いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ちょっとだけクセの話。

パソコンの調子が悪い。

なぜかネットに繋がらない。

なので今日はキーボードとiPhoneを使って書いている。

しばらくはこのやり方でやっていたのだけど、どうしても打鍵感や入力の方法に慣れなくて結局やめてしまった。

慣れるまで我慢するというのが苦手なもので、ダメだと思うとすぐに辞めてします。

悪いクセだなと思いつつ、なかなか変えられない習慣でもある。

今日は仕事が休みだから時間があるので、良かったけど平日だとそうも行かないから、パソコン調子悪いなら買い替えたいと言う気持ちにもなる。

お金ないくせに物欲だけが暴走している。

欲求は依然より減ったように思っていたけど実際はそんなことはなかったみたい。

これからも物欲が僕の中から消えることはないだろうなと確信しました。

 

書こうかなと思ってたことがなんとなくあったけど、急速にトーンダウンしている。

正直言って今日はもう書かなくてもいいのではないかと思ったぐらい。

それぐらい書きたくなくなった。

幼少期からそうなのだけど、何かやろうと思っていても横槍が入った瞬間に猛烈に冷めるというクセがある。これも未だに改善されていない。

改善するつもりもないけど。

どれだけ熱を持っていても横槍には弱い。

ただの駄々っ子なだけだとは分かっているけど、これも辞められない。

 

クセというのはどこから来ているのかと不思議に思う。

誰かに教えられたものだろうか。

生存戦略としてあるのか。

人生の経験がそうさせるのか。

どれも違う気がする。僕の選択の仕方や思考に関しては、どう考えても生きやすいものではないと考えるからだ。

慣れるまでに辞めてしまうのうも、続けたらそのスキルなり習慣なりが身につくわけだから、慣れるまで続けた方が良い面は多いし、出来る選択肢が増えると言うことは生きていく上で非常に大事なことだとも思う。それに親からもそのように言われて来たような気もする。

じゃあなんでそのマイナスなクセが染み付いてしまったのか。

色々考察するのがめんどいので、ここですぐに結論を出しておきたい。

結論としては脳がバクっているからだと思う。

僕の脳はおそらくどこかがバグっているそうに違いない。

そうでなければ正常な判断が出来るはず。

そういう前提のもと生きて行こうと思う。

そうすれば多少人と違う行動を取ってしまったとしてもすんなりと納得できるはず。そういうことにしておこう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

真面目な文章は難しい

昨日は職場のミーティングがあった。

いつもならただ聞いているだけ、聞き流しているだけ。

でも昨日は議事録の作成を依頼されたため、聞くしかなかった。

議事録を書くなんていつぶりだろう、この年齢になって書くとは思ってなかった。

年齢は関係ないか、でももう書くことはないような気がしていただけけに緊張した。

話聞きながら、書くという行為が結構難しいのだなと感じた。

いつも議事録を書いて頂いている皆様に感謝した次第。

同時並行で作業するのがやはり苦手なようで、聞いたそばから抜けていく。

全然上手く聞き取れないし、文字の入力も中々上手くいかない。

ZOOMでの参加で、現地の音声が時折途切れたりもするし。

意外と難しいものだなと認識した。

確認作業を終えて、提出するまでに2時間ほどかかってしまった。

時間かかりすぎな気がする。

いつも1000文字書くのに20分もかからないのに。

今回の失敗を活かして再度チャレンジしたい。

次回も作成してもらえるように話をしてみよう。

 

