いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

脳内の経過

脳内整理を始めて半月以上が経過した。

現在の脳内はというと以前として混沌としている。

色々な情報が目まぐるしく行き来している。

そんなものなのか。

思いつくものや過去を振り返ったり。あれをどうしようとか。

本当に休まる暇がない。

寝る前も目覚めてすぐも、考え事をすごくしたい脳みそだなと思う。

というか脳みそというのは本来そういうものなのかな。

あまり詳しくないのでよくわからない。

そう言えば脳と腸と関連があるという話を聞いたことがある。

脳のストレスが大きければ、すぐに腸に現れて便秘やゲリ、大量のガスが出るとかって誰かが行ってた。

臭いガス、大量のガスはストレス過多のサインであると。

私はまさしくその状態です。

毎日臭いガス、大量のガスを放出し続けております。

おそらく地球環境に害を及ぼすほどの質と量ではないかなと自負しています。

地球環境の前に家庭環境に害を及ぼしている可能性も示唆される。

一時期落ち着いている時もあったけど、また復活しています。

脳の混沌と腸の混沌は同じかもしれない。

混沌とした世界ってドロドロして綺麗なイメージないですもんね。

おそらく僕の腸内はそんな感じ。

ドロドロして褐色な感じ。

もっと明るく、ピンクなファンシーな腸内にしたいなと思う。

だって腸内フローラってピンクでファンシーな感じじゃないですか。

とすると脳内もそれ合わせる必要があるよな。

腸内をピンクな感じにするなら脳内もピンクに。

脳内をピンクにするにはどうしたらいいだろうかと考える。

日頃は不満や怒りに溢れていたり、不安もあったりする。

不満って何色かなどす黒い感じかな。

怒りはマグマみたいな赤褐色的な感じかな。

不安は深海のようなすごく濃い青で黒に近い感じかな。

やっぱりピンクからはほど遠いよな。

ピンクってパステルカラーやから、華やかで軽やかで爽やかなイメージ。

桜色やもんな。春色や。真っ青というよりやや白みがかかった爽やかな空の色。

春っぽい感じをイメージするといいのかもしれない。

春ってウキウキするもんな。

気持ちええなってすぐにつぶやいてしまう感じ。

あの感じを日頃からイメージして生活するといいのかもしれない。

微笑む感じ。自然と笑ってしまう。

グーッと背伸びしたくなる感じ。

自然と脱力したくなる感じ。

大きく息を吸える。

春を思いながら毎日生活できるといいかもな。

 

