今週のお題は「ページをめくる手が止まらないぜ」なんですね。
僕の文章もいつかそんな風に思われるようになればいいなと思っています。
僕の場合は、書く手がとまらないぜです。ひたすらに書けてます。
土日祝は仕事が休みなので、際限なく書いて見ようかなと思っています。
平日はやはり時間の縛りがあるので、時計を見ながらまだかけるかな?とちょっと時間を気にしながら書いています。
それを撤廃しようかなと思っています。とか言いながら、逆に時間の縛りが無くなったら途中で飽きていつもより短い文章になる可能性も十分あります。
だって人間だもの。あると言えばまあいっかってなるけど、無いとなれば執着する。そんなもんです。欲深く、あさましいものだと思っています。あ、他人さんは知りませんよ、あくまで僕という人間がということです。
際限なく書くと言ってもそんなに書くことがないのに、書けるのかなとも思っています。
いくら僕が独り言の名人とはいえ、そんなにたくさん書けるとは思わないのですが、とりあえず書いています。
書き始めはいつもこんなもんですよ。ラジオ番組の始まりだってそう、オープニングトークは特にテーマはなく、時間だけある程度決められて、自由に話をしています。所謂アイドリングですね。徐々にエンジンを温めて、テンションを上げて行きます。
僕もいつもそんな感じ。いや、そんな感じかな良く分からないけど、書きながら書くことを考えているという感じです。時間稼ぎをしながら、書いているんですね。
だから文字数が多くなっているのはこの前半部分のせいだと言っても過言ではないです。
いや、むしろこの前半部分で引っ張るから必要以上に文字数が多くなっているんだと思います。
でもそれがまた楽しいんですよね。仕事終わりに疲れて、特に残る理由もないけど、なんとなく残ったメンバーで話をすると言うやつに似ています。
そんな感じで僕の文章は続きます。なので中身が何もないんだと思っています。
他の人ってどうなんだろう?独り言言うのかな。
僕は結構運転している時なんかは独り言言ってます。
特に気持ちいい時はあ~気持ちいいな、最高やな。こんな日にはコーヒー飲みながらどっかこのまま仕事ほっといてドライブしたいな。ドライブと言えばうんぬんかんぬんと気持ちいい時ほど、どんどんと独り言が出てきます。
気持ちいい時って黙っていられないんですよね。あれなんですかね。あれ僕だけですか。すごく話したくなるんですよ。普段話をしないくせに。急に饒舌になるというか。自分でもちょっと引くぐらいに話をしている時があります。誰に話す訳でもないのにちょっとテンション上がって見たり。そんな感じで現在書いています。
書いているとどんどんとテンションが上がってくるので、全然違う方向、意図しない方向へと文章が転がってしまうのです。でもそれが楽しいから、別に何も気にしてないです。文章を書くのが好きな人ってそんなんじゃないと思うんですよね。書きたいことがあるから書くみたいな。むしろ使命感感じているのではないかなと思うんですよ。自分のこの思いを誰かに届けたい、いや届けなくてはいけない。みたいな。
でもそんな使命を持っている人なんてこの世に居るのかなと思っていて、別になんでもいいかなと思うから、こうやってアホみたいに書いている訳です。
前も書いたけど、あほだから何の構成もないし、意図もなく、使命もない、ただの独り言です。
でもこの時間が僕にとっては大事な最高の至福の時間となっています。この文章とかめっちゃあほな感じ出ていますね。
まあ自分を卑下しても何もならないのでこの辺にしておきます。
なんでこんなに書きたいのかなと思います。書きたいというか話をしたいのかなと思うんですが、たぶん普段話をしてないからだと思います。してないこともないけど、自由に話が出来ていないと言った方がいいのかな。そうでもないか。家では自由に話をして、妻を困らせているもんな。
どうしても僕が自由に話をすると相手を困らせてしまうから、ここに書いているのかもしれない。
相手のことを慮って話をすることが出来ないので、相手を不快にさせてしまうという思いから、普段は思っていることの5割も話せていないかもしれない。だからこれだけ毎日ここで話をているのだと思う。
話が全然変わるけど、仕事をしている時に発話が出来ない人がいて、筆談をしている人と、対応することがある。
