いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

最近新しい体験が少ない

日々変化していくものなので、毎日新しいと言えば新しい。

もちろんそういう変化を感じ取るように意識すれば毎日変化を感じられるようになるのかもしれないし、そうした方が生活は充実するんだろうと思うし、誰かがそんな風に言っていたようにも思う。

そういう細やかな感覚を持ち合わせていないともったいないというのか、欲しがる人になるんだろうなとも思う。

細やかな感覚というのはいついかなる時も大事にされるし、重宝がられる。というか、丁寧に生きているように見えるのかな。

たしかにそういう生活には憧れる。今流行の丁寧に生きるというのはいいのかもしれない。なんで流行っているのかはよくわからないけど。昔ってそれが普通やったんちゃうんって思うし。でも流行るってそういうもんかな。何が流行るかはよくわからないなと未だに思う。流行りにあまり乗っかる方ではないので、現在何が流行っているか聞かれてもよくわからない。それに流行に乗れなくて恥ずかしいとか悔しいみたいなマイナスな感情を持ったこともない。あーそうなんやと思うぐらい。強いて言うなら、小学校の時に皆が持っていたゲーム機を買ってもらえなかったことぐらいかな。それ以来ゲームというものに目を向けることは無くなったから、良かったとも言えるけど。あの時に流行りのゲーム機買ってもらってたらたぶん今でもゲームやってそうな気がする。

その当時はゲームするよりも外で遊ぶ方が自分には向いていたとも思う。ゲームしてると思うように動かないから腹立つことが多かったし。ゲームって画面の中で自分ではないキャラを自分が動かしているという良く分からない状況になっている。それに自分は死なないのにキャラはどんどん死ぬし、死んでもまた生き返る。何回もやり直せるし、リセットボタンもある。その日一旦ゲームを止めても、また次の日には同じ場所から始めることだってできる。そういうのが嫌やったんかな。いや違う単純にゲーム機を買ってもらえなかっただけ。もし今無限に時間とお金があればもしかしたらゲームやるかもしれない。

あ、ゲームに興味なくなったきっかけ思い出した。ある時、ゲーム上手くなったところで。。。ゲームクリアしたところで。。。という一番思ってはいけいないことを思ってしまってそれ以来ゲームに時間を割くことを止めてしまった。ただそれだけの話だった。それなのにこんなに盛大に話をしてしまった。思い出すということは大事ですね。錯覚していることが結構ある。それを修正できるのが文章の中です。これ最高です。

 

新しい体験が無いと言うことなのですが、それってどういうこと?ですよね。さっきも言ったけど毎日新しいんだから。新しい体験し続けられると思うんだけど、なぜそう感じたんでしょうか?自問自答している感じがちょっと気持ち悪いですけど。

新しい体験というのは僕にとっては思いついたことを即行動に移すということですかね。思いつくままに行動することが最近減っている感じがするんですね。

まあ日課を重視しているので、当然と言えば当然の結果。それは忠実に生活を出来ている点においてすごいことだと僕自身思います。

今続いている日課を止めてしまうとまた元の怠惰な生活に戻ってしまうのではないかと言う強迫観念があるのかもしれない。無意識に。

別に今の日課を誰かに強制されている訳ではないので、いつ辞めたった何も責められることはないし、責任を感じる必要は一切ない。

でも自分で決めたことを守るという行為がやっぱり大事なんじゃないかなみたいに思うから続けている。

むしろ今やっている仕事の方がいつでも辞めようと思えば辞められる。雇われてはいるし、給料も頂いているので、働かせてももらっている訳で感謝すべきこと。でも僕が働くことで会社も利益を得ることができるという視点に立てば、僕は会社のために働いてあげているという風にも取れる。ということはよく考えたら対等の関係ではないかと思う訳です。ということは互いに尊重し合うべき関係にあるので、そうでない行動を取られることがあれば僕はいつでも辞める気でいます。

ってなんの話かよくわからなくなってきました。

文字数を増やすことでより瞑想感、いや、迷走感が強くなってきましたね。

でも脳内ってそんなにみんな綺麗に整理されているんだろうかと思います。たぶん外に出す時に綺麗に出しているだけではないのかなと思っています。

脳の中って混沌としているはず。その混沌を受け入れられないからみんなしんどいのかも。だから外に何かを求めてしまうのかも。ちゃんとしているものとか、きちんとしているものに憧れるのかもしれない。

混沌としている状態が長く続くと疲れるから、日課を決めて生活だけでも安定させようとしているのが、今の状態な訳で特別新しい体験なんて本当はなくてもいいのかもしれない。

それでも何かを求めてしまうのが僕であって、そこでこそ喜びを感じられるように脳の仕組みがそうなっているのかもしれない。それはそれでいいよねと思っています。

でも疲れるような気もしなくはない。疲れたら寝ればいいだけだから、楽なもんですね。あっという間に時間が経ってしまった。そろそろやめておこう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。