いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ゆっくりと書く練習

朝起きて、トイレに行って、パソコンの前に座る。

それが日課となっている。

文字で書くと当たり前のことで、何の変哲もない感じ。

でも僕にとってはすごく大事な時間となっている。

人によって大事にしていることは全く異なると思っている。

その時々によっても大事にしていることは変わるし。

だから何と言う話にはなるんだけど、なんとなく今大事という言葉を使て見たかったから連発してみただけ。

最近物事をのんびり考えられるようになってきている。

それもこれも毎日こうやってパソコンの前に座って、文章を書いているからだと思う。

こうやっているだけで、頭の中が整理されていくような気がする。

もちろん頭の使い方の勉強をした方が、もっとスマートに物事を考えることが出来るのだろうけど、僕はそういうのは苦手で、近道がなかなかできない。

近道をした方が時間的に余裕が生まれ、他にもたくさんことを考えることが出来るし、失敗も減ると思う。

それにスマートに考えた方が感情的に物事を考えることが減ってくるので、それも大きな利点だと思う。

世のため人のためにはそのようなものの考え方を身に付けた人が増える方がいいのだとは思うけど、どうも受け付けない。

思考パターンを身に付けた方が、生存確率は高まり、苦しみも減るような気もするけど、わざわざ勉強してまで、考え方を身に付けたくない。

いや、実際にはやりたいのかもしれないけど、考え方を人に教えてもらうと言うことは、その人の考え方が頭の中に入ってくるのではないかと思って、ちょっと怖い。

それにシステマチックに考えられるようになると、つまんなくなるのではないかとも考えていて、なんでもシステマチックだと、何でも分かってますよ的な感じになりそうでそれもなんとなく怖い。

仕事においてはそれがすごく重要だと言うのは既に気づいてはいたけど、そのまま置きっぱなしにしている。実はそれを回収しに行くのが嫌だから、やりたくないと言うことが実際のところではある。過去の自分のやり残したことを今勉強して、なぜあの時にやっておかなかったのかと後悔するこう言って、結構しんどいと思う。

と言いつつも最近は毎日そんなことを繰り返しているようにも思う、新しい知識が入ってくるたびに、その情報が結構前からあったと知った時になぜあの時知らなかったのかと後悔する。自分の勉強不足を悔やむ。

そうやってしか、前に進めないのかもしれないけど結構しんどい。

出来るだけそういうのを減らして生きて行きたいなと思っていたのに、最近はそんなことばかり。すごく初歩的なことを取りこぼし続けてきて今がある。おかげでのんきには暮らしていられたので、それはそれでよかったのかもしれない。

年数を重ねるにつれて、経験は増えるが知識は増えるかどうかはわからない。経験と知識は異なる。経験はあくまで経験であって、それが広く他の人に活用されるかと言うと実はそうではなくて、その人独自の処世術でしかないことがある。知識に関しては過去の様々な人が試して、残ってきたものになるから、広く多くの人に活用される形になっている。

結構異なるものだから、経験ばっかりが多くある人は新しいものに対しての免疫があまりないかもしれない。方向転換に手間取るかもしれない。僕は今そんな感じになっている、臨機応変さがあまりないように思う。経験だけで生きてきているから、都度知識を充填してこなかった。それも人生だと思って、受け入れるしかないのかな。

新しい何かを求めて、今から始めることだって十分にできる可能性もあるけど、どうだろうか。やっていけるかな、中途半端な経験があると、新しいことを始めて、0の状態に戻ることに対して結構抵抗感がある。0の苦しみを知っているだけに戻りたくはないと思うのが、人と言うものではないのかな。たぶん人が新しいものにチャレンジできないのはそこだけだと思う。そこを乗り越えられる人が、適応能力の高い、生きて行ける人だと思う。

振り返って考えてみると実は僕は適応能力が高いのかもしれないかもしれないと思う。散々違うと言っておいて何の話しやねんというツッコミが入るが、そういうところも大事だなと思っている。

結局はなにも書くことがないのに、文章を打つ練習をしてしまっている。

文章を打つことが楽しいのか、考えることが楽しいのかよく分からなくなっている。

今日は結構ゆっくりと短く区切ることなく書いているけど、意外といつもと変わらない速度で文章が書けている。

いつも焦って書いていたのが何だったのかと思うぐらいに書けている。おそらく手を早く動かすのはあまり意味がないのだなと理解できた。

手の動きの速さはごまかすための行為であり、速さを実現させるためのものではないのだと理解できた。

そうこうやって新しいことに気づくと、今までの自分は何だったのだろうとどうしても思ってしまう。

レベルアップしたのだと思えたなら、スムーズにいくのだろうけど、過去の自分の苦労を知ると素直に受け入れることが出来ない。

こういうところで、素直さが大事になってくるのだと改めて思う。

なんで?と思うことは大事なのだけど、なるほどそうかと素直に受け入れることが出来ると物事はもっとスムーズに進めることが出来る。

変化し続けられるのは素直さの象徴でもあると思う。

素直は最強の武器だと思う。素直であると言うことは後から身に付けられるものではない。これだけは言える。どれほどスキルを高めようと、素直さと言う部分はまず成長させることが出来ない。これは持って生まれたものであると思う。だから素直な人と言うのは強い、真似できるものではないから。

素直な人がうらやましい、僕はかなりのへそ曲がりの天邪鬼なので、損をすることが多い。

そう言う体質なんだと思う。そう思えたらまた別の方向に進むだけなので、案外時が楽になるものだ。

体質と言う言葉はすごくいい。今までと違う使い方にはなっているけど、今の僕にとってのお守りみたいな感じになってきている。

坂口恭平さんに感謝したい、性格ではなくて体質であると言ってくれてすごく楽になった。性格と言うのはちょっと窮屈な言葉だと思う。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。