祝日のない6月もう少しで終わろうとしている。
そうなんですよね。結局過ぎるとあっという間なんですよ。
始まる前はガチガチに緊張しててもあっという間に終わる。
そんなもん。
でもやる前はどうしても緊張する。
これはどれだけ経験しても変わらないことで、いつも初めてのような感覚がある。
むしろ毎回初めてのような感じがしている。
どうして経験が積み重なって行かないのかなと思っている。
まあそれも仕方ないのかなとは思っているけど。
僕はどうしても忘れやすい性格をしているので、経験があったとしてもいつも初めての感覚になる。
そのおかげで新鮮な感覚を持ち続けることが出来るのでいいのかなとも思っている。
そんな僕でも毎回新しい感覚が欲しいなと思っている。その辺は良く分からないなと言う自覚もある。
今日はまたいつもと打ち方を変えている。
いつも結構短い文章で変換をしているけど、今日は句読点がくるまで変換をしないようにしている。
だから何と言う感じだけど、なんか面白いからやってみてる。
そんなしょうもないことばっかりしていると結構一日ってあっという間に過ぎていく。
そんな感じでいいのかなと思っている。
全力全開で毎日を生ききっている人もいる。それはそれでその人の好きなことをひたすらやっているのだからいいのかなと僕は思う。
羨ましくも思うけど、その生き方は出来ないと既に見切っているからいいかな。
やっぱり体質が影響していることだと思うので、仕方がない。
お金儲けのために頑張ると言う選択肢ももちろんある。でもそれは僕にはなかなか難しい。そういう思考に中々ならない。
もちろんお金が大好きで、お金がたくさんあった方がイイなと思っているのは事実。
でもそれがなかなかできないのはお金が無くても何とかなってきたからで、お金に困るようなこともなかったと言うのが大きな理由なのかな。
これから何が起こるかわからないから色々な手段を持っていた方が生きるのが楽になるのかもしれないけど、今のところそんなつもりは全くないからこのままな感じで生きて行こうと思っている。
悲観的でありつつ結構楽観的なところもあって、自分は大丈夫だと思っている。
短期的なところでは不安を感じつつも、長期的にはなぜか自分は守られているからきっと大丈夫と思っている。
不思議なんですけど、前からずっとそんな感じ。
だから僕の体質に合うものとしては、短期的な所に不安を感じやすいから、不安を感じないように凄くたくさんの好きなことをやりまくって、時間を過ごすようにしたら不安を感じる暇すらないと言うことではないかなと思っている。
そのためにこうやって文章を打っている。
これは全くお金のためにやっている訳ではなくて、完全なる現実逃避としてやっている。
だから何も生み出していないと言うのは事実で誰のためにもなっていないけど、自分を救う一つの方法だと思っている。
この打ち方面白いかもしれない、そして打ちミスが減るのだと言うことに気づいた。
まだ慣れないけど普段と違うから面白い。
慣れないことを毎日やっていると時間があっという間に過ぎるかもしれない、慣れないことほど集中してやろうとするから、時間を無視している。
打ち方変えると全然感覚が違うから、手が止まる回数が多くてちょっとイライラするけど。
楽しいのは楽しい上手くいかないことをするほど楽しいのだと言うことに気づいた。
上手くいくことをひたすらやっていても飽きるもんな。
毎回違う感覚が入る方が圧倒的に楽しい。
今日はいつも以上に手が止まる。
手が止まるとなんかふと冷静になると言うか、冷めると言うか。
何をやっているのかとなる。
確かに朝や早くから起きて、何のためにもならんとか自分で言っておきながらひたすら文章を打ち続けるってちょっと頭がおかしいのではないかと自分でも思うから。
でもそれが良いのではないかといつも思っている。
つねに何かのためにやり続けると言うのほど、人の精神を削るのだと思っている。
何のためにもならないことをやると人の精神ってそんなに削られることがない。
そうか何かに一生懸命になればなるほど、人の精神は削られるんだ。
まあ確かに読んで字の如くやもんな。
一生懸命って、自分の命をかけているってことやもんな。
そんなことできない。
そんなことしたら僕の命はあっという間に消え去ってしまう。
そうか一生懸命と言うのは、あっという間に自力で命を燃やし尽くすと言うことかもしれない。
そんな生き方僕には合ってない。ダラダラ毎日楽しく生きる方がイイ。
太く短い人生を求めていた時もあったけど、今はその生き方が出来ない。
太くある必要はなくて、細くてほどほどの人生を求めている。
それでいいと思っている。
お金を沢山稼いで、有名になりたいなと思っていた時期ももちろんあった。
それが、良いとか悪いとかではなくて、と言うかその方がかっこいいような気がしていたし、今でもそれはかっこいいことの一つではないかとも思っている。
でも、それは選択肢の一つであって、すべてではないと言うことに気づくことが出来た。
だから、その生きたがいいと思えば、そうしたらいいと思うし、それはちょっと合わないから、別の生き方にしたいと思えばそれでいいと思う。
結局は自分に合うか会わないかだけで、すごいすごくないの話ではないと思っている。
だって何が凄いかって基準は人によって全然違うから、自分はすごいと思っていても他人からすれば、は?ってことはいくらでもある。
だから自分の合う方法を見つけたらいいし、それを早い段階で見つけられると生きるのが楽と言うだけであって、見つけたのが早いからすごいってわけではなくて、ラッキーと言うだけの話。
有名な人っていうのは、自分に合う方法を人より早く見つけらた人で、早く見つけられたことが天賦の才と言うのではないかなと思っている。と言うか、今思った。
違いはただそれだけじゃないかな、早いか遅いだけ。
まあそれが凄く大きな違いになると言うことは、これまで生きてきてすごくよく分かる。
違いはやさだけ。
気付くのが早いとか、気づいてから実行までが早いとか、実行するスピードが速いとか。
本当にそれだけだと思う。
人との去ってそれだけだと思うから、人と比べて自分の能力の無さに悲観するのはやる必要のないことだと思う。
今日はまたいつもと違う打ち方になったけど、最終的にはそんなに時間は変わらなかったから、いつもみたいにあんな必死になってカチカチやる必要なかったんだと思うとなんか笑えてくる。
もっと楽に打つようにしよう。だって楽して生きて行きたいから。
大丈夫、きっと上手くいくよ。