いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

気乗りしない日だってある

ここのところ結構書いています。何のためとかじゃなくて日課だからかな。でもそれでも書きたいと思うから書いていました。テーマも無理に出しているというよりは、朝5時に起きてから、湯を沸かし、米を炊きながら、身体を動かしながら、ボーっとしながら過ごしていると今日はこんなこと書こうかなとか、あれってどういうことなんかなとかっていうのを勝手に考えてしまうので、その考えたことをここに書いている。

だから苦しい感じとか、辛い感じ、無理している感じは全くないのです。

でもそれでもなんとかく今日はいいかなと思う時が今日です。

今日も昨日と変わらず5時に起きて、湯を沸かし、米を炊き、身体を動かしておりました。あーでも今日は身体を動かすのあんまりしてなかったような気がする。ちょっと身体が重いのかもしれないな。

日課=薬と坂口恭平さんに教えてもらって。教えてもらってって何か媒体を通してであって、リアルに教えてもらった訳ではないけど、教えてもらいました。坂口恭平さんの場合はリアルでないのにリアルに教えてもらったようなライブ感がなぜかすごくあるんですよね。Twitterにしろ、noteにしろ、書籍にしろ。なんかライブ感があるんです。何かしらの媒体を通して、文字しか見ていないのですが、聞こえてくるような。直接声を掛けてもらっているような感覚があるのです。それは本人も言ってて、声であると。

坂口恭平さんにハマっているからこそそのように感じているのかもしれないけど、確かにそんな感じがするんです。すごいですよね。イメージってやっぱり大事だなと改めて感じています。そう思わせる坂口恭平さんはやっぱりすごいなと今まで出会ったことが無い感じです。

文章を読んでいると不思議と感覚が違ってくるというか、気持ちいいんですよね。そういう風になるように仕掛けと言うか仕組みと言うのかがあるのかもしれません。しかもそれを意図的にやっている訳ではなく自然とやってしまっていることがまたすごい。

しまった、また坂口恭平さんのことを書いてしまっている。妄信とはまさにこのことですね。それが一番まずい。その人が語ったことをそのまま受け入れてしまう。何の疑いもなく、信じてしまう。それは良くないと僕は常々思っていて。僕は人から聞いた話は大概、「ほんまかい」とひとツッコミ入れる癖がある。たぶんそう思う内容に関しては感覚的に本当にそう感じているのだと思う。そう思うような内容なんだと思う。そうでない時はすごくすんなりと身体に浸透してくるからだと思う。身体はよくわかっている。感覚だけでは生きられないかもしれないけど、身体に任せることは大事だと思う。感覚とか身体とか言ってしまうとわかりにくいけど、いわゆる勘っていうのんかな。

僕は勘が好きです。勘って誰のせいにもならないような気がするから。責任取らないと言うことが僕の信条ではあるので、勘って大好き。

そういえば僕は勘で大抵のことを乗り越えてきたように思う。迷ったときは深く考えない。

理学療法士の国家試験の時に僕は窮地に立たされていました。どうにもならない状態まで追い込まれていました。なんたって国家試験対策としてあんまりべんきょうしてなかったからです。まあ当然ですよね。みんなは集まって勉強したり、助言しあったりしていたようですが、僕はそんなことめんどいなと思って、一人でやってました。

やってたと言ってもただひたすらに過去問を解くと言うことだけをやっていました。深く調べることすらしないでただただ過去問しかやっていませんでした。しかもテキスト開くのもめんどくさかったのです。CD-Rに膨大に過去問は入ってるやつがあって、パソコンの前に座ってマウスをカチカチとクリックしながらひたすら過去問を解いていました。そして、勉強にも身が入りにくい僕は、就活が終わってあとは卒業を待つだけの大学に通っている友達に誘われれば断ることもなく、遊びに興じていました。国試の1カ月ぐらい前に腰を痛めたのですが、その数日後にスノボーに行く予定にしていたので、なんとか腰を治してスノボーに行くことができました。エネルギーを遊びの方に向けていました。遊んでいる時は国試のことなど頭にありませんでした。全力で遊んでいました。

なので、当然のごとく国試当日は地獄を見る訳ですが、勘だけで乗り越えて今があります。僕は勘や運がこの試験を左右するだろうと思っていたので、試験に向けた一番の対策として鉛筆に数字を書き入れることにしました。そうです。鉛筆を転がして出た数字が正解だと信じていたのです。揺るぎない自信がありました。そして、当日どの数字が一番来るかと言うことを勘に頼りました。マークシートでしたので、5個しか選択肢がないのです。ならば3だろうと。3はミスター長嶋の背番号である。これを越える強い数字はないだろうとなぜかその時に思ったので3にしました。

結果は奇跡的に合格しました。同級生の中で僕より直前の模試では点数が良かった人でも落ちているのに僕は奇跡的に受かりました。勘や運を信じた結果受かりました。

そうやって僕は流れに任せて生きてきました。

ということで気乗りしない日があったって良いし、あとでなんとか辻褄合う時もあるということです。

無理してやったところで結果が出るとも限らないし、したいように生きるということが大事なのかなと。

成長のためにと一生懸命やりたい人がいたっていいし、そうでないと思う人がいたっていい。

全ての人が耐えて成長だけが善だという世の中ってやっぱり怖いと僕は思う。そんな世界で行きたくないし。

選択肢が用意されている世の中で生きて行きたいなと思います。

だからこそ気乗りしない日があったってええやんって思うんです。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

この言葉を頼りに生きて行けたら幸せちゃうかな。