それをイメージしながらもうちょっと書いてみる。

昨日の夜から今日の朝にかけて考えていたこと。

農業と福祉は相性がいいんだろうなと思う。

担い手不足と就労先不足というのはもちろんあると思う。

それ以上に機器の発展にいいのではないかと思う。

農業ってかなりの重労働で反復作業もすごく多い。

そういう作業って同じ身体の使い方をするから局所への負荷が大きいと思う。

大体が腰と膝。

それって福祉分野でも結構似ているから、お互いの分野での蓄積を合わせて危機の開発に繋がるし、持ち上げて運ぶという動作を繰り返すから活かせる部分は多いはず。

それに農業も福祉も対象を大事に扱わないといけないというところも似ている。

農業は商品価値として対象を大事に扱わないといけないし、福祉は人命が対象になっているので大事に丁寧に対応する必要がある。

具体的な必要性と言うよりも雰囲気に似ているところがあるから、相性はいいのではと勝手に想像する。

あまり深いことは今の時点では書けないけど、もう少し深められるような気もする。

幸せな想像が出来そう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

内向的でも音楽を聴くと自然と身体は動く。

他人に助言をしてくれる人がいる。

特にウェブ上では「○○になるための5つの方法」とか結構見かける。

他人のために有益な情報を伝えていこうとするその姿勢すごいなと思う。

オープンリソース?というのか、そんな風にしていくことで世の中が発展すると。

オープンで行くことで他社も自分もより成長していける。

一人で時間をかけて研鑽していくのではなく、より早く目的に到達するために他者と協力体制を敷く。

すごいことだなと思う。成長の過程での選択肢が増えるということは良いことでしかない。さらに速度も上がるし、視点も増えるとなれば言うことはない。

ただそこには乗っかれないな。やはり人が苦手な僕にとってはオープンというのがすごく苦手。

中々心の扉開かない。無理に開く必要もないのかなと最近ではようやく思えるようになったので、以前より楽にはなっている。

社交的な人に憧れ、そんな風に僕も振る舞ってみたいと思った時期も確かにあった。

でもそのたびに結構疲れていた。というか振る舞えていないけど、なんとかしてその状況を覆すためになんとかしなくてはと脳内会議をひたすらしてフリーズしていたから余計に疲れていたのだと思う。

僕の中で社交的にするということは愛想笑いを上手に使いこなしながら、興味のない話にも上手に乗っかり、時には話題の中心に自分もなりつつみたいな、かなり器用さを求められるものだと認識している。

そんなことできるはずがない、こうやって一人語りの方が僕は楽でいいし、得意なのではないかと感じてきている。だから無理に多くの人がいるところに飛び込む必要はないと思ってここ数年は大勢の場でも一人でのんびりしている。そうすると周りから気を使われるのでちょっと嫌な気もするけど、楽になれる。んで、ちょっと前に出たいときだけ出るようにしている。だから基本的に人の話は聞いていない。

 

昨日また発見があった。

僕は音楽を聴くのが好きらしい。音楽を聴いていると自然と身体を動かしたくなるし、口ずさみたくなる。それに笑顔にもなれる。その気になって歌手のように振る舞いたくもなる。

そうか音楽が好きだったんだと認識した。

でも最近は車の中で少し聞く程度でほとんど聞く機会がない。

20代の頃はこれでもかと音楽を聴いていた。それはフェスに参加するための予習と言う感じで。だから音楽そのものはツールとしてでしかなく、そこまで聞いて楽しんでいると言う感じでもなかったように思う。

でも最近は音楽を聴く機会が減ったせいか、たまに音楽を聴くとすごく楽しい気分になる。一人でフェスをしているような感じ。

音と身体を動かすと言うことがすごく好きみたい。

酔っぱらったようなぐらいに陽気になれる。

音楽は僕を陽気にさせてくれる。

太陽と植物のような関係かもしれない。

太陽が降り注ぐことで植物は光合成をして成長していく。

それと同じで、音楽が鳴り響くことで僕は健やかになれる。

だから恭平さんが好きなのかもしれない。あの人の作品にはリズムとメロディーのような感じがあるのかもしれない。

読んだり、見たりすると気持ち良くなり身体を動かしたくなる。

あと恭平さんが話をしている時もただ話をしているだけなのに、なんかリズムが取れそうな感じがする。

あの人は常に音を奏でているのかもしれない。だからどんな楽器も上手に使いこなすのかなと思ったり。

やっぱりあの人は天才だなと思う。

僕にとっての太陽ような存在なのかもしれない。

本当に知ることが出来て良かったなと感じている。

これからも恭平さんが生み出す作品に触れて行こうと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

気分の波に飲み込まれる

今週は中々に浮き沈みが激しいような感じ。

というかどんどん沈下しているような気がする。

これは気分がではなく、体力的に落ち込んでいる。

そもそもが週末の詰め込み作業がまず身体に応えている。

ここ数年中肉からの脱出ということで、食事制限をしいてきた。

その結果体重はみるみる減少し、一旦ピーク体重から10㎏減までいった。

おそらく20歳以降の体重で記憶している中では最も細身だった。

その時に体重と一緒に筋肉も削ぎ落されたのだと思う。

体重が減少してからは以前にもまして疲れやすい身体になった。

基本なにをやってもしんどいというのが口癖だったが、口ではなく身体の方が先にしんどいと訴えるようになっている。

その上さらに気分屋の性格が重なり最近は本当にすぐ疲れが顔をだし、継続的に何かをするというのが難しい。

一体この先どうなるのかと心配になるばかり。

 

