いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

出会いによって心持が変わることもあるのかとしみじみ思う

今日で200記事目となった。

正直こんなに続くとは思ってなかった。これまでに色々とやっては辞めを繰り返してきた飽き性な僕にとっては偉業とも言える。どうやったらここまでのことができるのか。

ただ続けるだけ。それが僕にとっては窮屈であり、退屈であった。一時的に楽しければそれで良い性格だから、楽しい時間が長く続くといいなと思ったことはないし。同じものがずっと楽しいことは今までなかった。

それがどういう訳かずっと続いている。これは偏に坂口恭平さんのおかげと言っても過言ではないと思う。昨年坂口恭平さんと出会ってからなんとなく自分の中で何かが変わり始めたような気がしている。実際に恭平さんに会って話をした訳ではなく、書籍、SNSなどなどで文章を読んだだけ。でも恭平さんの文字にはライブ感があって、本を読んでいても朗読されているような感がなぜかあって、非常に面白い。

そんな文章を書けたらいいなと思い、続けている。文字にはそんな力があるのかと実感したから自分もそんな風に書きたいと思って書いていると、恭平さんなんか正直どうでも良くなって、ただ文章を書くのが気持ち良くなってきたから、どんどん書けるようになってきた。

恭平さんが毎日原稿用紙10枚書いている言っていたので、僕もマネをしようかと思ったけど、4000文字はとてつもない量なので、そこは早々に諦めて当初は3枚ちょっとの1000文字を書いていた。続けているとこれはもうちょっと書けそうな感じがしたので、今は4枚分毎回書いている。続けていると量に対しての負担感はあまりない。まだまだ書けそうな気さえする。

文字を書いているとどんどんと頭の中のつまらないことが消化されていき、とても気持ちがいい。すっきりとする。しかも朝のスッキリとした時間帯に書いているからさらにスッキリとしてくる。脳内洗浄という感じがある。

こうなってくるとあとは生活リズムを整えるだけなので、文章を書く時間を確保するためにはどういう生活をしたら良いかということを逆算するだけでいいのでとても楽。他に余計なことを考える必要はなくなる。

その結果、今は22時頃に毎日寝て、5時半までには毎日起きている。今の時期は非常に朝が気持ちがいいので、毎日気持ちが良いこと尽くしで、窮屈な感じがほとんどしない。

あれほど嫌だった仕事も特に嫌ではなくなってきている。日課の一部として8時半から17時半まで労働として組み込まれている。日課の一部となった今となっては、平日と休日の差に苦しむほどで、平日の仕事がある方がメリハリがついてなんとなく過ごしやすくもなっている。

決まった予定があり、日課を中心とした生活をした方が僕にとっては身体に良いようだ。フリーな方がいいような気がしていたがそれは気のせいであり、定期的にやることがある方が楽になるとは思っても見なかった。自分の特性をほとんど理解できていなかった。自分とはなんだと悩み続けていたあの時間はなんだったのかとがっかりするが、そのおかげで恭平さんと出会えたとも言える。つまらない悩みを繰り返した結果、恭平さんに辿り着き。辿り着いたら、それはそれでまたどうでも良くなって、次のことに興味が湧く。そういう体質だということを教えてもらって本当に良くなった。

これまでは続けられないことに対して自分の気持ちや意志の弱さを感じ、自分を卑下してきたけど、それは違っていたというのも教えてもらった。体質であり、そういう特徴を持った人間であるらしい。窮屈さを感じるともはやその物自体に興味を失くし、また次の興味の対象に移る。ずっと同じものを続けると言うことはない。ただ日課として続けることはできるけど、熱を持ったものが継続されない。そういう体質。

季節と同じで、常に変わり続けるけど、毎日は続くみたいな体質だということです。太陽が昇って、沈むのは毎日続けど、日の長さや気温や天気は毎日変わる。そんな体質です。自然そのものなのかもしれません。移り行くのが当たり前。自然が良いも悪いもないのと同じで、僕が継続性がないのは自然なので良いも悪いもないという結論に至ったかもしれない。すごく単純なことですが、これまで紆余曲折あり、すごく時間がかかりましたが、なんとなく体感できるようになって良かったなと思います。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。