いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

楽しいから続いている。

昨夜は眠れなかった。

9時過ぎに就寝して4時に起きようと思っていたけど、暑くて目が覚めたのが12時半そこから一睡もできず。結局4時前に起床。

残っている仕事をやってしまって、とりあえず休憩。

こんなにも朝早く起きたのは100キロマラソンを走った時以来だと思う。

100キロマラソンの当日は早起きと言うかほぼ寝てなかったかもしれない。

当日のスタートがたしか4時半ぐらいだったので、2時間前に起きておこうと思ってたぶん2時過ぎぐらいに起きて準備をした記憶がある。

結果は惨敗で70キロ過ぎでタイムオーバー途中行ける気もしたけど、明らかな練習不足で体力が底をついた。

それに途中給水ポイントで水がないことがあり、のどの渇きがありフラフラだった。

あと栄養補給が必須だと思い、補給ポイントで通常の食事並みに食べたのも敗因の一つだと思う。

ラソンを終えたのに逆に体重が増えていたぐらいに食べてしまった。そりゃ消化に体力を奪われ感想できるはずもない。

というか途中から感想よりも早く回収して欲しいという思いしかなかった。

あれは本当に苦痛なチャレンジだったと思う。

それまでにもフルマラソンにもチャレンジしていた。その大会は制限時間が他の大会よりも長かったためにタイムが遅くても完走できた。

あの時も途中で辞めたかったけど、辞めたらカッコ悪いという思いだけでなんとか完走した。というか35キロ付近からひたすら歩き続けた。この大会の前もそんなに練習しなかったけど、それでも完走できるもんなんだと楽観視していたために100キロマラソンの前の練習を怠った。

 

たぶん僕の人生でもう今からマラソンにチャレンジすることはないと思う。

ランニング愛好家の人に対して失礼を承知で言えば、あれほどの時間を走ることだけに費やすなんてもったいないと思ってしまう。

せっかくそれだけ走れるんだから、大会なんかに出てタイムを競うのではなくて、どこか目的地まで走ればいいのにと思う。

移動に使う体力が余りにももったいない。何のために走っているのか。

しかも折り返し地点からまた来たスタート地点まで戻るなんて正気の沙汰ではない。

もったいなすぎる。命を削って走ったの何の意味もないスタート地点にまた戻ってくとは悲しすぎる。

という風に僕は思うのです。何か目的地があれば走るかもしれないけど、ただ42キロを往復することに時間と体力を使うことはしない。

それに練習しないと途方もな時間をその大会に捧げることになる。

さらには時間を短縮するために、日ごろから走る時間を確保する必要がある。

もっと言えば生活全般を走るための身体づくりのために調整する必要がある。

ラソンをするということはそういうことではないかと思う。

僕にはそこまで時間を、人生を捧げることはできないと感じたから続けなかった。

ラソンとはそれほどまでに過酷なものだと僕は思っている。

スポーツの中でも特にストイックでなければできない。

それが趣味であったたとしても同じだと思う。

草野球なんて練習しなくてもいつでもある程度できるけど。

ラソンはそうはいかない。全く練習なしでは完走できない。

それなのに挑戦する人は頭がおかしいとしか思えない。

凄すぎる。尊敬に値する。

もう走ることはないけど。

 

ラソンについてここまで話が広がるとは思わなかった。

でも運動はいいと思う。

身体を動かしてこそ動物なので、こうやってパソコンの前にじっとすわって創作活動するだけでは本来の能力を使いきれてないと思う。

もちろんヒトにしか創作活動はできないと思うから、ヒトらしいと言えばそうかもしれないけど、やっぱり動いてこそ。

だから最近筋トレを始めた。

筋トレもマラソンと大差はない。

筋トレに目的はない。目的はないとは言えないか、生活とは直接結び付きにくいと言った方が良いか。

筋トレしたからと言って生活が激変するようなことはないし、便利になる訳ではない。

そこで使ったエネルギーが何かに変換されるわけでもない。

エネルギーの無駄使いと言っても差し支えないと思っている。

何か作業をした結果筋肉がついたとなれば話は違うが、筋トレは練習のための練習みたいな感じで実践の場はないと思っている。

ただ一つあるとすれば実践というか、生活にハリを与えてくるという可能性はある。

筋肉が大きくなれば特に意味はないけど、やった感はでる。

努力の証が筋肉の大きさ。

そう考えると無駄ではないような気がする。

ラソンもやった感はでる。タイムが上がればそれは努力の証。

 

みんな努力の証が欲しいのか。

やったらやった分だけの見返りがあることを有意義なものと捉えているのかもしれない。

やったのに目に見える結果がないものにはあまり興味を示さないのかもしれない。

興味を示したとしても価値を見出すことは難しいかもしれない。

なので、継続することが難しい。

でも今僕はそれをやり続けている。

書いても書いても成果はない。

ルームランナーで走り続けているだけ。

やった感は特にない。

自己満足以外の何ものでもない。

でも自分が満足しているから、それでいい。

他人から見たらあなたはどこを目指しているのですかと思われる。

でもそんなこと大したことない。

バカにされても大したことない。

自分が満足しているならそれで十分。

他人の評価が全くないけど、評価が無くても続けられる。

単純に楽しいから続けられる。

続くかどうかは楽しめるかどうか。

苦しくても楽しいこともある。

辛くても楽しいこともある。

とりあえず楽しいかどうかだけ。

 

あーなんとなく眠くなってきた。

仕事前にひと眠りしよう。

おやすみなさい。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。