いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

久しぶりにダラダラと書く。

いつもダラダラだと書いているけど、最近はヨガ関連で書くことが多いからある種目的は持って書いている。

でも今日は朝早く起き過ぎたから書くしかなくて書いている。

どうでもいい話だけど、当初タイトルは「久しぶりにとりとめもなく書く」としようと思ったけど、語感的に「とりとめもない」というのが当てはまりそうな気がしたけど、いや果たしてこの使い方は正しいのかと気になって、調べたけど今の気分と合ってないような気がするし、適当に使うのもなんとなく気が引けるから止めた。

でも書きだしてみるとこれは、この文章は「とりとめのない」文章であるような気がして来てタイトルを戻そうかと懸案しているが、言いだすとキリがないし、元々自分の文章が正しさを追求して書くような文章ではないからどっちでもいいとなって、タイトルを修正するのが面倒になってきたから、修正せずにこのままにする。

ほらやっぱりダラダラと書いている。タイトルを変更した方がいいと考えた時の僕の思考は正しかったのだとホッとしている。

でも言葉の使い方というのは改めて難しものだと思う。

今僕が書いている文章のどこに正しさがあるのかわからない。

もしかすると全て使い方を間違っている可能性もある。

音で聴いた言葉をその場の雰囲気・流れで理解し、使い方としてただしいのではないかという仮定の下で書いている。

人が発した言葉を使い方が正しいのかと改めて調べたことなどないから、僕の言葉は適当に出来上がっている。

かと言って完全にデタラメであるという認識の下書いている訳でもない、多少は気にしながら書いている。

だからそれは間違っていると言われればそれは仕方がないかなと思っている。

どこまで自分の言葉に責任を持って書いているのか。

それって書き手しかわからないから、読み手からはそれは創造することしかできない。

だから字面だけで判断して、過剰反応をするのはおかしいのではないかと思う。

逆にそこにそれだけエネルギー注げるのすごいなとも思う。

自分の今いる現実世界で起きたことにではなく、文字で捉えた世界での話にそこまで過剰反応できることがすごいと。

画面上で見た文字だけの世界でなぜそこまで熱くなれるのか。

そこはある意味すごいなと思っている。

文字の世界って現実世界ではないの人、あたかも現実世界だと思って捉えている。

映画の世界と何ら変わりはない。

現実と文章の世界を同一視できること自体が、創造力豊かだなと思う。

もちろんすべてが現実と異なる訳ではないけど、逆に言うとその字面が全てを表現出来ている訳でもない。

だって実際に見たものではないから。

というか実際に生で見たものであったとしても、その人のフィルターを通して、脳で変換されて感覚として認識されている訳だから、実際に生で見たとしても100%認識できているかどうかも怪しい面もある。

そのことを理解した上で物事を判断した方が良い。

自分なりの解釈が入っている。

ここに関しては「絶対」という言葉をつかえるのかもしれない。

この世界に関して100%間違いないということはないからこそ、起きている現実を100%捉えられているということは「絶対」ないと断言できる。しらんけど。

 

まあとりあえず世の中の人は色々なことに熱狂出来るのだなと。すごいなということを言いたい訳で。

現実に目の前に起きていることですら、認識できていない可能性があるのに、なぜ文字としてしかとらえていないものに対してそこまで熱を注ぐことができるのか。

やっぱり創造力が豊かだからかな。

文字に書いているあることをまず捉えて、更にはそこから想像できることを組み合わせて勝手に自分の中で世界を拡げて、捉え直している。

だから文字を見て熱狂出来るのかな。

本当に面白いなと思います。

そう言う僕も同じです。

本を読んで熱狂することがあるから。

どの点に着目して熱狂するかは人それぞれ違うから同じとは言えないかもしれないけど、大差はない。

でも熱狂した後のそのエネルギーの使い方が人それぞれ違う。

熱狂して、それを自分の中だけに収めるのか。それとも外に発散するのか。

中に収めるのでもそのまま自然と消え去るのか、何らかの形で残すのか。

外に発散するのも顔見知りの範囲で収めるのか、それとも不特定多数に向けて発散するのか。

どれが良いとかではないけど、どれが悪いとかでもない。

なんとなくあーどうなんだろうかと思っただけ。

僕の場合はこうやって粛々と文章を書いて終わり。

手書きで手元に残すのか、こうやって公に残すのかぐらいの差。

他人に共感を求めるでもなく、どう解釈されてもいいから書く。

 

やっぱり結局結論を持って書きだす訳ではないから、書いている最中に何を言っているのかわからなくなってくる。

これが「とりとめのない」文章ということになるのかな。

今日は「とりとめのない」文章の例文を書いているのかもしれない。

見本を書いている。

読んだ人はこれこそが「とりとめのない」文章出るよと理解してもらえるとありがたい。

 

急に話変わるけど、最近で言うと結構自分のしたいことが出来ている。

書いているし、身体動かしてるし。

だいぶ満足出来ている。

仕事はそれなりにやっている。

全力尽くしているかと言われると怪しい部分もあり、そのために成長はちょぼちょぼしかないけど、それでも変化している部分もある。

そう考えると現状めちゃくちゃ良い状態じゃない?と思える。

近年では中々ない状態。

苦手な仕事をしているからストレスフルであることは間違いないけど、少しだけストレス耐性が出来ている可能性もあって、疲れが少し減ったような気がする。

この気がすると言うのが凄く大事だと思っていて、これまでは気がするなんてなかった。

これは成長ポイントだと思っている。

いや毎日に感謝。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。

恭平さんにこの言葉教えてもらえてよかった。

ありがとう上手くいってます。と返答したい。