いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

僕のお弁当事情

社会人になり、一人暮らして始めてしばらくしてから仕事にお弁当を持っていくようになった。

何がきっかけだったかは定かではないが、職場の近くにはコンビニしかなく、毎日食べる内に飽きてきたというのが一つかもしれない。

他に思い当たる理由としては外食って結構お金が出ていくなと言うこともあったかもしれない。

明確な理由は覚えていないがおそらくそんなところだと思う。

その当時僕が持参した弁当と言うのは、結構悲惨なものだった。

一つだけ覚えているのは当初はアホの一つ覚えで毎日豚の生姜焼きだったこと。

なぜかわからないが、そればかりを作っていた。

極めたいとか言う気持ちがあったのかもしれない、外食で食堂に入れば豚の生姜焼きを当時は食べていたことから、自分でも作れるとめちゃええやんという浅はかな気持ちから、そのような選択をしたのだと思う。

初めて作った時は一応調味料などはネットの記事にあるように匙で分量を量り、それに準じて作っていた。

結果焼き具合というものがわからず結構な黒ずみのある生姜焼きが出来上がっていた。

その後も何度もチャレンジするが、玉ねぎと豚肉の火の入り方が違い両者がちょうどよい加減で火が入るということがなく第一期の僕のお弁当時代は幕を閉じた。

 

その後、異動とか退職を見越して一旦実家での生活になっていたため、しばらく弁当持参生活をする機会は巡ってこなかった。

しばらくしてまた一人暮らしを始めることになり、第二期お弁当時代が幕をあけた、この時の理由は明確でまげわっぱ弁当を作ったからだ。

作ったと言ってもまげわっぱ職人に転職した訳ではく、体験工房でやすりをかけ、接着剤でつけたという図工レベルの制作ではあったが、出来上がりに感動してこれはなんとしても使いたいという思いから、お弁当生活を再開した。

当時住んでいた場所は小さい町ながら、職場の近くに食堂は何軒かあり、外食に飽きるということはなかった。

でもまげわっぱ弁当を作ったのだから、使わない手はないだろうと勇んで弁当作りにとりかかっていた。

当時の内容で覚えているのはそぼろ風弁当である。炒り卵が弁当の半分を埋め尽くし、もう半分はそれこそ肉のそぼろの時もあったし、そうでなければちりめんじゃこなどなんというかポロポロした弁当を作っていた。

たまに塊が入ることもあったが、なぜだかその当時はポロポロした弁当を作りたい気分だったようだ。

ほどなくして、そのポロポロを作るのが面倒になり、外食の方がどう考えても手軽だと言うことで第二期お弁当時代も幕を閉じることになった。

 

ここで終わらないのが僕のお弁当への気持ちである。

第三期お弁当時代が到来した。職場を変え、引っ越した先は食堂などほとんどなく、田舎中の田舎で外食が難しい状況であった。加えて、外回り系の仕事であったため、車の中で食事をする必要があった。

一回目の一人暮らしの時にコンビニでの食事はパターン化され、飽きやすいということが分かっていたので、以前に制作したまげわっぱ弁当箱を引っ張り出してきた。

その当時は玄米にハマっていたので、玄米を中心とした弁当を作っていた。

中心としたというか、玄米を炊く際にサツマイモを入れるというだけの玄米サツマイモご飯弁当である。

これなら、朝起きてご飯をまげわっぱ弁当箱に入れるだけで済むので、これは結構長期間続いた。1年以上は続いたように思う。

時間に余裕がある時はここに、卵焼きやソーセージが入った。普段おかずは入れることはなかったので、一つでもおかずが入るだけで贅沢な気分がして楽しむことが出来たことが長続きした要因ではないかと思う。

お弁当は手軽さが大事だということを学んだ。

第三期の玄米サツマイモ弁当は長期間に渡って続いたが、職場を変えることにしたので一旦幕を閉じることになった。

そしてその間に結婚もしたので、一時休止していた。

 

しかし、そこで終わることはなく、まさかの第四期お弁当時代が到来した。

第四期は最も栄えることになる。中身が。

これまでは単一の内容であったのが、グレードアップし、鶏むね肉を中心としたメインと卵焼きともう一品入ると言う幕の内弁当かというぐらいの豪華さで弁当モリモリのパンパン状態でした。蓋を閉めるのが大変なぐらいに詰め込んでいました。

しかしそんな栄華も長くは続かず。一気に衰退を迎えました。

しかししかし、お弁当への飽くなき挑戦は途絶えることがなく、第五期へと突入することになります。次に到来したのはまげわっぱ丼弁当でした。

原点回帰し、単一のおかずになりました。

鶏むね肉の親子丼です。これも比較的長く続きました。

来る日も来る日も親子丼を作り続けました。

 

そして、現在は妻の作ってくれる美味しい弁当が過去最長の期間で作られているのです。

様々な変遷がありましたが誰かが作ってくれるお弁当が一番おいしいなと実感できる今日この頃ではあります。

妻への感謝の気持ちしかありません。

いつも作ってくれてありがとう。

本当に毎日美味しいです。

 

今週のお題「お弁当」