いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

平日の朝

昨日の雨から一転今日は天気がすごく良い。

とても清々しい朝だ。

こんなに清々しい日も中々ないぐいらいの良い天気。

でも今日は平日である。

そうなると仕事があるということ。

いつも通り5時過ぎに目をさまして、一日の始まりのルーティンをこなした。

それがないとどうも身体が動き出さない。

ルーティンをこなしても、連休明けのせいか身体は重い。

まあそれも仕方がないことで、基本的には仕事に行きたくないからどうしても精神的に辛さはある。むしろ無いわけがない。

それにも関わらず、朝のルーティンのおかげでなんとか起床できていると言った方が、正しいかもしれない。それぐらいに今僕にとっては朝のルーティンは大事になっている。

 

朝何かすることがあると言うのはきっかけとしてはすごくいいものかもしれない。以前も書いたけど仕事のために朝起きるでは、動機付けとしてはちょっと弱いし、嫌な者のために行動すると言うのはどうしても気合が必要になってくる。

それを仕事ではなく、このブログを書くために起きるということであれば意外と起きられるもの。

そして、最近何回も繰り返し書いているように、就寝時間を決めてしまっているので、そのおかげで朝の目覚めも良い。

ルーティンと就寝時間を決めてしまったことが、今の僕にとっては非常に大きいように感じる。これは誰にとってもやってみる価値があるとさえ最近は思える。

 

ルーティンと繰り返し書いたが、これは日課とした方が僕の中ではしっくりくるので、日課とする。坂口恭平さんも日課と言ってたしな。

日課ってすごくいい。特に僕みたいな怠惰な人間にとっては非常に重要。怠惰というか人に予定を立ててもらうのが苦手な人間と言った方がいいのかな。人の立てた予定はすごく窮屈な感じがする。逆に自分で立てた予定はどれだけで忙しい予定でも案外やりきれたりする。勝手な人間です。

そんな僕なので、できるだけ日課はきっちりと時間を埋めたい。埋めれば時間はあっという間に過ぎ、何をしていたんだと後悔することがない。

最近は朝はそれが出来ているので、なんとなく充実している気がする。別に大した世のため人のために役に立つようなことはしていない。むしろそれが良いのかもしれない。どうでも良いことをやっていくということが僕にはあっているのかもしれないな。

 

日課があると平日の朝も怖くない。嫌な予定が入っているとしても朝が良いから、その印象もやや薄れる。まずは日課を確立することが窮屈からの解放の一歩なのかもしれない。

こんなにも良い天気なのだから、良い気分でスタートしていきたいと思う。

連休明けの平日とはいえ、今日と明日仕事に行けばまた休日が待っている。

だからこそ頑張れるというところも多分にあるような気はするけれど。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。