いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

統一感がほぼない

以前は自分の内面に焦点を当てて文章を書くことが多かった。

というかそれしか書いてなかった。ひたすら「自分は○○」ということを掘り下げようとしていた。おそらく視界ゼロの世界を彷徨っていたのだと思う。

今もそう変化はないように思うが、少しは視界が広がっているように思う。

坂口恭平さんが自分を掘り下げたところで大したことはないし、そんなに面白くもない的なことを言っていたような気がする。

坂口恭平さんと出会ってから少し文章の内容が変化してきたのかもしれない。

 

統一感ないと言いながらこのブログでは頻出のワードかもしれない「坂口恭平」。こんなにも他人に興味を頂く日がくるとはとても思わなかった。

基本的に他人に興味を頂くことはない。ないこともないが、継続して興味を持つということがない僕にとって、継続して興味を持つ対象が出てきた時点でびっくりする。

これがいいとか悪いとかそういうことではなく、珍しい。大体はちょっとハマってすぐ冷めるというのが僕の基本的なパターンである。

本なんかも同じ著者のものを続けた買ったことなど他にない。まあ買っても2冊ぐらい。

恭平さんの本は既に10冊ぐらいになっている。しかも1年も経たないうちに。

 

何がそこまで僕を引きつけるのか。

最初は奔放さが特に衝撃を受けた。京都大学の学長?総長?と対談していたyoutyubeの動画を見たのが最初。対談相手が僕にとってはすごい人だと思うし、他のメディアでもみたことのある有名人にも関わらず、当時そんなに知名度がないと思っていた恭平さんは自分の話したいことだけをひたすらに話続ける。物怖じすると言う言葉を全く感じさせない。話す内容も意味がわからないけど、すごく面白い。どういう人物か詳しく知らなかったので、僕は狂人だと思った。こんなに狂っててもこのような場で対談できるということはよほどすごい人なんじゃないかなと勝手に想像していた。凡人の僕には到底理解できない、異次元の天才なのかなと思った。

それが恭平さんに興味を持った一番最初の出来事だったと思う。

そこから書籍を読み、配信動画を見て、ますます引き付けられるようになった。

 

でも出版されるものに興味があるというものでもない、行動が好きなのかもしれない。

本人が話すように躁鬱病として相当苦しんでおられたので、実際の苦しみがどの程度のものかわからないので、こんなことを言うのはすごく軽率かもしれないけど、あれぐらい行動できたらなと思っている。

あそこまで行動できる人間になれば怖いものなどないのかなと思ったりもする。

興味が湧いたら即行動。今までやっていたものが興味が無くなれば、また次のもの。

笑顔がいつ見てもステキ。真剣な話をしていても笑いを入れてくる。

恭平さんを見ていると心が軽やかになってくる。そうですね。ここが一番好きなところかもしれない。本の文章やツイッターでの発言を見ていると、苦しくなる部分もたまにあったりはするけど、大体が軽やかになってくる。なんでそんな風に表現できるのだろうかといつも不思議に思う。

どの本も笑ってしまう。笑っていいのかわからないけど、どの本も爆笑してしまう。

それだけ良く人を笑わせられるなといつも思う。

文章が好きなんだと思う。今まで読んできた本も当然面白いなと思うものはたくさんあったけど、作者に興味があるのではなく、作品が面白いと思うだけで、作者のことはあまり頭に浮かぶことはない。

でも恭平さんの文章はいつでもそこに恭平さんがいて、実況中継してくれている感がすごくてだからどんどん先へと読み進めてしまうんだと思う。ライブ感がすごい。恭平さんの喋り口調が最高に面白いから、本を読んでいても自分でいるというよりは朗読を聞いているような感じがする。

恭平さんの作品は恭平さんそのものだから面白いのかもしれない。恭平さんから生み出されたと言うのが明確にわかるからいいのかも。

これからも坂口恭平教の信者としてずっと作品を見て行きたないなと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。