にもかかわらず僕の脳ミソは色々とやりたくなるタチで、興味があるとやりたくなる。

結果何もかも続かないと言うので常である。

なんでも同時進行でやりたくなってしまう。

一つのことに集中すればそれなりに習得できるけど、それができない。

一つ始めたら他の物事にすぐ目が行ってしまう。

何もない時は何も興味がないのにもかかわらず。それが困る。

今回もブログを始めるだけでいいのに、

早起きして時間がもったいないから運動を始めたり、米を炊くのを始めたり、お灸を始めたり、土の勉強を始めたり...

どれも関係性の低いものを始めるものだから、脳が求めているのにも関わらず、先に脳が披露して嫌になってくる。

脳は僕のことを疲れさせようとしているのか何なのかよくわからない。

脳の容量が少ないのに、色々と興味を持たせようとしている。

優先順位をつけようと思っていると余計にそういう風に意識を色々な方に向けようとしてくる。

脳というのは司令塔ではないのか。

撹乱作戦で僕と戦おうとしてくる。

というか脳の指令を無視して僕が戦っていると言った方が正しいか。

どちらにしろ、脳の進みたい方向と僕の進みたい方向はバラバラになっている。

一致した時は結構な力を発揮することはあるけど、それは稀で。

基本的には翻弄されていることが多い。

これがいわゆるムラというものではないかと最近思っている。

僕の場合はズレ=ムラかなと。

このズレをいかに減らしていくかと言うことが命題になっている。

今のところはその対処法はまだ見つかっていない。

今後見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

見つからない場合もあることを想定して、あまりこの命題対しても真剣に取り組まない方がいいのかなとも思う。

波は波として常に生じているものだと開き直った方が、脳の解放に繋がり、脳も僕もお互い素直に生きられるかもしれない。

脳と僕をあまりに切り離して俯瞰してみ過ぎると分裂してしまうかもしれないので、その辺も考慮しながら進んでいく必要がある。

人と言うのは本能だけで生きていくことは出来ないから少々めんどくさいなと言う感じはする。

高等な生き物とか言われているけど、自力では生きていけないし、こんな感じで色々と自分自身に翻弄されている様をみると大して高等な生き物とは思えない。

世の中の惨状を見ているとむしろ愚かな生き物の象徴であるとしか思えない。

まあそれがヒトをヒトたらしめている部分なのかもしれないけど。

葛藤がありながら生きて行くと言うのが当然というか前提としてあると思えたら少しは楽になるのかな。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

健康管理が難しい

なんとなくすっきりしていない。

身体のだるさが抜けない。

特に最近はフィットネストラッカーによると睡眠時間が短い。

便秘、下痢を繰り返す。

でも見た目はいたって健康。

外見的には健康の問題を抱えているようには見えない。

 

健康に関して完ぺきを求めすぎているのかもしれない。

やはり「健康であるべき」という病に侵されている可能性もある。

健康ということを難しく考えすぎているだけかもしれない。

もっと楽に、もっと軽やかにって思いすぎているのかも。

ストレスフリーというのが当たり前にあるべきだと思いすぎているのか。

何にしろ自分の身体に対して厳しすぎる一面はある。

健康に関わる仕事をしているから当然と言えば当然だけど、

ちょっと違和感があるとこれはおかしい。対処すべきだとなる。

この違和感を解決するためには何か対策を講じるべきだと。

そんなに気にする必要はないのだろうけど、一旦感じると頭から離れない。

 

