いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

気分の波に飲み込まれる

今週は中々に浮き沈みが激しいような感じ。

というかどんどん沈下しているような気がする。

これは気分がではなく、体力的に落ち込んでいる。

そもそもが週末の詰め込み作業がまず身体に応えている。

ここ数年中肉からの脱出ということで、食事制限をしいてきた。

その結果体重はみるみる減少し、一旦ピーク体重から10㎏減までいった。

おそらく20歳以降の体重で記憶している中では最も細身だった。

その時に体重と一緒に筋肉も削ぎ落されたのだと思う。

体重が減少してからは以前にもまして疲れやすい身体になった。

基本なにをやってもしんどいというのが口癖だったが、口ではなく身体の方が先にしんどいと訴えるようになっている。

その上さらに気分屋の性格が重なり最近は本当にすぐ疲れが顔をだし、継続的に何かをするというのが難しい。

一体この先どうなるのかと心配になるばかり。

 

にもかかわらず僕の脳ミソは色々とやりたくなるタチで、興味があるとやりたくなる。

結果何もかも続かないと言うので常である。

なんでも同時進行でやりたくなってしまう。

一つのことに集中すればそれなりに習得できるけど、それができない。

一つ始めたら他の物事にすぐ目が行ってしまう。

何もない時は何も興味がないのにもかかわらず。それが困る。

今回もブログを始めるだけでいいのに、

早起きして時間がもったいないから運動を始めたり、米を炊くのを始めたり、お灸を始めたり、土の勉強を始めたり...

どれも関係性の低いものを始めるものだから、脳が求めているのにも関わらず、先に脳が披露して嫌になってくる。

脳は僕のことを疲れさせようとしているのか何なのかよくわからない。

脳の容量が少ないのに、色々と興味を持たせようとしている。

優先順位をつけようと思っていると余計にそういう風に意識を色々な方に向けようとしてくる。

脳というのは司令塔ではないのか。

撹乱作戦で僕と戦おうとしてくる。

というか脳の指令を無視して僕が戦っていると言った方が正しいか。

どちらにしろ、脳の進みたい方向と僕の進みたい方向はバラバラになっている。

一致した時は結構な力を発揮することはあるけど、それは稀で。

基本的には翻弄されていることが多い。

これがいわゆるムラというものではないかと最近思っている。

僕の場合はズレ=ムラかなと。

このズレをいかに減らしていくかと言うことが命題になっている。

今のところはその対処法はまだ見つかっていない。

今後見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

見つからない場合もあることを想定して、あまりこの命題対しても真剣に取り組まない方がいいのかなとも思う。

波は波として常に生じているものだと開き直った方が、脳の解放に繋がり、脳も僕もお互い素直に生きられるかもしれない。

脳と僕をあまりに切り離して俯瞰してみ過ぎると分裂してしまうかもしれないので、その辺も考慮しながら進んでいく必要がある。

人と言うのは本能だけで生きていくことは出来ないから少々めんどくさいなと言う感じはする。

高等な生き物とか言われているけど、自力では生きていけないし、こんな感じで色々と自分自身に翻弄されている様をみると大して高等な生き物とは思えない。

世の中の惨状を見ているとむしろ愚かな生き物の象徴であるとしか思えない。

まあそれがヒトをヒトたらしめている部分なのかもしれないけど。

葛藤がありながら生きて行くと言うのが当然というか前提としてあると思えたら少しは楽になるのかな。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。