行く前はどうなることかと心配しましたが、杞憂に終わりました。
今日のクラスが始まる前に先生にちょっと調子が良くないので、100%でできないかもしれませんと伝えてありました。
でもクラスが始まるとあれよあれよと言う間に身体が勝手に動き出して無理をすることなく最後まで動くことが出来ました。
多少ブレーキを掛けたこともありましたが、腕で支えるポーズがそんなになかったしそもそもそんなに腕だけで支えるような難しいポーズが出来るレベルでもないなと後で思いました。
もちろんクラスが始まる前に鎮痛剤を飲んでいたということも影響したとは思いますが、それ以上に皆で動くと言うことでその場のエネルギーが僕を動かしたのかなとも思います。
今のところは一人で動くよりもクラスで動いた方がエネルギーが溢れているからなのか、良く動けます。
とても気持ちが良いのです。
あんまりそういうエネルギーって今までは疑心暗鬼なところがありましたが、今日でその思いは払拭されました。
エネルギーってあるんやって。
そうでないと今日のようなことは起きないはずです。
何もないのに急に体調がよくなったりしないし、鎮痛剤だけで動けるようにもならない。
今朝も起床後に太陽礼拝Aを1回だけ行ったのですが、大腿後面の張りがハンパじゃなくてこれはちょっとまずいぞと感じていました。
それ以外にも力が張りにくい感じがするし、どうもポーズが取りにくい印象が抜けませんでした。
それにも関わらず先週と大きく変わらず様々なポーズができました。
そのことに非常に感動しています。
これはヨガに限らずだとは思うのですが、エネルギーってすごいなと今回初めて実感しました。
あと今日の話の中で「シンプルであることがもっとも洗練されている」というジョブズの言葉が紹介されていました。
ここで使われているシンプルというのは単純ということではなく、無駄なものが削ぎ落されている状態のことを表していると解釈しました。
なんでもこなせると言うことは確かに素晴らしいことだけど、そこを目指すと本当に必要なもの以外も備えておく必要がある。そのために美しさが損なわれたりすることもある。
その反面何かに特化することを選択し、やれることが限定される状態は頼りなさもあるかもしれないけど、その姿は潔さがあり美しくもあると思う。
難しいな。おかしな話やけど、シンプルを説明しようとするとその説明がシンプルではなくなるから、ださくなってしまう。
シンプルと言うのは思考で捉えるものではなくて、感覚で捉えるものだと言うことか。
それこそが素晴らしいのかもしれない。
小賢しい説明などなくても、それがそれと分かることが洗練されていると言うことかもしれない。
たぶんそう。
そういうこと。
でもこれって知識として説明しているだけで、口で説明しても理解したとは言えない。
体感してこそ、体得してこそ説明できる言葉だと思う。
だから今の僕の現状として説明できる言葉ではないのかもしれない。
でも体感はできても体得はできていない。
体得は勉強して得られるものではなく、身体を動かして感覚として得られるものであり、思考を突き詰めても得られるものではないのかなと感じる。
説明すればするほどうっとうしく、わかりにくくなので今日はここでやめます。
でも諦めた訳ではなく、今後も伝わりやすく書けるように手を動かしていきます。
そして明日からまた太陽礼拝B 2週間チャレンジが始まる。
この2週間も同じチャレンジをしたけど、毎日達成できずに終わった。
先生からは目標を下げてもいいと言われたけど、なんか悔しいのでもっかいチャレンジすることにした。
そうでないとなんか自分に負けた気がしたからもっともっとチャレンジしたいと思うから意地になって変えなかった。
これは執着かもしれないけど、それでもいいと思ってやってみる。
時には執着も必要かもしれないと思って。
執着がだめとわかっていてもそれは頭で分かっているだけで、身体は理解できていない。
そこを感じるために敢えて執着すると言う選択を取った。
2週間チャレンジのために必要な要素としては生活を変えることだと思う。
そうしないと決意だけではどうにも変わらないと今まで経験したから。
変えるのは決意ではなくて、生活の仕方。
そこを変えるために今回はチャレンジしてみる。