子どもが絵を描くような感じで毎日文章を書いている。
別に子供って何かって決めて描いてないと思う。
思いつくもの、目につくものを特別意識せずに書いている。
何かを目的としていない。
ただ描きたいから描く。描いている内は夢中になっているからなんでも描ける。
そんな感じで僕も書いている。
だから特別な意味はない。脳内にある不要な記憶を消すために書いている部分もあるかもしれない。
とりあえず出す。溜めない。ひたすらアウトプット。
うんこしないと具体が悪くなるから書く。
そうした方がいいと坂口恭平さんが言ってたことを真に受けてこうやって毎日書いている。
真に受けるということは今までしたことがない。
人に言われたら斜に構えるしかやったことがない。
斜に構えた方がなんかいいような気がして。
人に言われたことをそのままするってなんかカッコ悪いような感じがして。
思春期の思いをそのまま大人まで引きずってきた結果が今だから斜に構えるをできるだけ減らそうとしている。
斜に構えるためにあえて頑張っていたところがちょっとはあるかもしれない。
人に何かを指摘されても変えない。指摘されたところは自分らしさだから、他人の視点からすれば変えるべきところかもしれないけど、僕はそれが僕らしさだと思ってその行動を取っている訳で、信念を持ってやっているのだから、他人にとやかく言われるつもりはない。と当時の僕が思っていたかどうかはわからないけど、とりあえず人に言われたことを敢えてやらないようにしていた。それが僕なりのルール。人に言われて変えるのはカッコ悪いというのが絶対だった。
なんであんなに意地を張っていたのか今となっては良く分からない。でもその当時はそれがいいと思って、最善の方法だと思っていたから実行していたのだと思う。
根本は大きく変わらないかもしれなけど、今は人に言われたことや人がやっていることを参考にした方がいいのかもしれないと思っている。
素直さが大事だと感じてきた。素直でないと誰も何も言ってくれなくなる。そうなると誰も周りからいなくなる。
どうしても人が必要とは思ってもないけど、全くいないのはいないで寂しいものだと最近感じている。
友達がたくさん必要だとは思ってない。でもいくらかはいた方がいいような感じがしている。だからと言って積極的に友達作りに励むようなことはしてない。そもそも友達作りというのが良く分かっていないから。友達って自然と出来るものじゃないかなと思っているから。
敢えて作る友達というのはなんか不自然な感じがして。だから自然と出来るのを待っている。行動したら自然と出来ると思っているから、今のところ友達作りは一先ず置いている。
好きなことや興味のあることがあれば自然と人との出会いが生まれる。そうなれば必然的に他者と会話を交わすことになるので、そうなれば関係性が出来、友達が出来る可能性もある。友達ってそんなものだと思っている。
今のところ僕が活動してるのは、こうやって文章を書く、畑へ行く、仕事をする。ぐらいで、それ以外においてはほとんど自宅で過ごしている。文章を書くのも自宅でやっているので、外へ出るのは畑と仕事ぐらいか。これが人から見たらどう映るのかはよくわからないが、すごく充実している。
外へでることが生きがいであると信じていた時期からすると考えられないが、自宅で過ごすことで充実感を得られるのだから不思議なものだなと少々感慨深い。
落ち着きのなかった僕からするとじっと何かに取り組むということはありえないことで、出来た試しがなかった。親からは常にじっとしなさい、落ち着きなさいと言われ続けた。結果できないまま大人になった。じっとしようとするとなんか余計に落ち着かなくて、焦りを感じていた。その当時はじっとすることが手持ち無沙汰だったのかもしれない、何かをしている方が逆に落ち着いていたのかもしれない。
そう考えると今も落ち着いているとは言い難い。こうやって書いているのも落ち着かせるようにするためのある種の儀式であるのかもしれない。書いていると他の行為をできないので、落ち着かざるを得ない。
そうか書くというのは僕にとって儀式なのかもしれない。
毎日何かに向かって祈りを捧げ、精神を安定させるように。こうやって書くことによって精神を安定させているのか。これは儀式であり、薬であるのか。
そう考えると僕にとってはこんなにもぴったりくる儀式・薬はないなと思う。
書くことを続けていれば僕はずっと平穏を得られる。こんなすごいことはない。
これは僕にとって世紀の発明だ。
僕はパソコンさえあれば、パソコンでこうやって書くことができさえすれば精神を安定させ生きていけるのか。生きていくためにまず必要なものは僕にとってはパソコンかもしれない。
人と付き合うためにもこの装置は欠かせないものになる。
また一つ僕の大事なものが見つかった。
こうやって書いていると色々と見つかる。
脳内を探検しているような気分だ。
探検って小さい頃に家の近所でよくやった。
知らない所に行くことほど楽しいことはなかった。
こうやって文章を書きながら探検ができるなんて最高だ。
家に居ながらにして、椅子に座りながら探検をする。素晴らしいな。
また発見があった。次から次へと発見がある文章を書くと言うことは他に代えがたいものであると分かった。
こうやって発見があるのだから毎日続けた方がいいに違いない。
だから書いていると言っても過言ではない。
薬を超えてもはや麻薬と言っても差し支えない。
それだけ僕にとっては影響が大きいものだ。
書いているといくらでも脚色することもできるから、可能性は無限。
文字を書くと言うことは永久に無くならない探検。
このブログはもはや探検記としても良いぐらい。
但し僕にしか理解できない記録になるのは間違いない。
次の誰かの探検に役立つとは思えないけど、僕のために僕自身が書いて道に迷わないようにしたいなと思う。
大丈夫、きっとうまくいくよ。