いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

テキトーにやって意味もないけどこれぐらいの分量はすぐに書けるようになった。

気付いたら6時前だった。

本を読んでたら遅くなった。

と言うことは今日は書く時間が限られているので、いつもほどは書けない。

どうせテキトーに書いているから別にいいか。

そう言う日があっても良いことにしているから、まあこの辺はだいたいで。

 

昨日は暑かった。

なんでこんなに暑いのかというぐらいに暑かった。

夏に戻った。立秋が過ぎ、処暑に到達したというのにやめてほしい。

おかげで夜はエアコン使いっぱなし。

あんまり好きではないけど、つけたまま寝た方が良いと睡眠の本にあったから、暑い日はつけっぱなしにしている。

つけっぱなしの時はもう少し布団が分厚い方が良いかも。

寒くて目が覚める時がある。

寒いと身体がだるくなるし、暑いと身体がだるくなる。

どちらにしろ身体はだるくなるのか不思議やな。

これは体温調節しているところが過度に働いていると言うことかな。

体温調節は主には自律神経が担っている。

そうか自律神経が頑張りすぎると身体はだるいという反応を示すのか。

なるほど。

ということはだるい時は何かしら自律神経にストレスが加わっていると言うこと。

過度な緊張の後に疲れるのも交感神経が過剰に興奮したから。

ダラダラ過ごした後に疲れるのも副交感神経が優位になりすぎたから。

たぶんそんな感じの捉え方がでいいのではないかと思う。

ということはどちらかに傾きすぎるのが良くない。

体調はシーソーと考えるのがいいのかもしれない。

いやヤジロベエの方がいいな。

どちらか一方に偏り過ぎると良くない。

上手くバランスを取ると言うこと。

バランスとよく使うけど、それはやっぱり使い勝手がいいから。

でもバランスって意外とよくわからない。

どことどこのバランスを良くした方が良いのか。

全方位的にバランスが良いのがもちろんいいのだろうけど、それは確実に無理。

でも自分の見ている世界だけでバランスを取るのは難しい。

たぶんそれはバランス取れてると思っているだけで実は取れていない。

そう言う時にこそ視座という考え方が必要になってくるのかな。

別の場所から自分を俯瞰するというのか、別の自分を作るというのか。

そういう視点がないとただのエゴになってしまう。

こんな風に考えるとめんどくさいなと思うけど、こういう訓練がないとバランスを崩す。

僕自身はもうすでに何かに尖って生きるというのは諦めているので、バランスを取れるようになりたいと思う。

例え小さい世界であっても全方位的にバランスが取れるようになりたい。

そうなると何がいいかというと自分が楽だから。

根本的には楽をしたい。

楽をするなら何かに秀でて尖るよりも、バランスよく生きる方が楽だと思っている。

だからバランスが取れるようになりたいと思うのだけど、これはこれで難しい。

どうにもバランスが取れない。

全方位を見ることが出来ていないからだと思う。

自分の見える世界だけでバランスを取るのは難しいような気がする。

第二、第三の目ぐらいがないとどうにも難しい。

それが他人の目と言うことになるのかな。

わからんけど。

他者からの評価ももらいながら、整合性を取っていくことでバランスが取れていくのかな。

よくわからんけど。

とりあえず時間がないからこれ以上かんがえるのやめよ。

どうせこのテーマについては考えても答えが出ないのわかってるし。

やめた。

 

今日も暑くなりそう。

今は窓の外には優しい朝焼けが見えて包み込んでくれるような感じやけど、昼頃には殺人的な光に変わっている。

そこまで変われるのかと思うぐらいに変わる。

人もそんな感じなんかな。

本質を見てないと変わったように見える場合もある。

太陽だった常にだいたい同じぐらいの光とか熱を放ってるけど、地球にそれが届いた時に暑かったり、そんなに暑くなかったり。それでありがたがられたり、疎まれたりしている。

いつもやっていることは同じなのに。

いつも同じことやってても捉えれ方によって大きく異なる。

それってなんかずるいような気もするけど、仕方ないのかな。

終わるつもりがまた変なこと考えてしまった。

ほんまにこれで終わりにしよう。

とりあえず殺人的な暑さにやられないように注意しながら今日も安全に一日をやりきろう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。