いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

夕日にちょうどいいコーヒー

コーヒーを販売してから3ヶ月以上が経つ。

大きな売り上げを上げているわけではないが、赤字を出さずに生豆を仕入れることはできている。

当初の目標はある程度達成されている。

今後の目標をあらためて立てる必要がある気もするけどそれは一旦置いておいて。

 

小売業をしている人はどういうモチベーションで働いているのだろうかと思う。

当然自分が販売しているもので世の中の人が喜んでくれたらという思いでやっているのは当然の話で。

そこから先のことについては人それぞれ考え方があるのだと思う。

僕は現状兼業でやっている。

軸になる仕事とコーヒー豆、あとはヨガか。

どれか一本に絞ってやることもできるだろうし、このまま複数の仕事を並行してやることもできる。

どれがいいのかは今のところそこまで深く考えてはいない。

おそらく現状にそれなりに満足しているからだと思う。

それに今持っている仕事は特に地域に縛られることなくできる仕事だから、ちょうどいいなとも思っている。

ある時突然住んでいる場所を変えたい病が出てくるので、そうなった時に地域に縛られるような仕事だと嫌だなと言うのは常々思っている。

転職しやすい仕事を選んで本当に良かった。

それだけが今やっている仕事の全てと言ってもいいかもしれない。

仕事に対しての想いは人それぞれで、自分自身が持つ熱量の全てを一つの仕事に傾けている人もいるし、それなりにやっている人もいる。

僕としてはどちらがいいとか思わない。

どちらの選択もその人個人として不満がないのであれば、いいんじゃないかと思う。

でもそんな考えではダメだと言ってくる人もいる。

一つの仕事に全力を傾ける、そうしないと成果は得られない。

もちろんそうだと思う。

成果を得たいならそうなんだと思うけど、その成果が一体どういうものなのかと言うところがもっと大事なんじゃないかな。

お金はもちろん大事で、それがないと生きていけないから稼ぐ必要ある。

じゃあ稼ぐって結局どれぐらいかってなった時に、必要最低限でいいとなれば、全力傾けなくてもいいんじゃないかな。

必要最低限でも十分満足するサービスを提供できればいいと思う。

仕事に全力だしちゃうと仕事以外の時間で何もできなくなってしまう人もいるんじゃないかな。

しんどくなって仕事以外できなくなる方が辛い。

まあ仕事が生活の全て・自分の全てと思える人はそれでもいいんだろうけど、世の中そんなにたくさんの人がそこまで思ってないんじゃないかなと職場の人たちなんかを見ていると思う。

仕事はほどほどに仕事以外を充実させたい、みたいな。

多様性を認める時代なので、そこは認めて欲しいよなって思ってます。

多様性をー!っていうなら犯罪を犯したり、度を超えて他人に迷惑をかけるようなことがない限り、個人の主義主張はなんでもありみたいな世の中になったらいいのにな。

たぶんならんけど。

そうなったらそうなったらで若年世代の人たちも困ると思うなー

多様性って言い続けたら、その先は完全個人主義ってならないかな。

あなたの主張は認めます、だから責任はあなたが全て持ってね。みたいな

そうなっちゃうと、それはそれで辛い。

ちょうどいいって言うのは人間生きてる限りないんだろうなとようやく最近気づいた。

こちらを立てればあちらが立たずみたいなことなんだと思う。

ある人にはちょうど良くても、別の人にはちょうどよくないとなるとそこで軋轢が生まれ、先にちょうど良いと思ってた人が結局ちょうど良くなくなってくる。

エアコンの温度調整と同じような感じで、26度設定ぐらいがちょうど良いように感ているけど、それでは暑いって思う人もいるし、いやいや寒いよって言う人もいる。

そんな単純な話ではないかもしれないけど、おおよそこういう感じだと思ってる。

だから「ちょうどいい」というのは永久的に交わらない。

にも関わらず、僕は夕日にちょうどいいというコーヒー豆を売っている。

と言う話でした。