いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

朝は気持ちいいというのを小さい時から知っていた。

今朝も最高に気持ちいい。

朝がこんなにも気持ちいいと感じるのは小学校以来か。

小学校の時はなぜか無駄に早起きして、誰もいない部屋で食卓に座って牛乳を飲むというのが至福だった。

母親は専業主婦だったので、基本家に誰もいない瞬間はなかった。

それは確かに幸せな環境だったのだと思うけど、誰もいないという非日常感が味わえて早起きが最高だった。

さらには早起きのままにすぐに家を出て、学校に誰もいない時間に到着して教室の鍵を開けるのもたまにやっていた。

その瞬間も最高だった。

いつもなら誰かいるのにその時間帯だけいないその瞬間が最高に気持ち良かった。

すごく静かなんですよね。

人がいるとあれほどガヤガヤしているのに人がいないと自然の音しかしない。

家のある場所は住宅地だったので、家が密集していたけど、そんな場所でも朝早くはほとんど音がしない。しても新聞配達のバイクの音だけ。

それがすごく気持ちが良かった。

そんな雰囲気を最近は毎朝感じている。

朝のこの時間が好きだったことを思い出した。

別に景色が見えるような家ではなかったけど、それでも虫とか鳥の鳴き声が良く聞こえてそれが気持ち良かった。それが僕の原風景かもしれない。

 

こんなこと書くつもりはなかったけど、急に小学校時代と言うのが思い出せたので書くしかなかった。

急に頭に出た言葉出すのがすごくいいと言うのは最近感じること。

別に大した発想でなくても言葉に出す、声に出すと言うことは大事なことなのだと最近感じる。

それは坂口恭平さんも言っていたような気がする。声にならない声を出す。だったかなんかそんな感じだったような。

その声が蓄積されてしまうと苦しくなるから。

ウンコが溜まるのと同じ現象。

ウンコが溜まりすぎるとお腹がパンパンに張って苦しくて、お腹が痛くなる。

それと同じで、声が溜まりすぎると頭がパンパンになって苦しくなる。頭が痛くなることもあるし、胸が苦しくなることもある。そんな状態にならないためには声を形にすることが大事だと言っていたような気がする。

形にするという行為が作ると言うこと。

何を作ってもいいようなことも言ってた気がする。

恭平さんはなんでもできるから、音楽作ったり、器作ったり、絵を描いたり、文章を書いたりしている。

今のところ僕はそんなに作りたいものがないので、文章を書くぐらいしかやってない。あとあるとしたら言葉的には変かもしれないけど、健康を作っている。いや、でもこれは作っているレベルにはならないか。行動としてやっているだけで、形になっているとは言い難いな。

なんか作りたいなとは思うけど、そのなんかがない。

子どもの時は色々と作っていた。

作っていたと言えるかわからないけど、とりあえずその辺にあるものをくっつけて何か形にしていた。

合体させるのが好きだったかもしれない。

ゴミとなるようなものを集めてくっつけて、なんか別のもの見えるようなものを作ると言うようなことしていたように思う。

まあ子供の考えられる範囲なのでそんな大したものはなかったかもしれないけど。

そんなんだったので、決められたプラモデルとか作るのは苦手だった。テキトーに出来ないから。つける順番があるし、つける場所も決まっている。作るものが明確だから当たり前と言えば当たり前なのだけど、たぶんそれが嫌だったのかもしれない。

というかプラモデルで販売しているものに作りたいものなどなかったのかもしれない。

それなのに作っていたからつまらなかったんだと思う。

ほっとけばゴミになる新聞紙とか紙コップとか紙箱とかそんなもので何か作っていたと思う。まあ記憶に残るようなものはたぶん作ってない。

 

そんな感じで文章を書いているかもしれない。

頭の中にある大した記憶でもないものを無理矢理組み合わせて、よくわからない文章を書いている。

行けてる人だったらそれをかっこいい文章に昇華させるんだろうけど、僕の場合は大したことない言葉を拾ってきて、大したことない文章を書いている。

それが僕にとってはちょうど良いのかもしれない。

成長ありきの人たちからしたらこいつ何言っているのて感じだと思うけど、僕にはそれがちょうどいい。

 

そう言えばさっきある人の文章を読んだのだけど、成長しか目的がない。成功しか人生に価値がないみたいな人の文章だったのだけど。

そんな人が僕のやっていることを見ると何を無駄な時間を過ごしているのだろうかと思うんだろうなとふと思った。

どんな生き方を選択しようといいと思うんだけど、成長至上主義の人たちからしたら僕みたいな存在はゴミレベルの人間なのだろうと思う。

まあそれはそれで別に構わない。

 

でもこれって僻みなんかな?

あの人は成長の話ばっかり語ってつまんないとか思ってんのかな。自分の中で。

でもつまんないとは思ってないしな。そこまで色々と考えられてすごいなと思っている。それが僕にもできるかと言うとできないなというだけの話であって、否定もしないし、肯定もしてないだけ。

 

他人の価値観がどうとか別にどうでもいいと思っている。

それを強要されるとしんどいけど、好きに言えばいいと思っている。

その意見を自分がどう感じるかだけで、違うと思えばその場から離れたらいいだけの話でアンチになる必要は全くないし。アンチやってる時間がもったいない。

それなのに世の中には一定するのアンチがいることに驚く。

まあでもアンチの人はアンチをすることが生きがいとなっているからそれはそれでいいのかな。

あんまり人のこと否定するのは嫌だけど、アンチの人だけは嫌かな。

叩くしかしないもんな。それって意味ないもん。

叩くぐらいなら、自分で違うこと考えてやった方がよっぽど楽しいと思うけどな。

まあでもどうやってアンチするかいうのを考えて、実行するのがその人にとっては生きがいと言うか楽しみなんだから仕方がないか。

 

好きなことを見つけるというのは色んなアプローチがあるなと感じる。

好き、楽しいと思えたらなんでもいいよな。

そう思う。

好きなことを早い時期に見つけられたらそれほど幸せなことはない。

生きている間にずっとそれが出来るんだから。

それしかなくてかわいそうとかないよな。それが好きなら別に他のこと知ってなくたっていいと思う。

 

朝から昔を思い出しました。朝は気持ちが良いからすっとする。

 

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。