いつもこうやってただひたすらに文章を書くのはいくらでもできるのだけど、

ちょっと真面目に書こうとすると緊張して入力がスムーズでなくなる。

普段の文章をいかにテキトーに書いているかと言うことがはっきりわかる。

この文章をもう少し気合をいれて、推敲などしてやった方がいいような気もした。

でも20分ぐらいしか時間が取れないので、中々そこまで手が回らない。

どうしてもキーボードを叩きまくるという手段しか今のところ選択できていない。

文章の書き方についての学び直しが必要な時期にきているのかもしれない。

とりあえず1000は行けるから、1000内で綺麗に書けるようにしたらいいかな。

でも20分で1000が多いのかすらわかっていない。

正直なんの基準もなくただ書いているだけなので、上手いも下手も理解してない。

早いのか遅いのかすらわかっていない。

それを知るためには基準となる文章を知る必要がある。

何を参考にしようか迷う。

あまりに文学的な人の文章を参考にしても仕方がない。

以前、マネする人を坂口恭平氏、みうらじゅん氏、鴨長明としたけど、鴨長明はなんとなく違う気がした。

鴨長明は結局は冒頭部分というか、「ゆく川の流れは・・・」のところが知りたかっただけで、どの程度文章が優れているのかよくわからない。

まずは坂口恭平氏の文章を見直してみようかな。坂口恭平氏の本なら家に10冊ぐらいあるから、それを分析してみよう。

待てよ、分析の仕方も知らないのに読んでみても仕方がない気がする。

でも厳密にやる気もしないから、テキトーにページ開いて、良さそうな文章を見つけてマネするみたいな感じでもいいか。

そうしよう。まずはやってみることが大切や。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

「健康はかっこいい」のか?

どこかでこの言葉を見たんですよね。

「健康はかっこいい」

見た瞬間めちゃダサいと思ったのを覚えています。

言葉がダサイのであって、健康自体を否定している訳ではありません。

健康は何よりも優先されることであり、健康は全てのベースだと思っています。

でも、この言葉がダサく感じるのは、健康ってそういう対象ではないやろと。

かっこいいとかかっこ悪いとか言う物差しで測るものではない。

かっこいいから目指すとかそんなんちゃうやろと。

当たり前にあるもので、かけがえのないものであるのにかっこいいってナニ?

と思うのです。

 

いわゆる健康的な生活をしていると、周囲からは「めっちゃ健康的やな」とか「じじいか?」みたいな感じで揶揄されることが結構多い。

それが不思議で仕方がない。

睡眠時間を多めにとったり、食事内容に注意を向けたり、運動の時間を確保したり、仕事の時間をできるだけ短くするように努力していることなどを優先していると他者は何をしているのかと思うらしい。

バカにするとまではいかないがやや軽んじられている気がする。

もっと他にやることがあるだろうとか、まだ若いから大丈夫やろ。みたいな。

人それぞれ考え方があるから、健康的でありたいと感じて、そこを優先する考え方があってもいいのではないかと思う。

僕がどれだけ健康というものを意識したとしても「健康はかっこいい」とは思わないけど。

 

健康に関して最近考えることが多いのだけど、健康って何かなと考えると難しいし、基準とかないし、かと言ってどんな状態でもその人が思えば健康かと言うとそうでもない。

自由度はありつつもその方法は間違っている。それでは逆効果であるとか、健康をめざしているのに健康に関しての話になるとヒートアップする人がいたり、他人のことを批判してしまう人も結構いたりで、めんどくさい話題ではある。

そういうところが結構嫌いでもあったりする。

言葉の意味が曖昧であるために考え方も様々で人によって違いするぎるから、

「私健康のために頑張っています」と強調する人が多かったりする。

所謂マウント取ってくると言う感じの人が多いようにも感じる。

あと健康産業と言われるぐらいなので、ビジネス化されている分野だとも思うので、その辺も僕の気持ちを遠ざけている部分でもある。

健康を売りにすると言うのもどうなのかとか。

と言いつつも健康にまつわる仕事をしたいなと思っていたりと、健康と言う言葉はある意味でカオスを生んでいると言ってもいいのではないかなとか。

気軽に健康について語りにくい世の中にあるのではないかなと。そうなるともはや健康を語っているのに、健康ゾンビみたいな感じになって、逆に不健康な感じにも見えてくる。

だから僕が思う健康観はシンプルにしておきたい。

ということで僕の思う健康観は「元気である」ということだけ。

どんな病気であろうが、どんな身体的な状態に置かれようが、元気そうだったらいいのではないかなと。

散々色々言った挙句にかなり曖昧になってしまい、悔しくはあるけど、厳密にしすぎてもあかんなと思いこんな感じにしました。

また少しずつ肉付けして、そしてシンプルなものにできるといいかなと思っている。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

今年は自分にとって健康元年らしい。

今年やることがようやく明確になってきた。

腰痛解消、脳内の解放...あれ?

