いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

満月ってズルい

このタイトル冷静にみるとなんか満月の夜にやらかしたみたい、満月の力のせいでその夜になんか起きたみたいな風に読めるな。そんなことは全然なくてですね。ただただ満月の存在と言うのはずるいと思うのです。先週中秋の名月からの翌日満月という月祭りがありましたけど、皆さん見ました?僕はばっちりと見ました。中秋の名月の日には部屋を真っ暗にして窓際にベンチを置いて、真っ暗な中でコーヒーを飲みながら月を愛でたぐらいですからね。月の魅力ってすごいですよね。そんな月がズルいなとふと思ったんです。人間はどうして月一回の満月をどうしてそこまでありがたがるのかと。人々をそこまで熱狂させるなんてなんでなんと。だって月って人間の生活に直接的に関わることってありますか?少なくとも僕の人生において月に感謝するような出来事はありませんでした。だってほのかに明るいぐらいで、蛍光灯の灯りで夜はやり過ごせるから。しかも月明かりの下で何かすることもなかったし、月明かりの下でキスをするなんていう山崎まさよしの歌詞みたいなことも経験したことないし。特に恩恵を受けた記憶がないんですよね。月と言えば太陽。太陽は毎日夜明けを知らせて、光を与えてくれる。太陽が昇ることで植物が育つし、気温も上がって過ごしやすくなる。日光を浴びることによって様々な恩恵を受けることができる。にも関わらずですよ。人々は毎日の太陽に感謝をするということはまずもってほとんどない。まあ太陽に関心を持つとしたら、夏限定。暑いねん。日差しきついねん。日焼けするやろ。日差しきついからシミできるやん。直射日光当たったら食材傷むねん。日当たってたからここ日焼けして、色薄なってるわ。とかとか、みたいなどうしようもないネガティブな思いを太陽にぶつけるだけです。その点月は満月でも、三日月でも、半月でも。なんとなくありがたがるだけ。ネガティブな思いを抱くことなんてほとんどないんじゃないでしょうか?それっておかしくないですか。しかも月は太陽の光があるからああやって輝ける訳であって、太陽がなかったらあそこまで輝くことはできないんですよ。太陽の光をまるでスポットライトかのように利用して、人々から愛されるなんてどうなってねん。光の存在である太陽が月を支える縁の下の力持ちってどういう状況やねんって。満月を見ながらそんなことを考えていました。でも月が嫌いになった訳じゃありませんから。自然界で起きてることは人間の狭い世界でももちろん起こってるなと。そう感じただけです。太陽は僕大好きなんです。暑いけど。太陽は何も言わずにそこにあって光を照らし続けてくれます。あれだけのエネルギーを与えてくれながら、何も見返りを求めてきません。誰からもありがたがられなくても照らし続けてくれています。まあ太陽は僕たちに何か与えようとしてそこにいるわけではなくて、太陽の存在を人間が勝手に解釈しているだけかとは思うんですが。そんな太陽とともに生活するのが自然だと思うから。日が昇ったら目覚めて、日が沈んだら休むという生活に早くシフトしたい。