いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

みんな準備してる

おはようございます。

今日も爽やかな一日の始まりを迎えています。

僕の様相をは初老を前にして爽やかさのかけらもないですが、心は清々しさしかありません。

本当に毎朝気持ちいいなと憂いしい気持ちでいっぱいです。

数時間後に殺人的な暑さがやってきそうな気配は微塵も感じられませんが、来てしまうんですよね。そんな残酷なことが全く感じれない。

まさにその時は知る由もなかった状態です。

天気予報がなければ殺人的暑さがこの後やってくるなんてわからないと思います。

そう考えると天気予報ってありがたいなと感じると同時にいつの間にか天気を見る力を失ってしまったんだなという思いもあります。

いつから人間は天気を見なくなったのだろうかと。昔の人たちはどうやって自分たちの危機から身を守っていたのだろうかと。天気予報前と後でどんな変化が合ったのだろうかと思いを馳せましたので、また今度天気について調べようと思いました。

今ちょうど朝ドラでおかえりモネやってますしね。だから何って訳なのですが、たぶん天気が気になるのもそのせいだと思います。あのドラマで天気のことについて話始めると、いつもほんまか?とつっこみ入れてしまいます。そこまで正確に天気をあてられているように思えないから。空を見るだけでそんなに情報量が多いのかなと思います。

いつも僕が空を見るのは綺麗かどうかだけ。今朝の朝焼けもきれいです。こんなにもきれいかというぐらいに。いつも狭い縦長の窓から見ているのですが、そんなところから見てもきれいに見えるぐらい最近の朝は綺麗です。

夏の朝は綺麗のかな?今まで早朝に空を見るということが無かったので、気づかなかっただけで、夏はの朝空は綺麗なのかもしれない。気持ち良過ぎる。日の当たり方がなんかちょうどいいですよね。皆さんもまた見てみてください。

 

この改行の少ない文章非常に見にくいとは思いつつも、中々クセが抜けません。

書きだしたら夢中になって、開業を忘れてしまう。句読点はなんか話のちょうど切れ目的なところで、うっているつもりではあるけど。改行ってどうしても話し言葉と言うか頭の中の独り言を書いていると中々意識出来ない。

まあ日頃から意識していればできなくはないけど。めんどくさいからいつも適当なところで改行をしている。

 

今日は先にタイトルがきまったのだけど、みんな準備している。

そう、実はみんな準備してるんですよね。

なんかそんな雰囲気出さないのにみんなやっているんですよ。

仕事の準備。

事前に起こるであろうことを予測して準備しています。

それをみんな教えてくれないんですよね。

どんな準備の仕方をしているのか知りたいときもあるのですが、聞いたことはないです。

自分とのギャップを知るのが怖いから。

僕はほとんど準備しないんですよ。

全くではないんですけどね。

ちょっと準備してまあなんとかなるやろ精神で、あとはやってしまいます。

人は経験をすると学習するようになっているらしく、失敗のあとにはまた違う方法を選択するようですが、僕の場合はなぜか脳の中に学習機構が備わっていないようで、シンプルな構造で行動は一択らしいです。

先ほどもお伝えしたようになんとかなるやろう。

これだけですね。

人はおそらく階層構造になっており、難易度によって頭の使うところが違うみたいで、難易度が上がるにつれて行動を変えているようです。難しい時は難しい時なりの、行動が選択できるようになっているみたい。そんな感じがします。

僕の脳は階層構造にはなっていない。難易度が上がろうが下がろうが大体同じ行動を取ているように思う。

なんか下手に難しい言葉を使うと何を言っているのかわからないし、広がらないから止めておこう。

 

とりあえず話を戻すけど、みんな準備をしている。

僕の周りの出世しているであろう人間は僕と遊んでいながらも裏ではみんな準備をしていた。

次の仕事に備えて準備をしていたのです。

何のために今これをやっているのかと言うことに対して明確な目的を持って対応していた。

だから進むべき道を誤ることなく一直線で目的地にたどり着いています。

新幹線みたいな感じですかね。基本的には乗り換えなく、途中停車することはあるかもしれないけど、方向を変えることなく、一直線であっという間に先に進んでいます。

あれ?同じ駅から出発しませんでした?というのを何回も経験しています。スタート同じでも目的地が明確なので、すぐに到着しています。もちろん紆余曲折はあるにしても。

僕の場合は出発駅は同じでも在来線を使って、目的地など設定していないので、分岐に差し掛かると面白そうな方を選択しているので、気づけばどこにいるのかわからなくなることもしばしば。

たまに分岐ミスで、環状線を走っている時もある。見たことある風景を時間が経過しても再び走っている時もある。そんな風にして、行き先をあらかじめ設定していないから、先に進んでいない時もあります。

 

短い人生を振り返ってみるとそんな大きな違いが人と生まれていたのだなと驚くばかり。

目的意識を持って準備することがいかいに大事であるかと言うことを最近になって痛感している。

かと言ってここからやり方を変えることないのが僕の悪い癖です。

あまのじゃくです。

じゃあもっとみんなと違うようにしてやろうと思ってしまうのです。

ばかですよね。上手くいかない方をあえて選択したくなるんですよね。

でも確率論であって、上手くいかないとは限らない。

それに目的地が明確である人にとっては準備というのが必須であり、目的地に到達するためには欠かせないものになっているけど、僕みたいに目的地が明確でないに人間にとって、最短距離を如何に効率よくめざせるかというところに力点を置いてないので準備は必要ないとも言える。

その場で楽しかったらそれでいいのではないかと。

人の考え方は人それぞれだから別に僕みたいな人間がいてもいいのではないかといつも思っている。

合目的的な行動ばかりではつまらないと思う。

目的至上主義で皆が目的地にたどり着ける訳でもない。途中下車してしまう人も多くいると思う。たまたま僕の周囲では上手くいっている人が多いだけど自分を慰めておく。

 

そう、僕は四連休の予定を立てずに初日を迎えたということをここに記しておきたい。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。