昨日ねる前は今年はこれやなというのがあったけど、忘れた。

メモしまくるというのもいつの間にか忘れててほぼしてない。

覚えているのが上記の二つぐらいやな。

とりあえず腰痛に関しては、そんなに頻繁に感じることは無くなっている。

だるさも以前より改善している感じがしてて、結構良い感じな気がする。

これは睡眠時間を増やしたこと、運動をしていること、姿勢を気をつけていることが好影響を与えているような気がする。

脳内の解放も睡眠時間の確保によってちょっとずつ進んでいる。

 

他にもだんだんと思い出してきた。

腸内環境の整備、文章能力の向上、冷えの改善、膝の違和感の解消。

まだほかにもあったような気がする。

腸内の整備に関しては未だ先が見えずという感じで、かなりムラがある。

それでも以前よりは苦しんでいない感じがする。

文章に関しては向上している感じはしないが、たくさん読んでたくさん書くことが大事らしいからその辺はちょっとずつ練習出来ている感じ。

冷えに関しては腰痛・腸内の整備とセットかなと思っているので、直接的なアプローチはしていない。

でも最近お灸にハマっていて、毎日お灸をしている。やったあとは全体的に足の冷えが解消される感じがする。

あと冷えに関してはほぼ足だけなので、全身的な問題と言うよりはやはり腰周辺の問題が影響しているように思うので、腰痛の解消がカギになると思っている。

膝に関してはこれは腰痛と同様に数年来悩んでいるもので、どうにかならんかと思いながら放置してきた。これはそろそろ対策を打たない将来的にめんどくさいことになりそうな気がしている。何かしら考えよう。

 

忘れていたものが一つある。頻尿。

これは結構大きな問題直接的に仕事に影響している。このために仕事中の集中力を欠いていると言っても過言ではない。

病院へ数カ月通ったが薬物療法だけで一向に変化なし。あまり意味がないような感じがしたので、とりあえず自分で何とかすると決めた。やっていることとしては腰痛対策が関連するかと思い、直接的な対策は講じていない。ちょっとはましになっている感じがするので継続していく。

 

あと親知らずも抜くことに決めている。

でも良さそうな病院がまだ見つかっていない。これは今年の前半には完了させておきたい。早急に対策が必要。

 

こうやって振り返ってみると今年は主に健康のことにしか興味がないような感じ。もちろん外出して行きたいところはあるけれど、とりあえず現状を鑑みてそれは中々難しいらしいので、健康な身体を目指してやってみよう。

あと健康な身体を目指すにあたって、自分の健康観というものをもう一度見つめ直すということも大事かもしれない。これはあいまいではなく、言語化して残しておく必要がある。年代によって変化するので、記録の必要性を感じる。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

脳は僕に色々と見せてくるけど惑わされてはいけない。

昨夜の夢は久しぶりにカオスだった。

結構苦しいというか悲しいというか嫌な夢だった。

ハッピーな夢は今までにほとんど見たことがない。

おそらく脳内の混沌そのものが夢なのだろうと思う。

そしてカオスな夢の時は眠りもいまいちなのかもしれない。

それでも今日はなんとか起床できた。

15分ほど予定より遅くはなったが、それぐらいの遅れだと予定通り朝の準備が出来るぐらい。

そう言えば金曜日の夜と土曜日の朝はいつもより遅かったため、その辺りが影響して昨日は起きるのが辛かったのかもしれない。一日いつもと違うだけですぐにリズムが変わるらしい。

