いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

さよなら三十路、よろしく四十路

昨日ついに三十路が終わりました。

今日から四十路が始まります。

感慨深い。

 

三十路と聞くと、20代によく聞いていたケツメイシのケツノポリス4に収録されていた「三十路ボンバイエ」を思い出す。

 

歌詞に「まだまだ夢も捨てたもんじゃないし…」とあったから、

当時聞いていたぼくは、「そうか三十路って、20代に感じていた色鮮やかな世界に翳りが見えてくる時代なんか」と勝手に想像していた。

でも実際に三十路に足を踏み入れてみると、決してそんなことはなくて、20代の延長のような感じで特に何の変化もなかった。

それは四十路に足を踏み入れた今日も特には変わりはなくて、結局は延長戦をずっと続けてる。

延長戦というか、ずっと地続きにあるもんなので、特別区切ってどうのこうのという感じでもない。

感慨深いような気持ちになってたけど、特に変わりはないのが実際で、表面上の身体に変化があるだけで、内面は特に変化がないのが事実だと思う。

初老とか言われる年になってはいるし、外向けにはそんな風に話はするかもしれないけど、何も変わらない。

多分世の中の人も実はそうなんじゃないかと思っている。

世間体を気にして、「まあ俺も40代になったし」みたいな感じで、そのように振る舞っているのだと思う。

だからこそそれをあえて逆に行きたい、というか、今まで通りにやっていくということを死ぬまで続けていけばいいのではと思っている。

それこそが自分らしさなんじゃないかと。

まあこういうこと言うから拗らせてるんだろうと、生きづらさの根源がここにある。

世間体を上手に活用して、それっぽく振る舞う方が多分楽なんだろうなと思う時もあるけど、何となくそれが合わない。

合わないけど、らしさ全開で行くと結局乖離が生まれて疲れる。

それもこれも組織の中で生きているからなんだろうということも分かっている。

結局のところどっち付かずでやってきたから、今がある。

悲しき性ではあるが、そういう人間なんだろう。

人間っていいなって、日本昔ばなしのエンディングで流れてたけど、ほんまにそうか?

死の危険は常にあって、安住なんて絶対にない自然界で暮らす方がよっぽどいいんじゃないかと思う。

人付き合いが苦手な側からするとめんどくさいのが何より、空気読むとか読まないとかそんなこと自体がめんどくさい。

他者援助がないと生きられない、人間は1人じゃ生きていけないんだよとか言われるけど、それは人間だけじゃなくて、動物もそうでしょと中学生みたいな難癖をつけたくなる。

分かった顔して言うてくるけど、そんなことみんな分かってる。

分かってないやつたぶんおらん。

まあまあちょっとなんか変な方向に熱くなってきたので、この話題はとりあえず置いといて。

 

四十路だ。

四十路とはなんだろうか。

世間的にはどんな状態を表すのだろうか。

おそらく、これまでの四十年の間に酸いも甘い経験して、その経験を活かして世のため人のために生きて行こうみたいな、それこそ働き盛りの十年のことを表しているのではないかと思っている。

いやーそれは無理だなと既に諦めている。

なにしろ働きたくないというのが一番最上位にあるから。

働かざる者食うべからずとは言うけれども、やっぱり働くことに不向きな人はいると思う。働くってそんな簡単なことじゃない。

だから働きたくない。

まあまた思春期でてますけど、いやずっと思春期なんだと思う。

思春期の感受性を引きずっているからこそ、こんな文章がタラタラと書けるのだと自負している。

めんどくさいんだと思います。僕の性格が。

そのせいで人生半ばでまだこんなこと言ってるんだと思います。

恭平さんとこないだ話した時に95歳ぐらいで認められたらいいかなと思ってやってるって話してて、じゃあそれ見届けることにしようと決めたから、恭平さんが95歳になるあと50年後に生きてないとダメだとおもったので、僕はとりあえず91歳までは生きることにしようと思いました。

そうすれば、恭平さんが認められたことを確認して、それを噛み締めたまましばらく過ごして、あの世に行けるなと思ったので、後50年頑張って生きます。

ということで四十路は通過点でしかない。

という結論に至りました。

四十路、五十路、六十路、七十路、八十路と道を辿る旅は続きます。

以上四十路の入り口に立った今現在の思いでございました。

よろしく四十路

 

大丈夫きっとうまくいくよ。