元々は話ができたけど、病気の進行によって徐々に発声機能が失われてしまった。
付き合いが短いので、元々どれぐらいお話が好きな人だったかはまだ分からないのだけど、表情や身振り手振り、筆談で伝えようとする熱量からすると結構お話し好きの人だったんではないかと思っている。
そんな人が声を失ったらしんどいだろうなと思う。「あ」と発生するのは1秒もかからず。口を開けて声を出すだけで済むものを、思いついた言葉をペンを持ち、姿勢を変えて、ノートに手を伸ばし、「あ」と書く。もっと詳細に書けば、文字を書くまでに手順を踏まないといけないかもしれないけど、すごく煩わしく感じているのではないかなと思う。当たり前にコミュニケーションを取るということが、億劫になっても仕方ない状況でも、彼女は僕に思いを伝えてくれる。すごく有難いことだと思う。発話によるコミュニケーションより、多くの時間を要する。そのため、一つの質問でもテンポよく話が進まないけど、一生懸命伝えようとしてくれるので、その待っている時間もコミュニケーションを取っているような気がしている。大げさに言えば、手紙を待っている時のような気持。人と話をするのが好きな人が声を失うというのは大変なことだなとその時に感じる。
急になんか真面目なことを書いてしまった。
でも僕にもこんな気持ちがあると言うことを知れてよかったなと思う。
書いているとこういう発見があるから僕は好きなんだと思う。
ただ独り言を言うのではなくて、新たな発見があるのが書くこと。
書くことによって頭の中を整理できるのもいいし、自分で自分の頭の中を発見できるのがいいと思っている。
あーそんなこと感じてたのかというのは、表に出してみないと分からないことが多い。
頭の中には取り残された感覚や言葉があるようで、それは、うんうんとうなって考えても出てこないもので、人と話をしたり、身体を動かしたり、何か行動を起こして初めて気づけると言うことが頭の中にはあるのではないかと時々思う。
だからこうやって表に出すことが僕にとっては大事なようだ。
最近はずっとこうやって、書く理由を書いていることが多い。
なんでそんなこと書くのかなと自分でも不思議に思う。やっぱりやることに理由が欲しいのかな。
そんな感じでもないような気がする。
たぶん書くことがないのだろうと思う。
それでも毎日書いていて、今月も終わろうとしている。
自分との対話と言うのがすごく嫌だけど、こうやって書いているのは自分との対話かもしれない。
そう言う時間を取れることは贅沢だと誰かが言っていたような気がするけど、もしこれば贅沢というのであれば僕は毎日贅沢な時間を過ごせている。
だから最近は充実している感じがするのだと思う。
改めて振り返ったらそのようだ。
毎日早起きして、うんこして、文章書いて、日記書いて、ちょっと本読んで、朝ごはん食べて、TV見て、仕事行って、畑行って、飯食って、風呂入って、寝る。
こんなに充実した毎日を送れているは人生で初めてかもしれない。
思い描いた理想の毎日を送ることが出来ている。
こんな幸せはあるのかなと思う。
普通のサラリーマンでも幸せに過ごすことはできるのかと感動している。
僕は幸せになれる人はほんの一握りの上流階級だけだと思っていた。
お金に余裕のある人だけが、余裕のある時間の使い方が出来て、楽しく毎日が送れるのだと思っていたし、それが唯一の方法であると思っていた。
でも実際は違うようで、お金が中ぐらいあれば、いや中ぐらいもなくても、大丈夫。僕は中ぐらいもない。30代後半の平均より少ないはず。しらんけど。
お金がたくさんなくても十分に幸せな生活ができる。
毎日旅行に行くのが幸せだと思っていたけど、今は毎日旅行に行けてないのに幸せだ。幸せの形には色々あるし、それは同じ人間でも色んなパターンがよういされているということか。
僕にも幸せのパターンはいくつも用意されていて、現在のパターンも幸せの一つらしい。このパターンを今後もずっと使っていくことも可能だし、これじゃなくて別のパターンを使うこともできる。
一つの幸せの形を見つけられたので、ちょっと安心している。
だから別のパターンに挑戦してみて、ダメだったらまたこの形に戻すことが出来る。
パターン持っているって最強やな。これどんどん増やしていこうかな。
無限大に可能性広まるやん。
あ、もう十分今日は書くの満足したからこの辺にしておこう。
大丈夫、きっと上手くいくよ。