いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

今ぐらいがちょうどいい

毎日朝起きて文章書いて仕事行って帰って来てゆっくりして寝る。

何の変哲もない日常。これが20代の時はすごく嫌で嫌で仕方がなかった。

父親の生活がこんな感じで飲みに行ったりせずに、仕事と家庭サービスだけで何が面白いんだろうと思ってた。

もっと刺激のある生活でないと暇すぎて死ぬんじゃないかなと思ってた。

もともと僕は落ち着きがないので、のんびりして過ごすのが苦手だった。だから余計にそう感じたのかもしれない。

のんびりの良さが分かってなかった。時間がもったいないと思ってたし、何も出来ないくせに人生とは何かを成す場所であって、無為に生きてはいけないと自己啓発本かなにかの影響を受けて、そんな甘酸っぱい思いで頭がいっぱいだった。

何かをしないといけない、何かを残さないといけない、自分が世界の中でも特別な人間であるかのように思っていた。それがしんどさの元凶であったということに20代の時は気づくことができずにただただ疲弊していった。

それは僕が悪いのではなく、世の中そういう雰囲気やったように感じる。ブログやSNSでやたらと成功事例を見せつけられ、君にもできる!みたいな言葉を良く目にしたように思う。

実際にはそんなことないのかもしれないけど、当時の僕にはそのような情報ばかりが目について焦りしかなかった。

焦れば焦るほど、なんでこんなこともできないんだとか、もっとできるはずなのに怠惰な自分ができないようにさせているとか。良く分からないことばかりを考えていた。そんな生活をしているとだんだん本当にしんどくなって、ついには仕事を辞めることになった。

幸い辞めることに対してそんなに抵抗はなかったし、辞める理由も色々とあったので良かった。もしあのままあの職場で仕事を続けていたら確実に精神病んでいたと思う。

そうならずに済んで本当に良かった。辞めるという決断だけは間違えずにできるというのは僕の自慢できる唯一の能力だと思う。自分の限界を早めに察知して、無理をしない。無理をしないということも僕に備えられた能力でもある。限界を超えない。限界を超えたとしてもそんなに成果は変わらないとインプットされているようで、30年以上生きているが、限界を突破したことが未だにない。限界があるのかもいまいちわからないし、そんなところまで頑張らなくても大丈夫だといつからか思えるようになった。

そもそも限界突破というのがなぜいいのかわからない。限界を超えたら人は壊れるので、限界突破したから今があると思っているような人がいるとするなら、それは嘘で限界っぽいところまでやったということであって、決して限界は超えてないはずで、もう一歩踏み出せというのも嘘で、もう一歩踏み出したら確実に崖から落ちるので辞めた方がいい。限界は限界なのであって、それ以上はない。ほどほどで止めておかないとしんどいし、突破したら回復に時間を要すし、最悪回復出来ないほどのダメージを受けることになると思うから辞めたほうがいい。なんでもほどほどに。身体のダメージはなくても、心のダメージって結構深く残り続けるからほんとうにほどほどにした方がい。

ほどほどは人によって違うから、同じように仕事をしていてもあの人はあれだけできているのになんで自分はあの人のように出来ないのだろうと思う必要はない。違って当然。能力が違うし、体力も違うし、精神力も違うし、見てるところも違う、意識が違う、生きている次元が違うなど、色々違うところが多くあるので、単純にやっていることだけで比較することなどできない。だから比較することに何の意味もないのだということをお知らせしたい。過去の自分に。

比較することが無駄であると早くみんなが知ればもっと楽になれるのに、ランキング形式で色々と発表するのを辞めて欲しい。順位をつけることにどのような意味があるというのか教えて欲しい。順位が高いほどそんなにいいのか。競争というのがそんなにもいいのか。スポーツは競争するのもだから競争したらいいと思うけど、それ以外に競争が必要なものあるのかな。わからんけど、競争しようと思うとしんどくなるので辞める。

しんどいことは基本的にしないというように脳の仕様を変更している最中なので、たまにしんどいことしがちだけど、基本的にはしない。

楽なように生きたい。それで何がいけないのかがわからない。楽しようとするなと怒られるけど、楽に生きて何が悪いのだろうか?理由を教えて欲しい。生まれてきたからには頑張らないといけないとかよくわからない。

頑張りが必要な場面が無ければないほど、人は幸せに生きられるように思う。生きるのに頑張りが必要な人はしんどい状況にある人じゃないかなと思う。

辛い経験から学びを得たとか言われることもあるけど、辛い経験がないと学びが無いわけでもない。幸せな経験からでも十分に学びを得ることはできる。

辛い経験が無い方が人はもっと幸せになれるお思うけどな。僕の考えは間違っているのかな。よくわからんけど、幸せに溢れる方が僕はいいのになと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。