いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

同じ場所をグルグルと回り続けている。

結局は目標がないからかな。

何をしたいかがまたわからなくなっている。

ペンションしたいと思ってたのに、自分に接客が向いているのかと思ったらそうでもないし、いわゆるホスピタリティというものがない。

だって他人に興味がないから。

そういうところがあるのになぜペンションだと思ったのか。

他人に興味はないとは言え、良くなって欲しいとは思う。

精神的な面より物質的な面で他人を見ているのかもしれない。

物質的な面で良くなってればそれでいいじゃないかと。

物質的なというより肉体か。

肉体の状態が良ければ良いのではないかと思っていた。

でもそれって五体満足が前提ということになるので、それは違うとも思っている。

となると肉体が全てではない訳か。

じゃあやっぱり精神的な面の方が重視されてもいいということか。

どちらか一方だけというのは無いとは思うけど、精神的な面が優先度としては高いらしい。

ただ自分に置き換えた時に精神的な面って何?となるり

精神を優先して考えるなら、ノンストレスな状態を保ちたい。

でもノンストレスというのは現実的に有り得ないし、ノンストレスが逆にストレスになるということも聞いたことがあるので、それはまた違う。

こうやって延々とやっている。

回り回って同じところに帰ってくる。

たぶんここ10年ぐらい同じことを繰り返している。

肉体は時間を感じているけど、精神は時間を感じていないのかもしれない。

というか繋がりのない毎日を送っている可能性するある。

毎日が本当の意味で新しい。

毎晩リセットされて翌朝を迎えているのかもしれない。

そう考えると僕は昨日の夜全てをリセットしたいと思ったことは実現している。

 

うん。

今日も訳わからんこと書いてる。

もっと具体的にしないとどうにもならないことはわかっている。

ただ具体的にすればするほど突き刺さるものもあるから、テキトーに逃げている。

同世代の人はどうやってやり過ごしているのかなと思う。

毎日が楽しいのかな?

それとも毎日が辛いのか?

辛かったり楽しかったりなのか?

目標を明確に持ち邁進しているのだろうか?

他人と比較しても仕方は無いのだろうけど、弱いから安心したい。

その材料が他人との比較なのかもしれない。

あの人よりはマシと思えた瞬間に心が少し軽くなるのかもしれない。

今の無い他人との比較。

この癖も早く治したいと思いつつ。

10年。

月日は残酷だ。

10年前には同じような思考でいた人間が久しぶりに出会うと全く次元の違う人間になっている。

それを目の当たりにすると苦しくなる。

成長のなさを実感する。

そのせいで人付き合いが減っていると言っても過言では無い。

行動するものだけが成長する。

行動していない僕は常に同じ場所をぐるぐる回っている。

地球の周りを周回するように回って、また同じ場所に戻ってきていると思ってたけど、実は場所は変わってなくて、その場で360°回っていただけだった。

そんなに悲しいことはあるんだろうかと思うけど、実際に僕が証明している。

 

まあ仕方ないこと。

とりあえず今日も仕事か。