いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

人の生き方あんまり参考にしない方がいいなと思う

無為に生きているかもしれない。

というか無為に生きている。

なんの目標も最近は持ってない。

 

だから一生懸命生きてる人や死が近づいてきても諦めず生きようとしている人を見ると罪悪感を感じたりする。

かと言ってそういった人達を見て頑張らないとダメだなって思ったりはしない。

無為に生きてはいるが死にたいとは思わないし、苦しんでいる人を見て自分を奮い立たせるというのはちょっと違うのでは無いかなと思うから。

死が近づきなんとか生きようとしている人を見ると涙しか出ない。

どういう感情で泣いているのかは良くわからないけど、言葉出ない。

そんなに冷静にその人達を見ることが出来ない。頑張ってるなとも思わないし、頑張れと応援も出来ない。むしろ僕みたいな無為に生きている人間が頑張れと言うこと自体がおかしいような気もする。

どの立場からもの言うてんねんと世界中の人達から総ツッコミを喰らいそうだから。

 

人の暮らしぶりをドキュメンタリー風にやっているテレビを見るとどう見たらいいのか良くわからなくなる。

ましてや一般人というのかテレビに出ることを生業としてない人が何かのきっかけで特集される番組などどういうことなんだろうと思う。

どういう目的でそのテレビ製作者は作っているのだろうかと思う。

もちろん伝えたいメッセージはあるのだろうけど、ある程度視聴率というものも意識して作っているに違いないとか、ある程度の脚色というのか演出が入っているのだろうと思うと冷める。

特に感動するようにBGMをつける辺りが既に嫌。

日常でBGMついてる場面ないし、と思う。

そこに映っている人はなんの演出もせずに映っているのだろうと思うけど、撮影している人はどうやったら良く見えるかということを意識しながら撮影しているはずだし。

なんせ嘘くさく見える。

そう言うところがつまらなくするのかもしれない。ってなんの話をしているのか。

 

別にテレビについて語りたかった訳でも無いのに。

でもテレビなどのメディアを通して映し出される人の生活というものに必要以上に感化される必要はないなと思った次第です。

それやっちゃうと疲れる。

なんであの人はあんなに懸命に生きているのに自分はこんななんだろうと思ってしまう。

自分の様子だけ、自分が生きている空間の中に関わる部分だけ見てたらそんなに疲れることもないんじゃ無いかなと思う。

余計なものは見ないようにしたら心の平安は保たれるのでは無いかな。

知らんけど。