いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

天気は転機

梅雨に入ってるけど、昨日も天気が良かった。

気持ち良かった。毎日気持ちがいい方がいいなと思う。当たり前か。

最近雨の音が気持ちいいこともわかってきた。

ザーッと降る雨の音はちょっとうるさいけど、しとしと降る雨の音は気持ちいい。

特に車の中にいるときはそれが心地よい。

天気の感じ方も変わってきたから、心にも転機が来ているのかな。

転機って大きなことのような感じがするけど、実は小さいことの積み重ねだったりする。

現実に僕は小さいことの積み重ねの結果生活に変化が訪れた。

これも転機と言っていいような気がする。

生活に変化が出てくると心にも変化出てくるような気がする。

続けていると色々と変化が続きそうな予感。

これは良い方向に向かっている感じがする。

一つのことを続けて出来ていると続けることに抵抗が少なくなってくる。

昨日も寝床体操をやって、今朝もさっき起きる前に少しやってみた。

これは良いものだなと今のところ感じている。

背骨がこれほどまでに硬いのかと改めて実感。

腰痛持ちなので硬いだろうとは予想したけど、やはり固い。

曲がり伸びが硬いのは分かってたけど、捻じりも硬かった。

当然と言えば当然。むしろ捻じり硬いからこそ曲がり伸びも硬いのか。

まあどっちよくわからんけど。

同一の関節だから一方向が硬いと硬いのも当然か。

特別に一方向が硬いとそこに負荷が集中して痛みが出たりするから、要注意かな。

今体操やっている中ではまだどこかが特別硬いとかは認識できない。

継続してやっているとわかってきそう。

そうなれば細部まで感覚が行き届いているから、より身体の状態は良くなりそう。

身体も生活も一つのことが分かってくれば、芋づる式でどんどん分かることが増えそうな感じがする。

これも転機だと思う。継続してるからこそわかる部分もある。

もちろん一発勝負でわかることもあるし、どちらがいいとかではないとも思う。

強いて言うならどちらが合っているかだけ。

もう少し言うと時と場合によっても違うだろうし、様々な要因絡んでくるからどちらがいいとか良く分からない。

とりあえずやってみて感じるしかない。

それなのにどちらが優れているかとか熱く議論しても仕方がない。

もちろん原理原則は物事には必ずあるので、そこは外せないのが事実だとは思うけど、あまりに二項対立を際立たせて比較をすることに意味はないように思う。

ましてや自分の主張することと反対の立場の主張に対して、批判的な意見を述べ続けて悪い印象を植え付け、自分の主張を良く見せようとするほど滑稽なことはない。

対立する立場を否定するよりも自分の主張・立場がどういうものかをもっと明確に説明することが大事なのではないか。

 

急によくわからないこと書いてるけど、どうした俺。

まあ時々そういうことが急に頭をよぎる。

一応ここに書き記しておかないと忘れるし、あとに残って頭パンクするので書いておく。

別に何かを特別に書きたい訳ではなくて、たくさん書きたいから話が行ったり来たりする。

文章としては非常に読みづらいと言うのは毎日のように書いている。

理路整然としていないし、構成もめちゃくちゃだから仕方がないかと思いつつ書いている。

でもこうやって書いているとその内変化が出てくるだろうと数で勝負している。

勝負はしてないか。

誰かと競っている訳ではないから。

自分と闘っている訳でもない。

誰とも闘ってない。

自分との闘いとか言って頑張っている人を見るけど、辞めた方がいい。

自分と闘うということはやりたくないのにやっているということ。それは消耗するだけで得るものはあったとしても最終的に窮屈になる。

即刻やめましょう。

楽しいから続くのであって、苦しいことはいずれ限界が来る。

そんなこと当たり前。

理由を考えるまでもない。

苦しいことは身体も心も砕け散る。

ずっと闘う必要なんてない。

今やりたいと思ったことやった方がいい。

過去にどんな辛いことがあっても現実は今だけ。

確かに忘れることはできるはずもないけど、そこに囚われていては何もならない。

色んな現実があると考えた方が楽かもしれない。

あんまりこれを考えすぎると分裂してしまうかもしれないけど、色んな現実があって、その時々の対応をしたらいいのであって、一続きの現実だと思っていると、行動ができなくなる。

過去が自分に影響を与えていると思ってしまう。

そうなると僕の人生なんて恥ずかしすぎて生きられない。

有限不実行の男だから、過去を引きずっているとただの口だけのダサい男。

そういう印象を周囲から持たれていると思ってしまう。

そうすると何も行動できなくなる。

だからそれはそれと思って、今はしたいことに出来るだけ時間を割くようにしている。

もちろん自分のしたいことの時間割をその通りに遂行出来ているとはいいがたい現状があるけど、少しずつ変化していることも事実。

ちょっとの変化を敏感に捉えて良い方向に向かっていると考えると気持ちがいい。

悪いことには目を向けずちょっとの良いところを必死に探す。必死にとか言うとしんどくなるので、ほどほどに探す。

そういう時間を設けるのもいいかとは思う。実際にはやりませんけどね。めんどくさいから。

今僕にとってはこの書く時間が探す時間。

じっと考えずに書きながら考えているとあんまり悪いことは浮かびにくい。

むしろ良い方向に向かっているとしか思えなくなっている。

そういうことしか書いてないから、どんどん思考が良い方向に向かっている。

文字を書くのは僕にとって強壮剤を打ち込むような感じかもしれない。

もっと強力か麻薬のような依存性を生むようなものかもしれない。

でも文字を打つのを止めた瞬間に冷める。

打っている間だけの一瞬の出来事。

この後を引きずらなさが良いのかもしれない。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。