いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

夕食しっかり食べると翌日重い

昨日に引き続き休日にも関わらず目覚めが悪い。

身体が疲れているのかと思うが、連休で今週は2日しか働いていないから疲れがあろうはずがない。となると昨日がっつり夕食を食べたことが影響しているように思う。

ここ2週間ほどゆるい夕食断食をしている。食べてもごく少量。食べない時は食べないし、プロテイン飲むぐらいにしている。

それなのに昨日はがっつりカレーを2杯食べてしまった。しかもそのあとにピノ&コーヒー胃に負担をかけまくってしまった。

22時就寝にも関わらずすっきり感がないし、中途覚醒が何度もあった。胃部不快によるものが大きいと思う。以前にもあったが胃に大量の内容物が残っていると中途覚醒の回数が多い。そして目覚めの際にみぞおちのあたりから喉の奥にかけて、なんだか不快感がある。

わかっている。食べ過ぎると良くないと言うことが。貧乏性なのかご飯を残すという行為が中々許されない。どうせ捨てるなら胃の中に入れて、糞としてひねり出して、処理した方が良いような気がしてしまう。残すことに罪悪感を感じてします。

「お残しはゆるしまへんよ」が頭の中に色濃く残っているのかもしれない。とにかく残すと言うことが出来ない。

昨日も実際にそうだった。昨日は元々夕食をとるつもりはなかったけど、不意に空腹感を感じて、新玉ねぎが大量に残っているのでなんとか処理せねばと。新玉ねぎだけカレーを作った。新玉ねぎとカレールーだけの寂しいカレーだ。でも味は結構おいしい。

そのカレーが玉ねぎ大1個と中半個というものだったので、ちょっと多かった。対して冷凍ご飯は1杯分が2つ冷凍室に入っており、当初は1つだけにする予定だった。しかし、ルーが結構余ったため、どうしようか思案した。残したとしても翌日おそらく食べない。満腹具合は気分的には5分目、身体的には7分目。気分を優先してしまったがために、失敗した。

いつもこの繰り返しである。ケチ精神と食いしん坊精神がどうしても合わさっていつも身体が訴える満腹度を超えてしまっている。そこはなんとか制御しようとするが、脳みそに操られて下手を打ってします。腸の方が賢いと何かの本のタイトルにあったけど、本当にそうだと思う。一番正確に状況判断ができる。気分に流されないクールな切れ者である。情緒に流される脳ミソとは違う。

決断の時にはやはり腹に決めるのが一番で。頭で判断しは英断できない。英断は腸にしかできないのだと思う。

どうにかして超人間、いや腸人間になりたいと思っているがまだその道のりは遠いようである。

脳は一見合理的に作用しているように見せて、慣習を一番大事としてお前はいつもそうじゃないかと話かけてくる。その場の状況ではなく過去のデータから選択を導き出すことしかできないので(たぶん)、あまり信用し過ぎても良くない。脳ミソが出してきた過去のデータを参考にしつつ、クレバーな腸の判断で、より的確な判断をしていきたいと思う。

ただしかしである。実は僕の腸はすごく脆弱で万全の状態で物事に立ち向かえたことがない。どちらかというと戦略家ではなく、自己の特徴を把握しているために。負けの見えている戦に除くと言うことを決してしない。敵前逃亡を主としている。そのため、どっちに転ぶかわからない状況においては、突撃をすることなど決してない。

それをクレバーと思ってきたが、実は違うんではないかと思ってきた。少し残念な気もするが、「強いものが生き残るのではなく、生き残ったものが強いんだ」というようなニュアンスの言葉をどこかで見たか聞いたような気がするから。敵前逃亡も決してわるくないと捉えることもできる。生きてなんぼ。美談では片づけられないものもある。

だから僕はとりあえず生きることを選択した。どれだけ辛いことがあったとしても決して向き合うことなく、ひたすらに逃げ続け。逃げるが勝ちの精神でも今日もなんとか生き抜いていけたらなと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。