いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

気付けば書くことが日課になっている

今日は休みだからか早く目覚めた。目が開いたら4時ちょうどだった。

今までだったらトイレ行ってもう一回寝てた。

そんな僕がトイレでうんこして即パソコン開いている。

目が冴えているし、一体どうしたことかと思える。

数カ月前だったらこんなことはありえない。

人の行動というのは意外と簡単に変わるもんなんだなと思える。

10代の頃から僕は完全に夜型だと思って、何か作業に取り掛かるのは夜と決めていた。

夜の方が静かで集中できると思ってたし、効率も上がるような気がしていた。

今は全くの逆で夜は何もできない。ダラダラするだけ。

寝るための準備のために夜があると思っている。

何かするとしたら朝が良いと言うのが良く分かってきた。

10数年もそう思って生きて来たのになんでこんなに簡単に朝型に変わることが出来たんだろうと振り返ると。

僕の場合は憧れが大きい。

坂口恭平さんがそうやってたから。だからやってみよう。

ただそれだけ。それ以上もそれ以下もない。

日課を決めていると言ってたので、それをマネしてみただけ。

なんかそれで良くなるような気がしたし、自分に合っているような気がした。

でもそれってなんでやろ?

今までも本を読んだり、ネットで調べたりして睡眠のことや習慣についてのことは学んできたつもりやったけど、全く実行に移すことができてなかった。

実行したとしても続かなかった。そこは持ち前の飽き性というか、持続力の成せる業かと思っていたけど、今現状続けられているところをみるとそうではないみたい。

人間そのものは変わっておらず、飽き性や持続力のなさというのは変わらない。

でも生活リズムは完全に変わっている。それが不思議で仕方がない。

難なくできたような感じがするから。

努力を全くしていない。

早起きは努力の賜物で、気合と根性でなんとかするものだと思っていたけど、決してそうではないみたい。

やること決める、つまり日課を決めてしまうと気合とか根性ではなくて、自然と身体がその通りに動いてしまうようだ。

日課の意味をいまいち理解できてなかったけど、好きなものを実際の時間に当てはめて行く作業のことを言うらしい。たぶん。

難しく考えていたけど、好きなものややりたいことを時間ごとに区切って、それをただ実行していくだけ。それだけで早起きできるし、やりたいことができるなんとステキな仕組みだろうと思う。

恭平さんが長年かけて研究してきた結果このような方法が生まれている。多くの人に試したわけではないけど、実践的だから身体にもすんなり入ってくる。

体質的なところもあるのかな、万人に受け入れられるようなものではないかもしれなけいど僕に今のところぴったり来ている。憧れの人と同じ考え方で生活を送れるということはほかでもない喜びである。

でも恭平さんに依存しすぎているといなくなった場合が怖いので、真似をしつつ僕なりの方法も見つけていく必要はあるなと思っている。

ただ恭平さんの言っていることは恭平さんだけしか当てはまらないことではなくて、普遍的なものも含まれているような気がするから。敢えて変える必要がないような気もする。

だからとりあえずは坂口恭平式の日課、事務というものを継続していきたいと思っている。

この坂口恭平式の素晴らしい点に関して言うと好きなものを24時間の時間割の中にどんどん入れていくので、努力の必要がない。頑張らないでいいから、ただやるだけだから自然とできる。

やっぱり努力が必要なことは身体にとっては窮屈になるので、どうしても長続きしない

。長続きしたとしても身体的に負担が大きく、自分をすり減らすことになる。だから続けられない。

偉人はすごいのではなくて、ただ好きなことをひたすらやっていると言うことかもしれない。本人にとっては努力をしている気持ちはなくて、ただ好きなことをやっているだけ。だから続く。

努力家だと紹介するのはおかしい。好きなものをひたすらやるって努力じゃないもんな。

でも学校ではそうやった教えられた。教科書で紹介されるような歴史上の人物は並々ならぬ努力をしてきたと。血と汗を垂らして、努力の結晶として作品を残したみたいな。

そんな教育を受けているから、どうしてもしんどいなと思っても我慢して続けるということを求められるし、しんどくなったときこそ頑張れと教えられる。それが僕には合わなかったんだなということ。このやり方が合う人も中にはいるかもしれない。

でも僕には合わない。好きなことをやることでしか、身体は動いてくれない。嫌いなこと苦手なことを継続的にやるといことに向いていないみたい。努力の結果克服していくということができない。

それを今まではすごく否定的に捉えていた。あの人はあれだけ頑張れているのに、それに比べたら僕はみたいな。そういうつまらない比較もよくしていた。そんなことしても何も得るものはないのに。

自分を否定しても本当に良いことない。良かった経験がないのに続けてしまう。それも不思議だなと思う。頭がおかしくなっていたんだと思う。どこか回線にトラブルが起きていたに違いない。睡眠時間が少ないとそんなことにもなるのかもしれない。しらんけど。

紆余曲折を経て、なんとか生きている。

今はまず一つこうやって好きなことを見つけられたので、またここから興味関心が湧いたものを日課に組み込んでより楽しそうな日課作成を続けて行きたいと思う。そしてその日課を日々続けると言うことに時間を割きたい。

やりたいことを近づけて、やりくないことを遠ざける。一見逃げているようにも見えるかもしれないけど、こうすることでよりよい生活が送れるような気がして仕方がない。

そう思える方向に向かうことも健全なことで、懐疑的に見ながら生活を続けていくと言うことはあまりにもったいないんじゃないかなと思う。

信じているものを実行し続けた先に自分なりの生活スタイルが生まれて、楽しい日々が送れるような気がしている。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。