ということ言いながらも、対策はあまり講じていないかもしれない。

現在のところ、対策は早寝早起き。。。ぐらいか

食事、睡眠は確実に大事にできているから特に問題はないと思う。

足りないのは運動だけ。

ただ最近は活力がでない。ここ数年身体の冷えも強いし。

ネットで調べると腎虚と出てくる。

腎が疲れやすいのだと。いわゆる老化であると。

いや、早いでしょ。まだ30代後半やし。

この年齢で老化と考えると、あとちょっとしか生きられないのではと不安になる。

アンチエイジングには全く興味はないけれども、さすがにこれにはアンチしたくなる。

早すぎるから。

それに僕の人生の目標の一つに妻より一秒でも長く生きるというのがあるから、そんなに早死にできない。

87歳まで生きられたら大丈夫と考えているので、あと50年ほどある。今まで生きてきた年数よりも今からの方が断然長い。

となると対策を講じながら生きながらえることになる。

 

いやいや、こんな生き方でいいのかと不安になるな。

楽しみを第一として生きて行きたいと考えているのに健康に囚われ過ぎていてはなんのための人生かと本末転倒である。

楽しむために健康でいるのであって、健康が最優先事項となるわけではない。

ただ健康をないがしろにしすぎてもそれはそれで楽しめるものも楽しめない。

この辺のバランスが難しいところ。

休む時は休むと言う風にしないと突っ走りすぎるとあとで負債がやってくるようだ。

 

この度の疲れもそうで、土日と畑作業とタケノコ掘りという体力仕事を2日続けてやってしまった。どちらもすごく楽しく、その時はそんなに疲れている感じはなかった。でも実際には体の疲労は強く、水曜日となった今も引きずっている。

回復力が劇的に衰えているようだ。

体力低下というのも大きな要因ではるけれど、それ以上に回復力に問題ありということだと感じる。

東洋医学で言う腎と西洋医学の腎臓とは似ているところもあり、違う部分もあるとは思うけど、この二つが僕の弱点であるように思う。

ここに対しての対策を立てて行く必要がある。

健康ばかりに執着したくはないけど、楽しむための基礎となる部分であるのは間違いないからやるしかない。

努力は嫌いなので、楽しみながらやってみよう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

 

生活するだけでも結構忙しい。

資料採集は中々進んでいないので、マネをするというのにも時間はかかりそう。

マネするって結構難しいのではないかなと感じる。

しっかりとその対象を観察する必要があるので、その観察眼を磨く必要もある。

ただ文体をマネるだけではマネをしたことにならないんじゃないかと思う。

どうやったらマネしたことになるのかな。

それがわからない。構成をマネるのか、内容をマネるのか...

というか文章と言うもの、随筆というものがそもそも理解できていないものが、

人のマネをするということができるのかどうかも甚だ怪しい気もする。

なんとなく、それっぽいと思いながら書くということぐらいしか出来ないな。

坂口恭平になりきっていると思って書く、みうらじゅんになりきっていると思ってかく、鴨長明になりきっていると思ってかく。

ある意味で僕の身体に降臨してもらって書くみたいな気持ちが大事なのかもしれないな。そんなことどうやってするのかわからないけど、やってみたらできるのかもしれない。

まずは思うことが大事。どうやってやるかとか分析するんじゃなくて、やってみる。

あーこれっぽいってなればそれはそれで成功という捉え方でいいんじゃないかな。

他人が見てもその辺結局よくわからないし。

対象を読んで、咀嚼して、また書くということの繰り返しでしか変化はしていかないと思うんから。とりあえず、やってみよう。

 

最近寝るのが早すぎて、本を読む時間を中々捻出できていない。

どうやってみんなは時間を捻出しているんだろうか。

僕の場合朝5時に起きて、米炊き、湯沸しの準備、水筒に水を入れ。ポット型浄水器に水を入れる。湯が沸いたらハト麦茶を飲むので、ハト麦のお茶パックも準備をしておく。ひとしきり準備が出来たら、パソコンを起動させブログを書き始める。ブログは20分と時間を決めている。そうすると米炊きの時間まで10分程度時間ができる。この時間にまずは読むとしよう。米が炊けたら、妻が朝ごはんの準備を始める。7時から食べ始めるので、30~40分は時間がある。この時間は座禅もどきと運動をすると決めている。

