いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

新語を発明したと思ったらあった

「只管打鍵」

こないだも書いたような気がするけど、なんとなく気に行っている。僕のブログのスタイルを言うと一言これになると思う。

やった!できたと思ったけど、グーグルで検索するとすぐに出てきた。

そりゃそうだ。タイピングってそういうことやもんな仕方ない。自分一人で発明するなんてことがあるはずがないとは思ってたし、自分ごときがなにかを発明できるとも思ってなかった。でもちょっとあるのではないかなとか期待してしまった自分が恥ずかしい。

まあそんなことはどうでもいいし、序文にしかならないのだけど。序文かすらわからない。

只管打鍵って言葉はでもいいと思うんですよ。何がいいって、只管打坐とほぼ同じ意味だと思っているから。

只管打坐だって無念無想と言いつつ、そんな訳ないことを前提としているらしい。しらんけど。

まあそらそうですよね。無念無想なんてブッダさんだけが成し得たことであって、凡人の我々がそこを目指したところで結局何の意味もないんですよ。

ブッダさんはそういうスタイルで座禅をしておられただけで、凡人は無念無想というのがあるんだなとちょっと意識するぐらい。それができたらすでに凡人ではないので、無理なんです。たまたまそんな瞬間が訪れることもあるかもしれないけど、そこを目指すと挫折する。そういうのが坐禅ではないと思う。いやしらんけど。

ただただひたすらに坐る。どんな思いが浮かぼうとそこには意識を向けず、ひたすらくつろぐ。ただそれだけ。

只管打鍵もそんな感じです。どんな感じや。

まあよくわかりませんけど、ただただひたすらにその場で出てきた言葉を打鍵するだけです。

なのでこの文章には特に意味はないし。得もない。僕の頭に浮かぶ文章をひたすらにここに書いているだけです。

なので毎回脱線するし、よくわからない言葉が出てくるのだと思います。

それでも僕はいいんです。誰のためにやってるわけでもなく、何かを得るためにやっている訳でもない。

でも書いている間は自由と言うか。何にも縛られていない感じを味わえる。

現実空間では身体機能というのがあるから、どれほど思い描いても自分の身体の機能の限界はある訳でイメージ通りできない。どれだけ頭の中で完ぺきに描こうとしても限界はある。

でも文章を書くことに関しては頭で書いたものをそのまま描くことができる。

だから言葉ってすごいなと思う。これは本当に発明だと思う。発明してくれた人本当にありがとう。これほどまでにありがたいことはない。

言葉を取り上げられたら本当に大変なことになるだろうなと思う。自分の内面を上手く表象することが出来なくなる。

だからと言って特別扱いして上手く書こうとしたりするとまた違ってくるから。

ただひたすらに僕の心の中にある言葉をここに書く。

とはいえ、現実世界で縛られて生きている訳でもない。割と自由にやらしてもらっている。だからこうやって文章を書けるのだとも思う。

現実とこの文章の中でそこまで乖離はない。現実ではそこまで心を開いていないこともあるけど、ほぼ同じような言動ではないかと思う。

確かにこの文章においては相手がいないので、僕のペースで一方的に勧められるので淀みなく、一定のペースで書けるからその辺はだいぶ違う。流れがある感じがする。

決して会話に流れがない訳ではないけど、僕のこと理解している人でなければお互いに気を使って、上手く会話が進まないこともある。それがないのが文章の良いところだと僕は思っている。

でも対話が好きな人にとっては退屈なのかな?対話が好きな人てどういう部分に良さを認めているんだろうか?良く分からない。

文章か対話かで言うと僕は圧倒的に文章が好き。二つに分けてそれを比較することには全く意味はないとは思うけど。

文章の方が楽だから。ただそれだけ。対話というか会話は疲れる。それが知らない人とかあまり深い関係ではないと尚更。

すごく仲の良い人だって、親しき中にも礼儀ありで多少は気を遣う。それが長時間となるとやっぱり疲れる。しかも多人数になると尚更。そこに半数以上が仲の良い人で一人でも知らない人がいるとやりにくい。

だから懇親会と言う名の飲み会は正直言って苦手。一時期参加するようにしていた時期もあったけど、すごくしんどかった。話題の中心になれるような時があると楽しいけど、基本聞くだけ。メインの人の話がほとんどで、それ食いつく人が多くいたけど、それは別にどうでも良かった。なんかそんなん楽しくないなって。上下関係出来てたから、そういう場で教えてください的な感じで長時間話を聞くのが僕にとっては苦痛だった。最近はそういう場がないのがありがたいし、これからもそういう場があったとしても行かないだろうと思う。飲み会なんて無くなったらいいのにと思っている。もっと自由参加な感じを出して欲しい。暗黙の了解でのみんな行くやろ的な雰囲気嫌い。そういう場って大概誰かが独演会を始めるから。そういうの嫌。他でやれよと思う。むしろ自分でそういう場を設けて、金取ってやれと思う。普段独演会する場がないからって、飲み会の場でそれをするなと。

 

あ、最後は感情丸出しにしてしまったけど、とりあえずこれで終わりにしよう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。