いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

書くことでニュートラルポジションに戻る

書いても書いても成長しないと感じている。

まあ目的も何も考えずにただ書いているだけなので、書く前と書いた後で変化も分からない訳だから当然と言えば当然かもしれない。

でも書くという行為は続けている。

ただ楽しいからという理由だけで書いている。

人様に評価されるわけでもなく、感想を頂くことも基本ない。

誰のために書いているのかと言うともちろん自分のため。

それ以外何もない。

書いているとなんか頭の整理がされていく。

ような気がすると以前書いたような気がする。

それが気持ちいいのかもしれない。

普段から色々なことを考える。

それは誰でもそうで例外はないと思う。

方向を定めて考えることもあれば、ただひたすらに僕のように悩むことを考えると解釈している人もいるかもしれない。

まあ考えてるっぽいことをみんなやっていると思っている。

考えると言うことがどういうことかいまいちわかってないけど、なんとなく頭は常に働き続けている。

大したこと考えてなくても一日なんとなく頭を働かせるということは、膨大な仕事を頭はしているんだと思う。

それが毎日続くといつの間にか疲れている。

脳はかしこいから勝手に取捨選択して、必要ないものは捨てているとはいえ、それに対抗するぐらいに僕自身は逆に取捨選択せずに頭の中に仕事をどんどん放り投げている。

もちろん脳は僕なんかより高性能にできているから、負けないとは思うけど、加齢とともに疲弊してくる。機械でも年月とともに衰えが出てくるんだから、生の脳みそが衰えない訳がない。

そうなると僕の興味の源泉は尽きることが無いから、衰える脳の方がだんだんと取捨選択を誤ることもあるだろうし、キレもなくなってくる。その結果だんだんと無駄な情報は脳に蓄積されることになる。結果何も考えられなくなる。

そうなってしまう前に書いていると言うのが僕の書く理由かもしれない。

もっと書きたいことはあるけど、書くためにも脳を使うから中々難しい。

考えながら書くと言うのはなんとも高次な能力が必要なんだと思う。

僕みたいな低次な書き方しかできない人間にはその時思いついたことをそれっぽく表出しているだけなので、上手く頭で考えたことが表出されていないような気がする。

もっと気の利いた言い回しが出来たら理解しやすい文章になるのになと思うけど、書き方の練習をしたことがない僕にはなかなかそれは難しい。

上手くなりたいとも思ってないから仕方ないのかもしれないけど。

上手くないたいと思って書けばたぶん上手くなるんだと思うけど、その辺はあんまり意識してないし、そこを意識したとたんに手は止まると思う。

大した性能でない僕の能力ではそこはどうにもできない。

続けることぐらいしか方法はないのかもしれない。

その内上手くなればいいかな程度にしか今のところ考えてない。

いつかスッと言葉が出てくる日が来るのかなと思っている。

その日まで継続して書けたらいいなというのが今の願望ぐらいか。

いやそうでもない別に上手くならなくても続けて書ければそれでいい。