今日は曇天でひんやりしている。
季節もすっかりと秋になっている。
日中には暑さを感じるけど、ちょうどいいぐらい。
こんな日が毎日続けばいいのにと思う。
快適な時期がなんでこんなにも短いのか。
そんなに神様は人間に楽をさせてはいけないと思っているのか。
確かに快適が続くと怠惰になるような気がする。
昨日も言ったように休みが続くと実は体調が崩れることを体験した。
一見休みがずっと続いた方が良いような気がするけど、仕事が始まるとしんどい。
今まで感じたことがなかった。
でもそう言えば周囲の人が言ってたような気がする。
「休みが続くと休み明けがしんどい」と。
その当時僕はその発言をした人に、なんだこいつと思っていた。
だって、休みがずっと続いた方が楽しくていいに決まっている。
それなのに長い休みは無い方がいいとその人は続けた。
でも僕は、「いやいや、仕事したアピールかよ」と心の中で思っていた。
価値観の違いだとその時は認識をしていたけど、実際に体験すると深く理解できた。
そもそもがずっと休みなどあるはずもない状態を僕は期待しており、前提を間違えていたのもある。
休みがずっと続かず、仕事に行くのが前提にあれば、適度なペースで休みがあり、リズムを崩さずに仕事を出来る方が快適だと。ストレスが無い状態で働けるのだと今なら理解できる。
単純に僕がバカだったのだと今なら理解できる。
なので今の僕の考えとしては長期の休みではなく、適切なタイミングでの休みが欲しいと思う。
僕の思う適切なタイミングとは2勤1休。
これが一番いい。
これなら全力で働ける。
体力を気にせず働けるような気がする。
そうか体力に不安があったのか。
気付かなかった。
だから全力を出さずに温存していたのか。
体力に不安があったとは盲点だった。
ということはこの仕事が嫌だという気持ちは体力低下による不安があったのかもしれない。
違う違う。そうじゃなかった。
かなり忙しく働いて、結果が出ず疲れ果てたという経験があるからだった。
それなら省エネで働いて、ぼちぼちやったらいいわといつの間にか変わったんだった。
自分なりの防衛戦略により仕事に対して注ぐエネルギーを減らしていき、プライベート重視に変わったのだった。
今思い出した。
すごい過去のことで全く忘れていたけど、そうだった。
でもその根本には体力的なところも影響していたと思う。
人との差をそこで感じていた。
あの人はあんなに働いているのになぜ疲れないのだろうかと。
そこにがっかりしている部分もあった。
そのせいで、無理をして頑張ってしまっていた。
その当時は負けず嫌いがまだ残っていたので、あの人があれだけ働いているんだったら俺もできる。あの人に出来て俺が出来ない訳がないと負けん気全開だった。
それが全ての元凶か。
人と比べることが多かったせいで、疲れ果てたのだと思う。
それは今も残っている。
他者と比較して自分の働きぶりを評価している。
それが疲れの元凶だと一度体験したけど、まだそこから抜け出せていない。
多少はましになったとはいえ、まだ完全には抜け出せていない。
だから人との接触を避けているのかもしれない。
人と関わるとその人の仕事ぶりが分かるから。
そこを比較する必要など全くないのに比較が始まる。
僕の全てのフィルターは人を評価するフィルターとなっている。
そのために疲れるのだと思う。
すぐに評価をしてしまう。
立ち居振る舞い。言葉遣い。身だしなみ。
めちゃくちゃ見てしまう。
そのせいで、自分の方もめちゃくちゃ見てしまう。
見ることをできるだけ辞めたいと思いつつ。
別の五感を働かせることが難しい。
もっと聴覚や皮膚感覚にエネルギーを配分したいけど中々難しい。
自分の癖を全開にしてしまう。
その辺の感覚に対してのエネルギー配分を変えるために身体を動かす習慣を増やした方が良さそう。
意識的に視覚を遮断して、身体を動かすようにしよう。
そうするだけでも日頃の視覚優位の思考パターンというか行動パターンが変化してくるかもしれない。
それがいいかも。
今日はこの辺で。
ちょっと日頃のヒントが見えたような気がする。
大丈夫、きっと上手くいくよ。