日行けばまた休みがあるから、まあええかなと思える。

前も書いたけど、就労日は週に4日で充分だと思っている。

それぐらいでないと身体がもたない。

今読んでいる、ストレスについて書いてある本には忙しい人ほどストレスを力に替えていると書いてあった。ほんまかよと思う。

ストレスという言葉の使い方がそもそも違うのだなと思った。

使い方の前提を変えることが大事なのだと。

行きたくない仕事に行く方法は書いてなかった。

それは自分でなんとかしろということか。

本の最初には確かにそんなことは一言も書いてなかった。

ストレスという言葉が曖昧である故、使われ方が様々で、悪い印象だけが一人歩きしている。

その印象を変えることにより、ストレスを力に替えていこうというような書き始めだったように思う。

僕の解釈なので合ってるかどうかはわからないけど。

 

なので僕が今感じているストレスとはまた違うような気がする。

僕は働くこと自体がストレスとなっている。

なぜ労働しないといけないのか、労働が前提にあるのは何故なのかと思っている。

 

でもここで明確にしとかないといけないのが、労働の内容が問題なのかどうなのか。

労働の内容にストレスを感じているとしたら、より具体的にどの部分がストレスと感じているのかを明確にしないといけない。

 

そう言われるとどうだろうか。

今の仕事自体が好きではないのかもしれない。

 

いつからそう感じているのか?

学生時代からだと思う。卒業を間近に控え、今の職業に就くのか、それとも違う職業に就くのかというのを迷ったことがある。

結局変えること自体が大きなことのように思えて、あんまりやりたくはない今の職業を選んだ。

そこからがそもそもの始まりだ。

 

そうなるともっと遡る必要がある。

僕は養成校の専門学校に入学した。

この学校に入ること自体は自らが希望し、今の職業に就きたいと思って受験し、入学した。

入学してしばらくは良かった。

ただ勉強するだけで良かったから。

2年目でちょっとずつ雲行きの怪しさを感じだした。

思考をしないと行けなくなったから。

勉強はそれなりに出来たけど、自分の考えを出すということが苦手だと今まで知らなかった。

そこからがしんどかった。

ある事象に対して、必要な情報を収集して、得られた情報から自分なりに仮説を立て、その仮説が相応しいかを検証し、検証結果に沿って結論を導き出し、出た結論を再度検証するというサイクルをひたすらやり続けるというもの。

情報収集からしてはっきり言って意味が分かってなかった。

こんなにも分からないものかというぐらいにわかってなかった。

それが全ての始まりになったと思う。

その分からないというストレスに僕は耐えられなかった。

なぜ分からないのか?

分かるようになるための道筋が全く見えなかった。

そうかそこからか。

分からなかったら聞けばいいと思って聞こうと思っても何が分からないのかが分からないとなった。

それはまたまた困った。

この暗黒のループをひたすらに繰り返した結果この職業に向いてないという結論を学生時代に出してしまった。

分からない状態に耐えられなかっただけ。

多分それだけ。

そこを受け入れることが出来なかった。

出来の悪さを受け入れることが出来なかったために今があるのだと思う。

 

なるほどわかりました。

そういうことか、出来ないという状態を受け入れない様にした結果か。

それなら自分が出来が悪いことを受け入れた上で何をするのかを考え直せばいいということか。

ちょっとやる気出るかもしれない。

誰かが問題に遭遇したら因数分解したらいいと言ってた意味がなんとなく分かってきた。

問題を分けて行くことが、分かる過程の一つなのかもしれない。

こんな基本的なことが分かってないことに驚くけど、出来が悪いから当たり前。

 

ちょっと気持ちが変わるかも。

 

なので今日はこの辺で。

大丈夫、きっと上手くいくよ。