ちょっと前に自分史を書くと言ってそのままになってました。
少しずつ人生振り返って行きましょう。
赤子の時はよく泣く子だったそうです。
抱っこやおんぶされている時はおとなしいのですが、離れるとすぐに泣いていたそうです。
甘えん坊のかまってちゃんだったということですね。
今からは想像できませんね。ちょっと気持ち悪い。
でも、自分の記憶としてはこの当時のことはほとんど覚えてません。
自分史上最古の記憶は幼稚園の入園式です。
特に幼稚園の入園式のことは結構覚えています。
クラス分け?組分け?で幼なじみのKちゃんとは違う組になったと、ずっと泣いていました。
それははっきり覚えています。
おそらく、内向的な僕は知っている人がいないことに非常に不安を覚えたのでしょう。
母親がなだめてもずっと泣き続けていました。
おそらくKちゃんも近くにいて、何か言ってくれたと思うのですが、泣き止むことはなく、周囲の人々を困らせていました。
1年目の組はうめ組でした。名前渋い。
その後も登園してしばらくは泣く日々が続きましたが、慣れてくると本来持っている性格が出てきて、暴君ぶりを発揮していました。
泣き虫で癇癪持ちという最悪な組み合わせの僕は周囲を困らせ続けました。
男女関係なく、腹が立つと暴力を振るっていました。
そんな暴君であるということを幼稚園側は知ってか知らずか、担任の先生はナンバ先生と言うおばあちゃんみたいなベテランの先生でした。
たぶん若い先生だったら手に負えなかったでしょう。
暴君ぶりはその後も衰えを見せることなく、翌年も担任の先生はナンバ先生でした。
そしてバラ組でした。またも名前渋い。
2年目もめちゃくちゃしてた結果、幼稚園生にも関わらず親が幼稚園に呼び出しされました。理由はもちろん素行不良。ほんとに言うこと聞いてませんでしたし、暴力は続いていました。毎日誰かを泣かしていましたし、それに関して反省もしてなかったと思います。自分の思うとおりに周りがやらないから、周りが悪いと思っていました。
そんな僕に対して、担任のナンバ先生はいつまでも優しく対応してくれていたと記憶しています。
卒園してからも何年間かは年賀状送ってくれていました。でもたぶん返してない。
今振り返ってみると、大変お世話になったなと思います。
そんな風に人に対して思えるようになったので、30年前よりは成長できていますよ!
ナンバ先生!聞いてますか!
最後になりましたが、当時のことを覚えている同級生がいれば是非とも謝りたいと思います。
もし、僕に謝って欲しいという方がいらっしゃればご連絡ください。
世の中こんな状況なので、リモート謝罪になりますが、速攻で連絡しますから。
これからもよろしくお願いいたします。