どれだけ身体は繊細なのかと思う。

システムがしっかりと組まれているから、ちょっとした変化に瞬時に反応して順応しているのだなと改めて実感。

同時に融通が利くものでもないのだなとも感じる。

一日ぐらいいいじゃないと思うけど、信号の方が大事で感情は後回しになっている。

やはり脳は合理的に出来ている。

感情で動くものではない。

だから願うとか思うとかではなくて、行動を変えて行かない限り変化はしない。

逆に言うと行動を変えるだけですぐに変わる。

「心が変われば・・・」という言葉があるけど、まさにそう。

目標が出来て、行動が変われば習慣が変わり、人格にも変化が現れる。

習慣レベルまで変わってくると脳のシステムも変わってくるはず。

僕の場合は今のところ行動レベル。継続して習慣が変わるようにやっていきたい。

 

人格が変わったらすごいことやなと思う。

三つ子の魂百までで、変わらないものもあるかもしれないけど、行動が変わると人格まで変わる可能性ありそうな気がして楽しみ。

もっとにこやかで優しい、悪態などつかない人間になりたい。

癖のある人間なんて今は求めていない。

癖のある人間が面白いとは今は思わないし、それは個性ではない。

前まではちょっと人と違う視点とか人と違う発言を目指していたけど、

別々の人生送っているから、そんなことしなくても個性は出る。

個性に関しては特に意識する必要ないと思う。

そんなことに消耗してるぐらいなら、寝た方が圧倒的に有意義。

個性がないのを気にし過ぎて人を傷つけてきた可能性すらある。

もっと社会に貢献できるような人間になりたいと思う。

対外的にはそうなりつつ、内面においてはまた違った一面があるぐらいがちょうどいい。

外面はあって問題ないと思う。

他人との接触面においては柔らかさや朗らかさが必要だと思う。

そうなれば自然と人は安心できる。

もちろん内面においても柔らかさがあるともっといい。

自分に柔らかい方がいいに決まっている。

むしろ自分に対しての方が柔らかい方がいい。

うん。きっとそう。

自分に対しての柔らかさが滲み出てて、他人にも優しいのが一番。

そこを目指していこう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

誘惑に負けた。言い訳しかでない。

今日は朝起きられなかった。

理由は明白で、寒かったから。

それだけ?と言われそうな気もするけど。それだけ。

ちょっと気温が低いと急に活動量が低下する。

今日の朝は結構寒い。温度計は17度を下回っている。

それは僕の中では結構低い方。

アラームがなった瞬間に寒いなと感じた。僕の感覚は間違ってなかった。

 

自分の感覚って大事だなと思っている。

他人からどれだけ正論をぶつけられようが、感覚で違うと思えば違う。

そうやってこれまで生きてきた。

意固地と言えばそれまでかもしれないけど、感覚がそう言っているんだから仕方ない。

感覚に従わない訳にはいかない。

そうやって僕は脳に従属したきたように思う。

結果がどうであれ、まあ仕方がないかなと開き直ってきた。

選択の仕方としては一般的にはもったいないとか、もっと可能性があったかもしれないと言われそうな気もする。

でも正論を選択しても上手くいくとは限らない、というか選択している最中からずっと嫌な気でいるから、上手くいったとしても納得できない。

そういう損な生き方をしてきている。

 

