いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

書くことは無いようでも、独り言はいくらでも言える。

久しぶりにパソコンで書いている。

久しぶりにパソコンの前に座ると一気に書く気がなくなっている。

特に書きたいことがないというのが一番の理由だとは思うけど。

今はiPhoneの方がスラスラ書きやすくなっている。

このパソコンに飽きたのかな。

新しいのが欲しくなっている。

そんなことを繰り返しているなと思う。

大体なんでもやったら次のモノに興味が向く。

良いのか悪いのかよく分からないけど。

新しい刺激を欲しがるタイプらしい。

それは前も書いたような気がする。

最近は書くネタ自体が減っているのかな。

元々オリジナリティーがある方ではないので、アイデアも湧かない。

何か心の揺れ動きがあれば書くこともあるけど、そうでない時は正直書かない。

心の揺れ動きと言っても日々の中での些末なことに対してであって。

劇的なことなど毎日起きない。

というかここ何年もそんなことに遭遇したことがないかも。

それが良いことなのか悪いことなのかもいまいちよく分かってない。

劇的なことが起きると言うことはそれだけ身体にも心にも負担がかかる、

それに対応できるだけの体力があればいいけど、無ければただのストレス。

何もない日常を送っていると負荷は少ない。

反面面白みは少ない。

一体僕はどちらを求めているのだろうかと思う。

どちらかと言えば劇的の方がいいのだけど、というか今まではそう思ってきた。

20代の合言葉はいつ死ぬかわからん。

本当にそう思って色々とチャレンジしてきたように思う。

振り返ってみて何も残ってないけど、楽しかったような気がする。

30代はその言葉は一旦捨てて、無理をしてないように思う。

でも職場三つ転々として、全く違う地域に住んで、見ず知らずのところで働くと言うことはチャレンジと言えなくもない。

ましてや社交的な人間であればいいが、僕のような内向的で自分から人に話しかけることをあまりしない人間にとっては負荷の大きいことではあると思う。

でもそれぐらいではあんまりチャレンジとも言えないような気もしている。

ストレスはかかっているけど、逆に言うとストレスだけがかかって、やった感がない。

チャレンジってストレスはかかるけど、結果はどうであれあった感はでる。

結果が伴わないとやってられないようなことって正直価値は低いように思う。

何と言うかやっている最中の燃え上がている感じと言うか、負けるかクソみたいなのがあってこそチャレンジではあると思う。

そういう意味で言うと30代というか30代後半と言うか今は何もやってない。

それがダメなのではなくて、自分として納得がいかないだけ。

所詮自己満足でしかないので、自分が納得してないことをいくらやっても仕方がないと思っている。

どれだけ周囲から評価されたり、周囲から良いことやっていると言われたとしても、自己満足できないとやった意味がないと思っている。

自分の人生において自分が良かったと思えないと意味はない。

そもそもが生まれてきた意味などないと考えるとそこに意味を持たせることが出来るのは自分以外にないと思っている。

いくらでも意味づけをすることはできるかもしれないけど、高尚な意味であったとしても結局は自己満できるかどうか。

それだけの話。

となると今は60点ぐらいか。

ほなええやんと言う話。

ではなくて、もっと欲しがるのが僕です。

まあ無理に欲しがらなくてもいいし、足るを知る者は富むというぐらいですから、足るを知ればいいのだけども、そこはちょっと難しい。

他人の言葉で生きている訳ではないので、そういう言葉があったとしても知らんがなでそこは通したい。

あればあるほど欲しい。

足るを知らぬ物は貧しいが楽を知る。ぐらいな感じの言葉に変えられるようにもっと欲しがりたいなと思います。

 

意外と書いたな。

では今日はこの辺で。

台風の被害が最小限で収まりますように。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。