いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

テキトーに生きていたい

これは許されるならこうしたいって言う人は多いんじゃないかな。でもこれって公に言うのって憚られますよね。世のため、人のためっていうのが善とされている世の中においてこれを言ってしまうということはある意味で世捨て人というのか、「あいつってちょっと。。。」みたいな感じで思われるだろうし、色々考えると心の中に留めておこうなんて思っちゃうんじゃないかな。

でもそんなこと気にせずに言っちゃったほうが気持ちいいと思うんですけどね。これはもう随分前から思っていたことなので、今更隠しておく必要もないので、ここに残しておきます。テキトーな文章になっているのであまり気にする必要もないかなと思っている。

「テキトーに生きたい。」そんな風に思いませんか?僕はしょっちゅう思っています。だってそっちの方が楽だから。でも世の中ではそんなに甘くないとか。そんな風に生きられるもんじゃないって言われます。大人がそういうのです。軽口叩くんじゃないと。世のため、お国のためです。

世のためって、世は僕にどれだけのことをしてくれたのか。社会人として働いていますが、そんなに何か返ってきたことないけど。お国のためって、お国は僕にどれだけのことをしてくれているんだろうかと。いつも思います。税金を徴収して真っ当なことをやっているのかと。こんなこと言うと「お前はクレクレ族だ」とか「最初から見返りを求めるんじゃない」とか「まずはギブギブギブが大事なんです。」とかしれっとしたり顔で言うんですよね。エライ人は。

最初から欲しがってはいけない。やるべきをことをやってこそ初めて返ってくるんだとか。言っちゃうんですよ。でもそんなこと言ってる人で幸せそうな人あんまり見たことないんですけど。それはどういうことなのでしょうか?真っ当に生きたところでそんなに充実した生活を送れている人言う人を僕は見たことが無い。というか真っ当な生き方ってそもそも何ですかと言うところなんですが。世のため、人のために生きていると言うことが真っ当な生き方なのでしょうか。自分の利益を最大限考えると言うことは真っ当な生き方ではないんでしょうか。人間はその他動物と異なるから、ただ生きるだけではダメと言うことでしょうか。働かないとその時点で真っ当ではないと言うことなのでしょうか。でもそんなことはない働かない、もしくは働けないことが無価値なはずがない。でもそれに反論するだけの知識や語彙を僕は持っていないのだけど、感覚的にそう思うわけです。賢い人なら論破してくれるんでしょうけど、僕にはそれがないでもわかる。働かない選択肢があったっていいと思う。享楽的な生活を送っている人を僕は批判してきたけど、まあそれも選択肢の一つではないかと思う。

病院で働いている時に出会った生活保護を受けている人は病院に来る必要ないやろと思う人がたまにいた。すごく症状を訴えるけど、特に所見はないみたいな。生活保護を受けるための病院受診。それが僕はすごく愚かに見えた。この人はなんのためにこんなことしてるんやろと。正直蔑む目でみていたところがある。その視点は何かと考えてみると。自分はこうやって毎日朝から晩まであくせく働いて、しんどいおもいしながらやってんのにこいつは毎日働きもせず、こうやってただ病院に来て痛がる振りをして楽に生活しやがって。という僻みから来ているものだと思う。純粋に軽蔑している訳ではなく、僻みです。僕が国家のためにとか世の中のためにとか思っているある意味で言う真っ当な人間ならまた考え方は違うのだろうけど、僕は真っ当な人間ではないので、このような気持ちになる。

憧れるんですよ。テキトーな生活に。そもそもが目的も理由もなくこの世界にやってきている。どのような選択をして生きようとその個人の問題であって、他人がとやかく言う問題ではない。とやかく言うのは妬み・嫉み・僻みか迷惑を掛けられたら困るという恐怖心かのいずれかではないかと思う。ルールが存在するのもたぶんそんな感情から生まれているのではないかと思う。

だから、世のため、人のために行きたい人はその道をひたすら突き進んでいけばいいんですよ。それに対して何ら批判的に見ることはありません。むしろ僕はすごいと称賛します。僕には出来ないことだからそれは。でもそれ以外の選択肢も用意してもらいたい。そしてその選択肢を批判しないで欲しい。

それは違うよ、その生き方間違ってるよと。頭ごなしに言わないで欲しい。なんなら興味深いねと言ってもらってもいいんじゃないかなと思う。選択肢が多ければ多いほど迷うことも確かだけど、用意されている選択肢が多いと安心できる。それはこの仕事をしていて本当に思う。こうでなければ行けないと思い込んでいる人が本当に多い。健康を損なうからこそそういう思考に至るのんだと思うのだけれど、そこまで一つの方法に固執しなくても良いのにと。こんなこと言ってしまうと元も子もないというのはわかっているでも。可能性がほぼないことに対してトライし続けるというのは正直辛い。これも僕からの視点であって、否定できるものではないということはわかっている。でももっと楽な道があるのではないかと思ってします。理想が固まりすぎてそれ以外の選択肢に目が向かない。でも僕はそれを否定できないから付き合う。その選択は袋小路に突っ込むだけとわかっていても僕は別の選択肢を提示できない。その人がそうしたいというのだから。一応提案はする。でも僕に説明が不十分であるのか理解をされることはほとんどいない。諦めない。たしかに諦めないということは非常に大事なんでしょう。諦めないことこそが人間を人間たらしめているというのをどこかで聞いた。人間だけが諦めない訳ではないと思うけど、そうらしい。となると諦めやすい僕は非人間か。

