いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

自閉するということについてもう少し書いてみる

昨日もひたすら書いた訳ですが、今日もなんとなく書きたくなってきた。いやなんとなくではなくて、まだ書き足りないことが僕の中であったからそれを出し切ってスッキリしたいのかなと言うことでまた書きます。ウンチが中途半端に残っていると気持ち悪いですもんね。ウンチは出してこそ価値がありますから。腹の中に残っているウンチは臭いガスを放出して、おならになって、自分だけでなく周囲の人にも嫌な気持ちにさせますのでしっかりと出し切っておきましょう。と書き出し勢いよく出ましたが、何について書きたかったのかすっかり忘れてしまいましたので、下記ながら思い出していきたいと思います。

自閉について昨日はどんなことを書いたか正直はっきり覚えていないのですが、だから今日も重複することが多々あるかもしれないけど。まあそれは大目に見てやってください。大目に見てやってくださいの「大目に」ってなんか改めて考えるとすごいですね。だって「大目」ですよ元々目が小さい人はどうするんだって話ですよね。その小さな目をかっと開いてにこやかに見守ってくださいということですかね。そうか、怒るとみんな目つきがきつくなるから、そんなことせずににこやかにってことか。でもにこやかな時の目の感じもきつくはないけど大きくもないよな。むしろ目細くなってるから、小さいと言うことはどういうことなんでしょうか。

というようにですね。勝手に中から中から訳の分からないことがどんどんと湧き上がってくるんですよね。生きていると。その謎の疑問に答えようとすると、外から情報を入れている場合ではないんですよ。まあそれは僕の場合であって、僕以外の人がどうなっているのか調査をしたことがないのでわかりませんが。この謎の疑問を坐禅界、まあそんなものが存在するのかわかりませんが、座禅界隈としておきましょうか。座禅界隈の人たちから言うと雑念というのでしょうか。この雑念が絶え間ないんですよ。すごいの。以前に話したと思いますが、僕は一度だけヴィパッサナー瞑想センター?施設の正式な名前は忘れましたけど、ヴィパッサナー瞑想というのを経験したことがあります。その時に瞑想をするのですが、すごく色々なことが気になって、中からどんどん言葉が出てきてしまうというのを講師というのか、みんなの前で皆の方を向いて坐禅をしている方に質問をしたことがあります。で、その時に言われたことはたしか「それは辞めた方が良い」と言ったようなことだったと思います。そらそうだ。辞めた方がいい。ていうか辞めれるんだったらこんなこと聞いてないよと思うのですが。その時に感じたのは僕は現在の状況を実況中継してしまうんですよ。そう実況中継のような感じ。今も文章を書きながら、貧乏ゆすりをしているのですが、無意識でしていることをなんとなく観察してそれを頭の中で文字にしてしまうのです。してしまうのですというか、しているらしいのです。

別にこんなことしたいと思っていないのですが、勝手にいつの間にか、いつからか結構している。外に出ない独り言みたいな感じですかね。だからこうやって文章を書いているのもある意味でいうと独り言を文字に起こしているような状態なのかもしれません。言葉が勝手に出るからそれに任せて書いているような状態です。これが創造的なこと、芸術的な言葉であれば僕も作家としてもしくは詩人として食っていけるのでしょうけど。普段日常で使っている言葉以外全く中からは出てきませんので。チクショーと悔やむわけなのですが。

まあ、そんなことは置いておいて。いや置かなくてもいい、このまま続けましょう。そんな感じだから、その流れとかそういうのが全く考えられないので、ひたすら文章を打ち込み続けてしまいます。そのためにどこで改行したらよいのかわからなくて、読みにくい文章になってしまっていると思います。

一応大学受験する時に推薦も受けて、その試験科目の一つが小論文だったので、人に伝わりやすい文章とはどういうものかというのを勉強したはずなのですが、全く覚えていません。句読点の位置とかもっと読みやすいところがあるんだろうとは思うのですが、適当に入れています。たぶん僕の文章は句読点。特に「、」これが必要以上に多いように思います。「、」これが句点ですかね。読点かな。どっちかわからんけどとりあえず、たぶん点が必要以上に多いと思います。僕の息継ぎするタイミングがそこなんです。読み方が下手なのかな。ざーっとスムーズに読みあがるのが苦手なのかもしれない。

でも小学校の時の本読みは上手だと言われていました。そうなんです、また思い出しましたね。僕は小学校の時はきはき読むし、声も良かったのか。本読みは褒められていました。今考えるとなんで本読みなんか授業でやったのかなと思いますが。そのせいで僕はいつまでたってもその読み方から抜けられず、声に出して読むスピードでしか本を読むことが出来ません。そのため、速読が全くできません。やろうと思ってもどうしても心の中で読んでしまう。視覚情報ではなく、聴覚情報として文字を捉えてしまうのです。そうかだから現在起きてることを実況中継してしまうのかもしれない。見ながら読みながらということをしているのかもしれません。その時起きている状況を文字にしているのかもしれない。すごく無駄な脳ミソの使い方をしているようです。驚きです。効率悪すぎです。視覚情報だけを取り入れたらいいのに勝手に聴覚情報に変換していました。すごいロス。だから情報処理が遅いのだと言うことが良く分かりました。あーそうかーすげぇことに自分で気づいてしまった。そら仕事が遅いわけですよ。僕は本当のところ視覚情報で物事を判断していることが多いと思っていたのですが、違うんですね。結構聴覚情報。いや違うな。聴覚情報ではありませんね。視覚であることには間違いないのですが、見たまま判断すれば良いことを勝手に文字として読んでいるのかもしれない。