やっぱり眠りが不十分であるとネガティブなことを書きがち。

というかひねくれやすい。

僕のこれまでのひねくれの性格は眠りから来ているのではないかと薄々感じている。という願望を抱いている。

睡眠を中心にした生活をしていった結果、どんな変化が今後あるのか楽しみにしている。

とか言いながら、今日はいきなり朝から睡眠の法則を無視して5度寝ぐらいした。

どうしても布団から出れなかった。

その要因を探ってみたい。

昨日はいつもの通り朝5時頃に目覚め、日光を浴び、起床後6時間後ぐらいに目を閉じた。夕方に運動は少なかったような気がするけど、概ね法則の通りに行動した。

そして布団に入る1時間ぐらい前に入浴を行い、22時前には布団に入っていた。

ここまでは大きな問題はないはず。

それからしばらくして尿意を催して2時半ぐらいに目覚めた。というかここで時計を見てしまったのが一番の要因かもしれない。

本にはそう書いてあった。時計は見ないと。

でも誘惑に負けて見てしまった。

それでもトイレに行ったあといつもはちょっと眠れない時間があるのに、今日はすぐに再入眠できた。

だから大丈夫だと思っていたけど、5時のアラームがしばらく聞こえず、気づいたらすぐに消して2度寝を始めてしまった。

ここでかなりの葛藤があった。いつもスヌーズ昨日は使わないけど、タイマーをかけて2度寝を始めてしまった。

ここが全ての過ちか。

ここから5時45分過ぎまでなんどもタイマーにて粘ってしまった。

だって寒かったから。。。

この起床直後の寒さに対してどのように対処をしたら良いかと言うことを考える必要がある。

前日には既にわかっていたので、対策は立てられたかもしれない。

 

今回の反省点としては夜間中途覚醒したとしても時計は絶対見ない。

もう一点としては前日までに最低気温を把握し、対策を講じる。

これでなんとかなるかもしれない。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

脳内の整理は睡眠の担当

昨日読んだ本に書いてありました。

というか何年も前に買って読んだのに忘れていたという方が正確か。

 

誰でもできる! 「睡眠の法則」超活用法

誰でもできる! 「睡眠の法則」超活用法

  • 作者:菅原 洋平
  • 発売日: 2013/09/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 8年前にこの本を買ってしっかりと読んだつもりでしたが、全く実践していなかったということ。

脳内の整理は睡眠が担ってくれていると書いていました。

疲労回復のための睡眠ということもあるけど、整理や計画の立案まで担ってくれているとのこと。

久しぶりに開いてみてなんということでしょうって感じでした。

文字に起こしてひたすら脳内会議をぶちまけるということが脳の解放だと思っていた浅はかさ。逆に恐れ入ります。

そんな根性論ではどうにもならないようです。

身体というものは効率性を大事にしていますから、いかにロスなく負担なく身体に対して合理的であるかと言うことが優先されます。

にも拘らず僕はひたすらに脳にストレスを与え続ける生活をこれまでにしてきました。

この本に書いてあることの真逆の事ばかりしていたことに驚かされます。

そら疲れも取れない訳だと。

年齢の問題でもストレスの問題でもなく、生活パターンの問題であるということが浮き彫りになりました。

でもその分気持ちが楽にもなりました。

生活パターンというか、行動を変化させるだけで、脳内が整理されるというシステムを活用できる訳ですから。

ここに関しては努力や才能ではないと言うことがはっきりしました。

少し行動を変えるだけ、それだけみたいなんですよ。

一番簡単なのは前日の就寝前に明日は○時に起きると唱えるだけ。

自己覚醒法と呼ばれ、就寝前に三回唱えるだけです。

こんな簡単な方法ありますか?

たぶんないですよね。

まあ他にも色々と書いてありました。

これからしばらくはこの本に書いてあることを少しずつ書いていこうかな。

そうすることで睡眠の習慣が改められるし良さそうやな。

読書感想文は一気に書けなさそうなので少しずつ。

 

そう言えば昨日は映画を見に行った。

面白かったです。「騙し絵の牙」だったかな。

小説が原作の映画でした。

ストーリーはさることながら、展開の速さとテンポに音楽が合っててすごく良かった。

むしろそれが一番良かったかな。

劇中音楽はLITEというインストのバンドらしく、めちゃくちゃカッコよかった。

あんなに劇中音楽で高揚感あったの初めてかも。

youtubeで他の曲も聞いたらカッコよかった。音楽やっぱりいいですね。

エンタメは必要ないかなと最近は遠ざけてきたけど、いるな。

あった方が充実する。フェスには別に行かなくてもいいけど音楽は普段からもっと触れておきたいなと改めて実感。

くるりのアルバムももうすぐ届くころやし、色々と楽しみ。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。