幼少期から落ち着きがないと言われ続けてきました。
今も大差はないような気がします。
ジッと過ごすことがあまり好きではありません。
だから休日に家で過ごすということがすごく苦手でした。
家で過ごすことがすごく苦痛というか、もったいないというか。
休日を家で過ごしてしまうと後悔することすらありました。
なんでそんな風に思うのかは未だにわかりませんが。
今のところに引っ越して来て3年目になります。
来て1年目は引っ越しや生活に必要なものにお金がかかり、正直生活に余裕はありませんでした。
そのため外食や外出など出かける機会が極端に少ない時期が半年以上続きました。
休日は家でダラダラ過ごすという具合に特にやることがありませんでした。
そんな過ごし方しかできなかったので、当時はちょっとしたことでイライラして妻に怒ることもしばしば。妻は何も悪いことをしていないのに、本当に申し訳ないことをしたなと自戒しております。
そんな1年目を過ごし、翌年から今も続くコロナ禍での生活が続いています。
外出自粛が強いられ、自宅で過ごすことが多くなっています。
もしかしたら1年目より外出機会は減っているかもしれません。
でも1年目ほどイライラすることもなくなり、無事平穏に過ごせる時間が増えています。
性格的な変化というのは特には感じていないので、行動に変化が出てきているということかもしれない。
特に変化した部分としては、睡眠に重点を置くようになったということは功を奏しているというか、変化の重要な部分であるように感じる。
そもそもが寝るのがもったいないと20代のうちは感じていたし、特に休前日、休日に関しては睡眠時間を削ってでも出かけたいという感覚は強くあった。
そんな生活が気持ちに余裕をなくし、ジッとしているということを余計に嫌にさせていたかもしれない。
それに睡眠時間が少ない生活をしていると、何かに集中することもできにくくなるから、とりあえず出かけるということを繰り返していたのかもしれない。
睡眠時間が確保できてからは、朝を余裕を持って過ごすことが出来、何をしようかと考える時間も持てる、そのために何もしない時があっても選択して、何もしないということが出来ているから後悔は少ない。
今はっきりとしました。
何もない休日を自ら選択したということが大事で、最近はそれが出来ていると言うことがすごく重要なんだと思います。
自ら選択すれば、その結果がどうであれ、ある程度は受け入れられるということか。
これまで何もない休日というのはダラダラ過ごした結果で、本当は違うことがしたかったのにという言い訳の下、後悔が生まれていた。
でも今は今日は何もしないでおこうと自ら選択しているから、納得して何もない休日を過ごせている。
習慣とか性格ではなく、自ら行動を選択できていると言うところが、充実に繋がるということか、すごく納得しました。
また自己完結の文章を書いていしまった。
自らの中に起きる謎を解決するのが僕のブログですね。
いや、今日もためになりました。
解決できてよかった。これからもどんどん自分の中に起きる謎を解決していこう。
大丈夫、きっとうまくいくよ。