ただその言葉が全ての人に当てはまる訳ではないので、当てはまる人だけがあーそうかと思えばいい。全ての人に当てはまる言葉なんてこの世に存在しない訳で。あまり一つのことに囚われないようにした方がいいんじゃないかなと思うのが僕の意見。

つまりは僕は逃げ道を用意しておいて欲しいんですよ。そうでないと生きられないんです。道が一本しかないって怖くないですか。そこに突っ込むしかないんですよ。行くか戻るしかないって恐怖しかないんですよ。そんなの道と言えるのかすら僕は疑問に思う。いくつかの選択肢があるから道であって、迷うことが出来るからこそ道だと思うんですよ。だから初志貫徹なんて言葉は僕には全く当てはまらない。僕の解釈が間違っているのかもしれないけど、初めに思った気持ちをやりきるって怖くないですか。選択を変えられないんですよ。それを是とするってどういうことですか。絶対なんていうのはこの世に存在しないんだから、変わることがあったっていいでしょう。人生の一時期において、たとえば年数とか区切ってこの期間だけは何としても俺は意志を変えないとかだったらまだ理解できる。部活なんかそうかな。それでも辞めたっていいし、別のことを途中からやりたくなったらやったら。

一流と言うのはごく一握りの人しかなれないんだから一流であって。特別なんです。だから初志貫徹ができるのであって、全ての人がそれを実現できるわけではないんですよ。でも目指すのは勝手ですよ。一流にを目指し続けるのはやりたければやったらいい。それを否定するわけではないし、応援します。でも強要は辞めてほしい。一流の方たちが物事を成すためにはやり続けることが大事です。いや、まあ確かにそうかもしれない。でもそれはあなた方特別な人においてはそうかもしれないけど、特別な能力というか他者を圧倒するような能力がある人と言うのは本当にごく一部の人間だけなんですよ。だからこそあれだけ称賛を浴びたり、批判を浴びたりして、名誉を得ることが出来て富を得ることもできる。みんながみんな特別な能力なんかもっちゃったら、それはもはや特別ではなくて、当たり前になる訳で、みんながそこを目指す必要もないと思うんです。

だからやりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなくてもいいという風なそういう寛大な世の中になって欲しい。

人に迷惑と言うか自然に迷惑をかけさえしなければ別に何やってもいいし、何もしなくてもいいとおもうんですけどね。

食って、出して、寝る。これでもいいと思うんです。そしてこれが自力で出来なくてもいいと思う。誰かの手を借りないとこれができないからと言って悲観的に思う必要はないと思う。手を貸すことが好きだとい、世のため、人のために尽くしたいという人はたくさんいるから。困っている人を助けたいと思っている人は本当にたくさんいると思う。でもそういう人たちに限って収入が少ないんですよね。おかしいですよね。良い椅子にふんぞり返って暮らしている人間の方が収入が多い。多い少ないが問題ではないのですが、人のために働きたい・行動したいと思っている人の収入が少ない問題はなんとかならんのですかね。それだけ貴い人たちが苦しみながら生活するってどういうことって思います。気持ちだけでできるものではないですよ。生活が懸かっているんだから。そうなんですよ。僕たちは人質にとられているんですよ。働かないと生きていけないんです。お金がないと生きていけないんです。そういう世の中です。だから嫌でも働かないといけないということになっています。

何をするにもお金が必要です。僕がこうやって安心して文字を打てるのは雨風を凌ぐことができる建物があるからで、そこに住むには当然お金が必要です。このパソコンだって、こうやって書いた文字を後悔するネットワークの使用だってお金が必要です。

まあネットワークに乗せずにノートに書けばもっとお金は少なくてすむけど、ノートだって、ノートに文字をかくペンだって。お金が無ければ手に入らない。だから何かしたければお金が必要で。そのためには働くという選択肢しか今のところ方法はない。もちろん自分が働かずにお金をはたかせるという方法もあるにはある。でもその働かせるお金を得るにはまずは働くしかない。結局のところどの選択肢を取ろうと最初にお金が必要です。もらえたらいいですけど、そんなことごく限られた人しかできる訳もなく、とりあえず働くしかないんです。

でも最近?最近でもないのかな。僕が、最近目をする機会が多いなとかんじているのは0円でなんとか生活できないかという人たち。

いわゆる自給自足ですね。食料はもちろんのこと、電力・水・火すべてを自給しようとしている人たち。そういう人が増えてきています。これが実現すれば僕の思うテキトーに生きるということが可能になるんだなと。

これは一般的に言う働くというのとは違うけど、毎日自分で生活をどうにかしないといけない。全ての責任が自分にある。すごく大変だと思うけど、すごく魅力がある。妄想が大好きなのでこんな生活ができないかを妄想している。

ということで疲れたので中途半端なきがするけど、今日はこの辺にしとこ。

大丈夫、きっとうまくいくよと自分に声を掛けながら今日も一日生きることにします。