いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

昔やりたかったこと

山ほどあったような気もするし、全くなかったような気もする。

その瞬間瞬間で大きく異なる。やる気の問題か何なのかは良くわからない。

小さい時はやりたいこととか特別意識したことないのに自然と不満もなく生活していたような気がする。

将来何になりたいとかも特に覚えていない。

遊びもどんな遊びが好きだったのかも覚えていない。

子どもの時、特に小さい時の記憶は良い思い出はほとんどないように思う。

特に小学校に上がる前の記憶はほとんどない。

それはみんなそうかな。

覚えているのは入園式で帰りたいとごねたことと幼なじみとクラスが違うことに不満を訴え、ひたすらに泣いたこと。幼なじみはなんとも感じていないことがショックだったことは覚えている。彼女はすぐに幼稚園に馴染んでいた。

僕は環境の変化に慣れるのに時間がかかり、簡単に馴染むことができなかった。

元々はそういう性格。積極的に前に出るような性格ではなかった。

だけど怒りだけは噴出しまくるというやっかいな子どもだった。

そんな僕がやりたかったことは何だったんだろう全然思い出せない。

幼稚園の時の遊びも特に覚えていない。走り回ってたことぐらいか。

砂遊びもそんなに熱中してなかったように思うし、お絵かきなんかはほとんど出来てなかったように思う。

友達と遊んだ時もガキ大将的なやつが友達だったので、金魚の糞のようについてまわり言われるままに動いていた。特に意思はなく、その場にいるということが大事だったように思う。メインの存在としてそこに居るということはなかった。いつも添え物みたいな感じだった。

でもそれが嫌ということもなく、むしろ家で家族と過ごすことの方がなんだか寂しい感じがしてとにかく外に出たかったというような記憶がある。

家にいると寂しいという感覚がよくわからないが、なんとなくそんな記憶がある。

なんか家の中が暗いというか。別に家族が特別暗い訳でもない。空間として暗いというか、日当たりが悪かったのかな?物理的に暗かった印象。だから外に出たかったのかな。日光に当たりたかったのかもしれない。日光に当たるのが好きだったのかな。

とりあえず小学校に上がる前は特にやりたいことはなかったと思う。

でも小学校に上がる前にも特にやりたいことはなかった。授業で特別楽しいものもなかったし、得意なこともなかった。みんなで遊ぶことも楽しかったのかな?そんな記憶も特にない。

小学校2年の終わりぐらいにソフトボールを始めたけど、それも別に自分がやり問いと思った訳ではなく、父親から諭されて始めたようなもの。何かやりなさいと。

幼なじみがソフトボールをやっていたから、それにしたらどうだと言われ始めたようなもの。

自発的に選ぶということをしたことがなかった。そのまま小学校卒業まで続けて、別になんの疑問もなく中学校では野球部に入った。

中学校でもそう言えばハマったものはなかった。思春期になると何かに熱中したりするものだけど音楽、ファッション、ゲーム、マンガ、アニメ、アイドル、ヤンキー、勉強などなど他の皆はそれぞれやりたいことあって、それに熱中しているやつがいた。

そんな時でも僕は特別にこれだというものはなかった。それでも野球は続けた。周りが続けていたからで、そんなに熱中はしてなかった。

それなのに高校も当然のように野球部に入った。高校になるとさらにみんなの興味関心は広がり、ライブに行ったとか、彼女とデートにでかけたとか、どこかに遊びにでかけたとか、行動範囲を広げて色々と周りはやっていたように思う。

そんな時も僕は変わらず特別にハマるようなものはなかった。TVは熱心に見ていたかもしれない、お笑い番組はよく見ていたかな。それぐらいか。周囲の人間は色々な興味を持っていたけど、そこまで熱中するものはなかった。

振り返ってみると多感な時期に特別に刺激を受けるようなものに出会っていない。どうやってこれまで生きて来たのかと思う。

不思議だなと思う。熱中することがなくてもそれなりに生きていけるということなんだなと改めて思う。

でも大人になってからは徐々にやりたいことが増えている。そんなこともあるのだなと人生いつ青春を迎えるかわからない。僕の場合は今かもしれない。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。