7時ぐらいから食べ始め、30分程度で食べ終わる。それから身支度をしながら朝ドラを見る。8時15分ぐらいには家を出発する。朝に読書が出来る時間は30分ぐらいかな。

振り返るのがしんどくなってきたからこの辺にしておく。

結構最近生活上でやることが増えてきて暇な時間がというのが減ってきている。何しろ睡眠を何よりも優先する生活をしている。そしてゆったりとする時間もできるだけ取ろうとしている。

すごく贅沢な生活をしている。毎日これほどまでに優雅に暮らしてもいいのだろうかと感じながら生活をしている。

どれほど今の状態が幸福な状態かといつも思っている。今が一番いい時期。

これ以上にさらに今後は幸福になれると思っている。

どれほど僕は幸せ者なのだろうかと感謝してもしきれない。

今日はしばし書くのに時間がかかってしまった。

そんな日もあるかと思いながら、今日は雨なのでちょっと憂鬱。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

誰をマネていくのかを考える。

昨日は上手い文章を書きたいと言うことに関して少し書いた。

ちょっとずつ誰かに読まれたいと言う気持ちが湧いてきたのかな。

読まれるともしかしたらテンション上がるのかも。

脳の解放のために書いているとはいえ、そういった思いと言うのは元々の自己顕示欲の塊の僕からいえばあるに違いない。

自己顕示欲という言葉が適切な感じではないな、言葉が稚拙で表現しきれないけど、知ってもらいたいというか、見ていてもらいたいという子ども的な感じかな。

子ども的ってと言うのも正直意味がわかりにくいけどそんな感じ。

 

上手い文章というのは読ませる文章であるのは間違いないけど、意味のわからない言葉を極力使わず相手に意図が伝わると言うことではないかなと思う。今のところ。

難解な言葉ではなく、平易な言葉。出来たらそうしたい。そうした方がなんかいいじゃないですか。僕が難しい言葉を操れないと言うことは前提としてあるにしろ、流行の言葉を頻繁に使うのはなんとなく嫌。時流に乗れていないといわれるかもしれないけど、そんな時流に乗りたいとも思わない。

 

昨日ツイッターでどんな人を目指すかというところで、エッセイスト?随筆家?みたいな感じかなと言うことで、三人挙げてみた。

坂口恭平氏、鴨長明氏、みうらじゅん氏。

この三人がエッセイストかと言われれば疑問なので、文筆家ということにしようかな。

すごく大きく括って物を書く人と言うことでいいかな。

なんでこの三人にしたのかはいまいちよく分からない。

坂口恭平氏、みうらじゅん氏はもともと好きで、2人が書いている文章も好きなのでわかるけど、鴨長明氏は方丈記しかしらない。

随筆家とウィキペディアで調べたら出てきたから入れたまで。

鴨長明「氏」というのも変な感じがするから鴨長明としよう。鴨長明の作品をもう一度読んでから三人目にいれるかどうか検討しよう。

 

どんな文章を書いているかは後に分析するとして、いや今日ちょこっとだけしよう。

坂口恭平氏ははちゃめちゃ。妄想激しすぎ。なのにいろんな知識がまぜこぜに入っている。ぶっ飛びすぎて好きな人。小説を一つ読んだけど、全く理解できなかった。良いのか悪いのかも判断することができなくてショックを受けた。文章を書くだけではなく、楽器の演奏、絵を描く、陶芸、セーター編み、靴づくり、畑部などなど挙げればきりがないぐらい活動の範囲は広い。そして元々は建てない建築家。やってることすべてが面白いし、その上文章まで面白い。この人に憧れなければ誰に憧れるのかと言うぐらい全部ある。他にも書ききれないぐらい色々あるらしい。まだ10冊弱ぐらい読んだけどまだまだわからないこと多い。

