いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

順を追ってやるの苦手

どうせあとでテキトーにやるのに最初はこだわりたがるんです。

そういう性格です。順を追って綺麗にやろうとしてしまうんですよね。

そら慣れてきたらそれでもいいのかもしれないけど、とりあえず最初はひたすらやってみるでいいんじゃないかなと思います。

そう思って今はやっています。でないとしんどくなってくるんですよね。だいたいでいいやんってやってるとなんとくできるんですけど、ちゃんとやろうとすると急に身体が硬くなってくるんですよね。たぶん。

だから最近はテキトーにのびのびやらせてもらっています。そうするとなんとなく上手くいっているような感じが勝手にしています。このなんとなく上手くいってるような感じってのが僕はすごく大事なんじゃないかなと最近思っていて。脳ミソをだますようなことをしないとなかなか継続するのは難しいのではないかと。現時点ではありますが。また時期が違えば違う感覚になってくるのかもしれないけど、やり始めの段階としてはなんとなく上手くいってるかも感覚が大事。たぶん。んでそこから徐々になんか変化を加えていくことがいいのかもなって。

だって最初からきつきつにやってるとしんどくないですか?まあ確かに型が何よりも優先されるようなことであれば先生に倣ってきっちりとやった方がよいんでしょうけど、ただ文章書くってだけだったらフリーの方がだいぶらく。

まあ文章を書くことに関してももちろん基本はあって、ルールもあるんだと思うけど、今のところ僕は日本語をこれまで35年間日常生活で使ってきているので、文法はそんなに間違っていないと思う。いきなり動詞から始まったり、感じ間違えすぎたりとか、語順おかしすぎるというほどの悪文ではないはず。ただ意味が通じているかは定かではない。書いている本人としては伝えているつもりでも読み手からするとなんじゃこれ文字としては読めるけど、意味わからんってことは十分にあり得る。そこは承知していますし、そういう意味での悪文で大変申し訳ないなとは思っています。

これまで書くにあたって、時系列を大事にした方がいいかなと思って自分史も冒険記も若い年代から書いてたけど、果たしてそれって意味あるんかなって今日の書き始めに思って、書きたいところから書いたらいいんと違うかなと、それに書きたいところが自分にとっての重要なところであって、それ以外はそこまで事細かに書く必要ないんじゃないとおもったんですよね。ハイライトだけ書けば十分って。

もちろん35年生きてきて必要ない時間なんてなかったとは思うけど、あんまり覚えてないこともあるし、1年1年書いてもなって思ったりしてきた訳ですよ。

でもなんかこうやって書いているとだんだんと逆の気持ちが芽生えてきて、やっぱり細かく書こうかななんて思ったりしている自分もある訳で、その時の気分に合わせて書くのが僕流かなと思ってきました。

このブログは僕流を前回にして書くものだから人がどうしているとかあんまり気にせずにやった方がいいよなと今この時間の脳内会議で決まりましたので、そうします。

物事決める時ってだいたいそうでしょ、流れで決めてしまった方がいいと思うんですよね。でないとなんか気持ちよくないんですよ。順を追ってきっちり決めていくのも確かに大事。

というか順を追って決めていくことが集団で生きる上では大事なんですよね。たぶん。

急に物事ひっくり返して決めちゃうと混乱が起きるのが集団ですよね。だから僕は苦手なのかもしれない。というか僕のペースで物事が進まないといけないみたいですね。

だってひっくり返すの好きですけど、ひっくり返されるの嫌いですからね。だから自分勝手のあまのじゃく野郎なんですけど。

こんなこと言ってるからよく周りから気を使われるんでしょうね。みんな僕の様子をめっちゃ見てきますもんね。怖いんでしょうかね。あんまり話しないから何を考えているのか良く分からないのかもしれない。特に仕事中は無表情で仕事をしていますので、ほんまにこいつなんやねんって思われていると思います。

こんな話はどうでも良くて、順を追うって話なんですけどね。

順を追ってやろうとするとどうしてもやりたいと思ったことが出てきたときに我慢しないといけなくなるんですよ。そうなるとやりたかったことが後回しになって、そうなるとどうでもよくなってくるんですよ。である時にあんなこと思ってなで終わってしまうんですよね。面白くなくなってるんですよ。旬を捉えないと僕ってやる気がでないタイプでやらなきゃを優先しちゃうとどうでも良くなって、ほんなええわと開き直ってやらなきゃに没頭した挙句。何も楽しくない状態で時間が過ぎて、脳疲労が来るということが良くありました。

だからこそやりたいが出てきたらまずやる。やるって言っても全部やりきる必要はなくて、ちょっとやる。やってみてそれが継続してやりたいことなのかどうなのかを考える。という流れが必要なんだなと一回これ挟むだけでだいぶ気分がちゃうと思うんですよね。そうこれまだ全く試したことなくて、ただの思い付きです。でも思い付きでもなく、これは坂口恭平さんが言ってた企画書を書くと言うことだなと。坂口恭平さんいうのには躁鬱病の人は尊大な気持ちになって、なんでも思いついたことをやりたくなってしまうからその気持ちを抑えるためにって言ってたような気がする。そしてその企画書は細部まで詰めてきっちりやれと。で実行はせずに置いておくと。

というのが坂口恭平さんの言ってたやり方。でも僕は躁鬱病ではないので、これが全く当てはまる訳ではないのでちょっと違うやり方をした方がいいのではないかと思って、今回の考え方に至りました。

坂口恭平さんの企画書の廉価版ですね。やりきらない。ちょっとやってみる。でも頭の中で描くのではなく、文字にするということ。そして文字にする時にこうやってブログを書くと場所とか流れとかカチッと決まってフリーに書けないからここは紙に書くと言うことですね。僕の好きな紙に。でもこれをノートに書くのはもったいないからというかまた決まったものに書くと止まりそうだから、坂口恭平さんも書いているA4の紙に書いてみようと思う。そうするとフリーにかけるし、絵もかけるからいいんじゃないかなと。そんなことを思っていた訳です。

順を追ってやるのが得意な人もいるから、そのやり方でやれるとたぶん効率的なんだろうなというのはわかっているつもり。でもそれをどうしても身体がうけつけないんですよね。思い付きで行動したいんです。

仕事でどうしてもやらなきゃを優先しないといけないことが多いからこそ余計にそう思うのかもしれない。子供の時だとそんなこと感じなかったかもしれないけど、今は社会に生きているのでどうしてもそうなってしまうのかな。

自分勝手に行動する方法を身に付けておくと生活するのが楽かもしれない。それは全部ではなくてごく一部でも十分に意味があると思う。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

そう思いながら今日も一日を過ごしましょう。