いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

仕事と自分事で向かう気持ちが全く違う

苦手と言いつつも何年も仕事を続けている。

今年でたぶん15年ぐらいになると思う。

嫌だ嫌だと言いながらそこまで続いたら本当に嫌なのかと自分でも疑う。

でも嫌なことは間違いない。

だって毎日ストレスを感じながらやっているから。

ここまでストレスに耐えている自分すごいと内心思っている。

人にはそんなこと全く言わないけど。

その代わりここでは言わせてください。

ストレスに耐えることって本当に大変。

口内炎は出来るし、便秘にも、下痢にもなる。

夜中に目が覚めることもあれば、急に胸が苦しくなることもある。

そんな中でも仕事を続けている。

現状続けている一番の理由としては生活をするために一番手っ取り早くお金が稼げる方法が今の仕事だから。

それ以上の理由は今のところない。

人に言わせるとやりがいのある仕事でいいねとのことも、僕の中ではそんなこと一度も感じたことはない。

一度もないっていうのは言い過ぎかもしれないけど、それぐらいやりがいを感じていない。

しかし、同職種でもすごくやりがいを感じ楽しそうに仕事をしている人もいる。

この違いは何だと言うことにもストレスを感じることがあった。

最近でこそそこは個人差だと割り切れるようにはなったけど、以前はそこにすごく悩みを抱えていた。

僕の仕事は対人関係で、その人がより良くなるようにサポートするのが主。

なので、僕の思いがどうかよりもその人がどう感じているかが何よりも優先される。

そこが一番つらいのかもしれない。

仕事の結果が明確に出る上に僕の技量一つで大きく結果が異なる。

人が違えばその結果も大きく変わる。

それは言い訳でしかないし、それを言うなと言う人もいる。

そう思うなら次に生かせと。

それを言った瞬間に仕事で関わった人に対して失礼であると。

確かにそうかもしれない。

そんなことは分かっている。逃げの言葉でしかない。

自分の技量一つで変わると思っていること自体がまず傲慢なのかもしれないけど、勝手にそれだけ重要な仕事と思ってしまっている。

周囲が思うほど僕は期待されていないというか、僕の行動がそこまで影響を与えているとは思っていないのかもしれない。

だから、あまり考え込まないようにしている。

仕事は仕事と割り切って、ライスワークでいいじゃないかと捉えている。

そうすると気持ちは楽になった。

でもやりがいと言うものも同時に切り捨ててしまった感じがして、チャレンジする気持ちもなくっている。

それでいいのかなと?と常に疑問が頭の中を渦巻いている。

今の仕事が向いていないのか、それとも仕事自体が向いていないのか。

良く分からない。

でも楽しさとしてはほとんどない。

じゃあ辞めればいいと言われるかもしれないけど、中々そうもいかない。

優柔不断な自分がそこにはいて、中々行動できない。

それもそれと思って今は仕事のことはある種の放置と言えるかもしれない。

これも人には言えないけど、ほぼ惰性。

それしかない。

とりあえず今はそういう時期と割り切ってしまっている。

良いか悪いかで言えば良い訳ない。

でも精神面を持たせるために今はすいません。

 

反面自分事になると楽しくてしょうがない。

それが生きがいになっている。

自分事だと失敗を恐れることなくいくらでもチャレンジできる。

自分の行動の結果は100%自分の責任で誰にも迷惑をかけることがない。

自己満足で全てのことを終えることができる。

それがすごくいい。

ヨガをやっている時は常にそんな感じで。

アーサナを取っている時は身体だけに目を向け、できたか出来なかっただけ。

もっとこうしてみようとか、こうしたらもっと良くなるかなとか。

上手くいかないことが凄く楽しい。

失敗したことが凄く楽しい。

仕事では絶対失敗したくないと思うのに、自分事ではいくらでも失敗したいと思える。

 

この違いって一体何なのか。

これが解明できれば、仕事への向き合い方が全く違ってくるのに。

一つはさっきも言ったけど、自分事だと自分にしか影響しないから失敗が失敗でないし、できなかったことが分かっただけで、一つ進歩したと思える。

でも仕事だと一個試したことが上手くいかないとそれはただの失敗で、進歩したと思えない。

これなんで?対象が違うだけで内容はほとんど同じ、それなのに捉え方が全く異なっている。

仕事だと失敗は相手に迷惑をかける行為だと思ってしまうからかな。

実際に相手がどう考えているかは聞いたことはない。

その前に止めてしまっている。

自己判断で止めている。

そこが一番の問題なのかな。

結果を正確に検証していないのかもしれない。

検証をしないまま、放置していることがたくさんあるから、それが蓄積して重く僕の心にのしかかっているのかもしれない。

そうだとすれば対応方法はすごく簡単。

検証作業をひたすらしていくということ。

でも自分事の時は検証してないな。

自分事の時はひたすら試しまくって、上手くいったらそれでいいし、上手くいかなかったらそれでいい。

先に生かしたいとかもないし、ただただ楽しいからやっている。

創意工夫はしているかもしれない。

もうちょっとこうしてみようとか、そう言えばやっている。

これをやるだけでも少し楽しみは出てくるかも。

惰性ほど楽しくないものはない。

惰性って作業やもんな。

いや、作業でも創意工夫をこらすことはできるから、作業に対して失礼か。

 

とりあえず仕事に関しても創意工夫をこらす。

どんな創意工夫かと言うとどうやったら楽しくなるか。

それだけ。

それだけをひたすら考えて行こう。

単純かもしれないけど、まずは単純なものでもなければ続かない。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。