みうらじゅん氏もはちゃめちゃ。なのかな?実際のところあまり良く分かってない。どの部分に惹かれているのか。でも真剣にふざけているというところがすごく良い。仏像の話やアウトドア般若心経も大好き。エロの話も大好き。物の見方がすごく好き。人とは違う方向から見ているような気がする。敢えて人とは違うところから見ていると言うところが好き。敢えてやり続けて今の感じがあるのだろうなと言うところが良いな。

著書はまだ一冊しか読んでない。他にも読むとまた違った感じ方になるのかな。テレビで話しているところしか実際のところ分かってないかも。

鴨長明は教科書の「ゆく川のながれは絶えずして...」しか知らない。しかもあれは無常を書いた作品ではなく、災害について書いているのだと言うことを最近知ってショックを受けている。全く知らない。なので一度解説付きの方丈記を読んでみることにした。

まあこんな感じで文章が上手くなるようにちょっとずつ練習してみようと思っているところ。どこまで上手くなれるのか楽しみ。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

上手い文章を書けるようになりたいと思った。

思いつたら書くと言うのは一日一回では少ない気がする。

昼思いついても翌朝には忘れている。

昨日も農作業をしながら何かを思いついたようなが気がするけど、今になったら忘れている。メモ帳を常に持参する必要があるなと感じた。

そう言えば半農半Xの提唱者である塩見直紀さんはメモを持ちながら作業を行って思いつたら作業の手を止めてメモするって言ってたもんな。

イデアの宝庫の人がそんなことしてるんやから、マネせなもったいないと思う。

メモ魔になろう。

メモ帳を持ち歩くという習慣を持つことにします。

 

今日書きたいことはこれではなく、上手い文章と言うのはどういことなのかということについて考えを巡らせたい。

ブログを毎日書き始めて2週間弱。

文字数自体は結構早くたくさん書けるようになってきたと自負している。

1000文字程度なら20分も掛からずに書ける。

それ自体が早く、多いのかはいまいちよくわからないけど。

まだまだ間違えて入力しがちでもう少し改善の余地はありそうな感じはするけど。

それでも書き始めた当初から比べればレベルアップしているように思う。

でも量をたくさん書けることと上手い文章を書けるというのは別の話。

どうやったら上手く書けるのだろうか最近徐々に気になり始めた。

僕の好きな文章とかあれば参考になるのかもしれないが、文学作品とか小説みたいな物語系の本と言うのはあまり読んだことがないし、同じ作者の作品を続けて読むみたいなこともあんまりやってきてないから、上手い文章がわからない。

坂口恭平さんと言う人が好きだから恭平さんの本を何冊か読んだけど、恭平さんの文章が上手いのかどうか客観的に評価する物差しを持っていない。

上手い文章というのは果たして客観的に言うとどういうことなのか。

人によって違うやろと言えばそれまでなのかもしれないけど、それだと目指す方向性が良く分からない。

何かの賞を取った作者は上手い文章を書いていると言うことなのかもしれないけど、そういった作品に一向に興味を持てない。

賞がどうのこうので否定している訳ではなく、小説そのものに興味があまりないと言った方が正しい。

僕の書いているこの文章を仮にカテゴリー分けするとしたら一体何になるのか。

これはエッセイとかそういう感じのものになるのかな。

そしたらエッセイというカテゴリーにおいて良いと言われている作者の者を一度読んでみるといいのかもしれれないな。

とりあえず人のマネをすることから始めるしかないなと思う。

これは恭平さんが言っていたので、とりあえず3人見つけることにする。

エッセイで上手いと言わる人3人をこれから探してみることにします。

それらを参考にしてみよう。

別に上手くならなくてもいいのだけど、あとで自分で読み返す時に変な文章だと嫌だなと思って。

恥ずかしい文章書きたくないしなと思って。

という気持ちが源泉にあります。

僕の行動は大体が恥をかきたくないと言うネガティブな気持ちから。

 

とりあえずやってみよう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。