いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

良いと思っていることがなんで良いのかをあまり考えたことがない。

今日から仕事が再開される。

そう言えば昨日でラジオ局を閉じた。

あっという間の妄想ラジオ局だったけど、楽しくやれた。

いつかのためにまた練習しておこうと思う。いつでもできるし。

今日も朝焼けは綺麗で朝から気持ちがいい。

最高の朝を迎えた。

これだけ気持ちがいい朝を迎えられたけど、昨夜は全く違った。

夜トイレに起きると、パンツが濡れていた。

おねしょをしてました。

何の前触れもなかったのに。

酒は飲めないので、酔っぱらっていた訳ではない。

久しぶりにおねしょした。

1年ぶりぐらいか。

なので1年に1回ぐらいはおねしょをしている気がする。

疲れていた訳ではない。

いや、今の感じだとちょっと疲れていたかも。

何となく身体が重い。

昨日の筋トレが効いたようだ。

一昨日にに図書館で借りたTarzanを見ながらの筋トレ。

BIG6と名付けられたトレーニング6種。

自体重トレでかっこいい筋肉つけましょうみたいな。

ジャニーズの人が表紙でした。

確かに美しい肉体してました。

僕も頑張ればああなれるのかなと思って。

やってはみたけど、種目によってはしんどすぎて初級でも10回続けられないものもあった。

何てしんどいんだと思いながら、これを乗り越えれれば表紙のような肉体になれるのかと思うと頑張れそう。

その結果今日は身体が重い。

朝は気持ちいいけど、夜は寒かった。

寒さで一度目が覚めた。

おねしょしてパンツ一丁で寝たからかな。

タオルケットにくるまって寝てた。

でも朝は気持ちい。

どんな状況であろうと生きている限りは朝はやってくる。

おねしょしても、寒くても、眠れなくても。

朝が来ない方がいいと思うこともあるかもしれない。

僕もそう思うことはよくある。

そんな時でも朝は来る。

朝が恨めしい時もあるけど、キレイだとそんなこと忘れられる。

というかキレイだと気づけるのはまだ心に余裕があるということ。

周囲の環境に注意を向けられるぐらいの余裕がある。

意思的に自然を向けることは心を穏やかにする一つの方法かもしれない。

ぼーっと見る余裕がない時は自然の何かを細やかに見るだけでもいいかもしれない。

何か作業に没頭するのもいいし、自然観察に没頭するのでもいいと思う。

作るだけではなくて、観察するのもすごくいいと思う。

あっという間に時間が過ぎる。

僕の畑での作業がそうかもしれない。

野菜や草を観察しているとあっという間に時間が過ぎてしまう。

凄く楽しい。

作業と観察がセットになっているのが畑の良いところかもしrない。

 

良いと思っていてもなんで良いかわからないことが結構ある。

別に理論的にではなくてもいいけど、自分なりになんでいいのかわかるともっと深まってより没頭できるようになるかもしれない。その良い部分により着目できるともっと良くなりそうな気がする。

 

書くことに置いてはどうだろうか何が良いのかな。

書くことも没頭できる。

でも頭の中に浮かぶ言葉がいつでも流れに沿っているかは全く別物で。

もちろん全然違う言葉が出てくることもあるというか、ほとんどがそう。

意図しない言葉勝手に出てくる。

それは頭の中がその言葉を処理してくれと言っているのかもしれない。

書くとその言葉が少しの間消えている。

そうなると脳の容量が確保されるから、脳がちょっと軽くなる。

脳を軽くするためにやっている作業。

没頭できるし、脳の中を軽くできるところが良い点かもしれない。

もっとありそうな気もするけど、文章を書く時は深く考察しない。

熟考していると時間があっという間になくなる中らそれは良くない。

 

そうか熟考することも没頭することと同じなのかな。

でも熟考し過ぎると頭の中が言葉でいっぱいになるから、それはあんまりよくないと思う。

 

没頭すると言うことは頭や身体を空っぽにする行為。

反対に熟考は頭の中をパンクさせる行為。

確かに一度パンクしてしまえば、頭の中は真っ白になるかもしれない。

でも身体も同時にぶっ壊れるかもしれないから、止めた方がいい。

それに熟考すると言うことは省エネで行えることなので、尚更さけたほうがいい。

永遠に出来てしまう。そうなると寝る間も惜しんでぶっ通しで熟考しちゃうので身体がもたない。

だから熟考は没頭とは言わないかもしれない。

没頭はある程度疲れると限界がくる。

その限界が来ると言うのもまた大事。

適度に区切りを付けないと身体が壊れる。

僕は壊れたことはないからわからないけど、一度身体が壊れるともとには戻らない。

戻るとすれば時間をあとに戻せたときだけ。

でもそれは不可能だから、もとには戻せないと言うこと。

だから本当に気を付けた方が良い。

 

もし熟考したいなら、書きながらやるのがおすすめ。

パソコンではなくて手書きでももちろんいい。

むしろ手書きの方が融通が利いていいかも。

書くと手を動かした作業になるから、余計にいい。

疲れるから、途中で辞めたくなる。

そうなればこっちのもの。

身体を疲れさせると言うことがある程度大事。

そうなるとよく眠れるようになる。

疲れすぎると余計に眠れないこともあるけど、疲れることは大事。

脳力ばっかり使っても疲れない。

体力をしっかりと使ってこそ良い睡眠が得られると思っている。

僕はそんな古い人間です。

身体を動かすと言うことは非常に大事です。

なんたって人間は動物ですから。

動いてなんぼです。

思考ももちろん動いてはいるけど、それは植物でもできること。

動物なら動いた方が良い。その方が健全。

もちろん動けない場合もある。

でもその時は動けない時だから、動かなくてもいい。

 

この言葉はみんなに当てはまる言葉ではないな。

生まれつき動けない人や生まれてから動けなくなった人もいる。

そんな人を配慮していない。

そうなんよな。

全ての人に当てはまる言葉というのはこの世界に存在するのかな。

あるなら教えてほしい。

無いならないでそれも教えてほしいし、もっと多くの人に教えてあげた方が良い。

そんな残酷な世界ではないと信じたいけど、僕の生きている周りではそんな言葉聞いたことがない。

不可能だと思っている。

そんな僕に希望を見せてほしい。

誰か知っている人いないかな。

教えてくれない場合は自分で探すしかない。出来るかな。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。