自分でここまで書いてきて全く意味わからないんですが、見えるものを文字化しているのかもしれませんね。どういうことかな。茶色のものを見て茶色やなと読み上げている。これって誰でもやることかな。パソコンを見て、「これパソコンやなシルバーやな四角いなかっこいいな」とかっていうのを一々行ってるんですね。やっぱり実況中継してます。

視覚とか聴覚とか文字化するとかそれっぽいこと言うてますが、実況中継=独り言をひたすら言っているようです。ひたすらに。そうかそれがいつも冷めたような感じになっていたのかと今気づきました。人の話を聞いてもその状況をずっと心の中で何かいうてるんですよ。合いの手入れたり、ツッコミ入れたり、関心したり。会話せずにずっと独り言を言ってたみたいです。だから何か発言した時に自分の中ではひたすら独り言言っているかある程度、話進んだっぽい感じで話するけど、伝わってないってそういうことだったんですね。それでイライラすることあったけど、自分の独り言を話していないということを忘れていました。

そう言えば昔「さとられ」だったかな、なんか自分の心の声が全て漏れているっていう映画があったような気がします。タイトルあっているかわかりませんが。どんな内容で、どういう結末なのか映画見ていないから知らんけど。もしそんな状況になったとしたら、僕は生きていけないなと思いました。だってこれだけひたすら独り言言っちゃっている訳ですから。僕の思っていることだだ漏れですよ。そんな状態になると引きこもるしかなくなりますよね。でもこの引きこもるというのは自閉っていうこととは違うかなと思う。

坂口恭平さんの本で書いてあった、「自閉」ということがどういうことだったかは忘れてしまったけど。そうです僕本読んだらそこで終わりですぐに内容忘れるんですよ。ほんで適当に解釈して、あの本にはこういうことが書いてあったなとか言って、勝手に良いように捉えています。そう、僕の本の読み方はそんな感じで。楽しかったらそれでオッケーで、何かを得るために本を読むって言うことがあんまりないかも。本読むことって楽しいから読んでるだけで。そう、僕本読むの好きなんだなと思いました。最近。最近までの本の読み方って何かをその本から得ようと思って、読むことが多くなってて読むの苦痛になってたんですけど、ある人からこの本面白いよって言われた本をただ勧められたから読んだだけで、何かを得ようとせずに読むと純粋に面白かった。僕はそういう出会いを求めているのかもしれない。

良いと思うから行動して結果どうか。みたいな出たとこ勝負みたいな感じが好きなのかもしれない。

あー違うなこんなんちゃうねん。今日のテーマ自閉することについてやのに。

自閉って、その引きこもるとかそういのではないということやと解釈しています。

かと言って自分とひたすら向き合い続けるということでもないとも思っているし、僕は自分と向き合うと言うことをひたすらに避けてきた人生を送っているので、そんなことできるはずもありません。そんなことしない。したくないし。なんせそんなことして楽しくないでしょ。だから僕の自閉はそんなんじゃなくて、ひたすら読み上げていることを聞いているというか。実況中継を聞いているというのか。それだけでも忙しいんですよ。にも関わらず外からの情報を入れると言うのは結構大変だと言うことが最近分かってきました。インターネットに接続する機会が減ってそれは改めてわかりました。外からの情報に対応し続けていると。別に意識して対応している訳ではないんだけど、無意識に対応している訳ですが。それが続くといつの間にか僕の脳みそは疲弊しているようです。なにせ容量が狭いので。そうなってくると昨日の事とかさっき言ったこととか結構忘れるんですよ。昔は記憶力良いって言われてたんですけどね。記憶力には自信があったし、記憶力が必要な科目は得意でした。社会は結構得意。科目ではないけど、漢字も検定は受けてないけど、いつも漢字のテストは得意でした。覚えるのが何よりも楽しかったと言うこともありますしね。そうや確かにひたすら記憶するの好きやった。漢字なんて書くのめちゃ好きやったもんな。なんでやろ。算数のドリルとか他の科目のドリルあったような気がするけど、漢字ドリルが一番好きやったもんな。あれはなんでやったんやろう。形が好きやったんかな。忘れたけど。こうやって書いていると結構思い出す。

そう自閉して外からの情報を減らすとこうやって色々と思い出すことが増えたんですよね。それとあと自閉するだけではあんまり良くないのかなと。入れる情報が減っても出すもんは出した方が良いと思うんですよ。断食と一緒で、食事を断っても、出るもんはでるからウンチはしっかりとした方がよい。ウンチに限らずオナラもオシッコも出した方がいいんでしょ。代謝しないと身体が悪くなります。そうなんですよね。基本中の基本ですね。健やかな身体になろうと思うと入れたら出す。と言うのが当たり前のこと。これは絶対ですね。絶対なんてこの世にはそうそうないけど、これは絶対。呼吸は吸ったら吐く、水は飲んだらオシッコで出す、食べ物食べたらウンコだす。情報入れたら、何らかの形で出す。そうすると健やかになってきますね。

僕の形としてはインターネットに接続する頻度を減らして、勝手にする実況中継に合わせてこうやって文章を書くと言うことがウンチです。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

これを言い続けて、書き続けて、健やかな身体を作っていきたいと思う次第です。

今日も結構書いたな。

文章を書きだすととまりませんね。

この辺にしておきます。