いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

正直は悪である

今日はネガティブな気持ちしかない。

昨日は会社の面談で、部署の責任者と話をした。

僕はいつもの通り現状で満足しており、それ以上に働くつもりはないと話をした。

むしろ、勤務日数か労働時間をもう少し減らせたらとも答えた。

この回答が間違っているらしい。

会社では嘘でもやる気がありますと伝えることが社会人としてのふるまいらしい。

僕はそのようなことは今まで一度も思ったことがなく、これまで上司と面談らしい面談なとしたことがないので、本音を言うことが正解だと思っていた。

言い訳になるかもしれないが、大して明確な目標が会社から示されていないのに社員に目標を立てさせる方がどうかしていると思う。

会社の目標があり、その上でそこに沿うような形で個人に目標を立てさせるならわかる。

何もないところで、さあ目標を立てましょうと言われても、それって意味があるのかなと思ってしまう。というか意味がないと思う。

目標のための目標なら、わざわざ面談までして共有する必要などない。

教育というなら、上司が行動を示す必要があるのではないかなと思う。

目標を語れない人間が、他の人間い目標を立てさせるのはおかしいと僕は思っている。

だから、ただ仕事することが僕の目標ですと言った。それが間違いらしい。おかしな会社だなと思う。

まあ確かに、僕は既に社会人として15年以上働き、世の中的に見たらよい年になっている。そういう人間が言う言葉ではないのかもしれない。周囲の様子を見て空気を読んで行動するのが大人としての行動なのかもしれない。

相手の気持ちを慮る。それが大人としてのふるまい。

そうらしいが、僕はどうもそれが出来ない。

相手の気持ちというものが分からない。

人はどうやって相手の気持ちを理解しているのだろうか。

そこから勉強する必要があるのかもしれない。

ただこれは僕が一番やりたくない行動でもある。

逆に言うと周囲の人は僕の気持ちを理解して、行動・言動を選択していると言うことになるが。

そのように感じたことはあまりない。

むしろこいつ俺のこと理解してないやろうと思うことばかり。

なんでそんな言い方すんの?とかどういう意味でそれ言ってる?とか。

そういうことに出くわすたびに人って他人のことわからないんだなと思っている。

だからこそ、この経験があるからこそ僕は相手のことなど理解できるはずもないのだから、別にそんなに気にせず自分の言いたいことを言う方がいいのではないかと思っている。そうやって行動して、それでも合う人と付き合って行くというのが自然ではないのかなと思っている。合わない人とは会わないというのが僕の考え。無理しない、そこまで理解しようとしないといけない人とは無理をしない。だって窮屈になるだけだから。

仕事上ではそれは仕方ない部分もあると思っている。特に顧客に対応するのはさすがにまずいと理解しているので、そこは仕事割り切って本音は言わないようにしている。

そうか、昨日の面談も仕事だった。間違えてました。

仕事は割り切る。そう考えることが必要ですね。

所詮は雇用されている身であって、自由に意見を言える立場にないのだと言うことを弁える必要がありますね。

勉強になりました。今日からは社会人として被雇用者として立場を弁えての行動・言動を取るようにします。

出もそうなると窮屈しかないので、続かないから辞める方向に向かっていくと思います。

つい先日あと5年ぐらいは働けるような気がするとかって、書いたような気がするけど、そんなにも続けられないと思う。

長くて3年、速くて1年。もうこれは避けられない。決まっています。これ以上は働けない。残念ながらいましがたカウントダウンが始まりました。

それまで自分で出来る仕事を探すしかない。

雇用される状況に置いて、これほどに悪態をついて拒否し続けて来たんだから、もうさすがに自分でやれよと。自分でやって見せろと周囲からつっこまれても仕方がない状況になっているので、やるしかない。

どうやって飯を食っていくのかを考えるとなると結構難しい。

でも日課を続けることがまず何よりも優先されるし、優先したいこと。

日課に関してはこないだ書いたところなので、それをもとにやっていけばいいだけだからそんなに心配いらないか。

やりたいことを書いているからできる。

窮屈になりそうなことは全部省いているし。

好きなことと言えばそう。

でもそんな簡単にできるのかという疑心暗鬼な部分もあるけど。

あくまで目標などという曖昧なものではなくて、将来の現実を書いただけなので、ただそれを実行するだけだからすごく楽だと思う。

最後は上手くいくんだから、怖がる必要はない。

自転車に乗る時もそうだった、最初はなんとなく怖いような気がするけど、自転車は設計上、踏めば前に進むように設計されている訳で、ただひたすらにペダルを踏み続けるだけ。

既に設計図はできているので、進むだけ。もし仮に上手くいっていないことがあれば、設計図を微調整しながら、また進む。修正、進むをひたすら繰り返すだけのこと何も難しくはない。と坂口恭平さんは言っていた。

他人の言葉を借りることほど楽なことはない。

でもそれでは自分ではないので、自分の言葉でやる必要がある。

頭の中で人の言葉を繰り返しても何の意味もないけど、こうやって書いているとその人の言葉であっても、自分の言葉にちょっとはなっていくのではないかと勝手に思っている。

マネをして、ちょっと改良を加えて。やってみて。それの繰り返しか。

日課に関してはマルパクりでいいかなと思っている。これほどまでに素晴らしい言葉はないと思っている。

それに体質という言葉も最高。

坂口恭平さんの言葉は僕にめちゃくちゃ合う。元から知っていたような、僕も使っていたんじゃないかなと錯覚をおこすぐらいにぴったりくる。

ぴったりくると僕が作った言葉ではないかとも思える。

人の言葉を自分の言葉にするというのはそういうことかもしれない。

咀嚼してかみ砕いて自分の物にすることもできるかもしれないけど、そんなことすら必要のないただ飲み込むだけで自分の物になる言葉があるような気がする。

理解しようとしなくてもいい言葉。

坂口恭平さんの文章にはそういう言葉が溢れているから、ドンドン先に読み進めることが出来るのかと今理解できた。

相手の気持ちを慮るというのは、相手の言葉や行動を咀嚼して自分の中に取り込んで、その上で相手どう考えているのかを理解することなんだと思った。

凄く難しいことだと改めて思う。

他人はみんなそんなことしているのかと思うと怖い。

僕には出来る気がしない。

水飲むみたいに理解できるような相手でないと僕は一緒にいられない。

仕事だからと言って毎回相手の言動・行動を咀嚼して体内に取り込んでいると具合が悪くなる。

水だと飲んでもオシッコやウンコになってくれるけど、咀嚼が必要なものは身体に負担をかけるから、すぐに苦しくなるんじゃないかなと思う。

ウンコし続けられるような人じゃないと無理だな。

でもこの場がウンコをする場所になっているから、今のところは何とかなっている。

でももっとウンコをする場所を作って行かないとどんどんウンコでいっぱいになってしまう。

それはまずい身体の調子がおかしくなってしまうので、早くここ以外にトイレを作ってウンコできる場所を増やしていこう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。