いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

出来具合は後回し

とりあえず書いている。そしてアップしている。

ただそれだけ。本当にそれだけ。誰の得もない。

でもそれでいいのだと最近感じる。

確かに人に多く読まれたら嬉しいなと思うし、もし仮に褒めてもらえるようなことがあればそれは有頂天にもなるだろうとは思う。

でもそのためにやっているとどうしても躊躇してしまったり、何度もやり直したりする必要がでてくる。そうなるとこの朝の30分だけではどうにも対処できない。

今のところはこのブログは日記以上でも日記以下でもない、ひたすらに日記を書き続けると言うブログになっているので、ただただキーボードを叩き続けると言うことだけに集中して書いていこうと思っている。

僕の書いたことが読んだ人に何かを与えるようなことはたぶんない。これほどまでに僕自身の身の回りの事しか書いていないのだから当然。

世のため、人のために書いている人が大半を占めると言うか、そのために色々と思考凝らしてやっているのだなと感じるものが多い。

仕事としてやっている人もいるのだから当然と言えば当然か。

質を上げないと読んでもらえないということになっているから。

質とは一体何なのかと一瞬考えそうになったけど、それはもっと書いた人が考えればいいだけで、僕の場合はまだそこまで言えるレベルではない。

ただただ書くしかできないから、出来具合とか言ってる場合はではない。

でも、じゃあ何のために書いているのか?という問いが出てくるかもしれないけど、それもとりあえずスルーしたらいい。

どうしても脳ミソは活動することに対して邪魔をしようとしてくる。何のためかわからないけど、邪魔をしてくる。

活動が続くと脳は疲れてくるからそうやって問いを投げかけてくるのかもしれない、脳的には何もしない方が楽なはずだし。習慣化されていないもの、幸福感を感じるようなものでなければ受け入れし難いのかもしれない。

ましてやこんな駄文を見せられ続けている脳は嫌気がさしているかもしれない。

 

また自分の中に埋没しそうになってくる。どうしても文章を書いていると激しく自問自答が始まる。脳は僕とすごく会話をしたいらしい。意見を言って自己主張したいのかもしれない。

でもそんなことはないから、おそらくは辞めさせたいのだと思う。僕が気持ち良くなるのが嫌なんだと思う。

僕の生活は元来我慢を強いられることを好んでいたような生活をしていた。自分の好きなことを優先することはあまりなかった。(そうか?)

ストレスが多い環境を好んで選んでいたように思う。それが逆に快感だったのかもしれない。それを覚えている脳はそちらの方向へと行動を仕向けようとしてくる。過去の記憶にどうしても依存したくなるような感じ。

そんな脳の思いとは反するように今はストレスが少ない生活をしている。快適さを求めるような暮らしを目指して邁進している僕に対して不安を感じて、これほどまでに文章中に邪魔を入れてくるのだと思う。

 

これまではそれに応じるようにネガティブな感情をこれでもかと掘り下げて、掘り下げて文章を書いている時もあった。

最近は途中でそれに気づいて方向転換できるようになってきたと思う。

それでもクセでいつの間にか今日みたいに埋没してしまうこともある。

その狭間で文章を書いているような感じ。疲れている時ほどそのような傾向にあると思う。

 

出来具合を気にしないということで言うとこれまでいくらか文章を書いてきたけど、やっぱり見直しというものをすることがない。

とりあえず書くということを優先して、30分間が終わる。

今の文字数をキープしたままに、30分で書いて、見直してということを目標に今後はやてみようかな。

そうしないと自分が書いた文章がどんなものだったかということが全く思い出せない。

あ、でも脳の解放のためにやっているから別に思い出す必要もないですね。そうでした。

ほら、自分で書いたこと忘れてるでしょ。

だから逆に言うといくらでも書けるのかもしれない。自分の書いたことを既に忘れているから、もしかしたら同じ文章を延々と書いているという可能性すらあるけど、それでも書いたら気持ちがいいからこれからも内容など気にせず書き続けたいと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。