いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

論理構成など意識していない

いや、意味がわかってないと言った方が正しい。

論理の構成とはなんだろうとか考えたことがない。

公に開いている文章ではあるけど、必要性を感じたことがない。

メッセージを伝えるのであれば必要なのかもしれないけど。

ただ自分の頭の中に出てくる文章をわざわざ構成する必要もないかなと思っている。

すごく単純に出てくる文字を順番にここに並べているだけで、構成を考えたことはほとんどない。

誰かに伝えたいという思いがあれば、それは違うのかもしれない。

相手が誰かによって話し方を変える必要もあるかもしれない。

でもそれをしているとだんだんとこの表現はどうかとか、この文章の並びだと伝わりにくいかもとか、前提が違うからいきなりこれ言うと訳わからんくなるとか。

そんなことを延々と考えてないといけなくなる。

そうなると必然的に文字を入力する手は止まる。

それは本末転倒で、誰のためでもない自分のために書いている文章。

本当にプライベートなことを公に晒しているだけだから、読む人のことを全く意識していない。

だから語順がとかセンテンスがとかパラグラフがどうとかそういうのは全くわからないし、気にしない。

その内相手のことを気にして書くことが出てくるかもしれないけど、今のところはその辺は全くもって割愛している。

どうでも良いことになっている。

 

そもそもがそんな状態なので、読んでももらえるともちろん嬉しい。

でも読んでももらえなくても大丈夫。

ただただ文章をこうやって書きたいだけだから、なんともない。

好きにやっていることを他人に評価されなくてもなんともない。

最初は気にしてた時期もあったけど、坂口恭平さんが書いてあることを見て楽になった。

好きなことを好きなだけ書いていいんだから、こんな気持ちの良いことはない。

だから書ける。

構成なんかを気にしているとどうしようもない。

 

もしこれでこの文章で食っていくとなると状況は一変するかもしれない。

書くことがお金に直結するとたぶん手は止まる。

でも書くことがお金になって欲しいと言う思いも根底にあるのは事実でどうにかしてお金になって欲しい。

そう考えるといつの日にか読者のことを意識して書く必要がある。

その準備もしないといけないのはわかっているけど、まだその時期ではないとも思っている。

今はひたすらに思いのたけを叩きこむだけ。

まあさして強い思いというのは今のところなくて、自分を救済するために書いていると言うことが大半。

頭の中を空っぽにする作業であると言うことは再三言っている。

というか毎回書いているような気がする。

しつこいぐらいに書いている。関西弁で言うところのひつこいぐらいに書いている。

思いはないと言いつつもそこだけには思いはあるようで。

自分の解放のために文章を書いている。

ということはこれは今のところ自分へのメッセージでもあるのかもしれない。

自分を解放しろと言い続けているのかもしれない。

でも何から解放するのか。

これはもしかして尾崎豊の歌的な感じか?

卒業ですか?一体何からの卒業的な?

そんな青臭いこと言っていると恥ずかしいから一旦この話題から離れよう。

 

解放とか卒業とか言っていると何かに縛られているような気がするから。ちょっとださい。

別に何からも縛られてないし、いつでも自由に行動しているように思っている。

ノリと勢いだけで人生生きてきたと思っているので、縛られはしてない。

ただお腹がちょっと弱いだけ。

お腹が弱いと言うかストレスに弱いだけ。

そうデリケートなだけ。

そんな体質にも関わらず、ノリと勢いだけで生きてきた自分を称賛したい。

デリケートな人は同じ轍を踏まないように計画的に動いた方が良さそうなものの、僕はその道を選ばなかった。

手ぶらを良しとして、どんな状況であってもノリと勢いという半ば手ぶら間で砂漠を駆け巡ろうしている。

何の武器も持ってない。持とうともしてない。

武器があったとて何になるのだろうと思っている節さえある。

生まれてきたときは裸じゃないか。武器なんてももってない。

愛嬌だけで生きて来たんだからそのまま墓場まで行きましょうよって感じで。

 

こんなことを繰り返しているから僕は便秘と下痢を常に行ったり来たりしている。

わかっているけど、やめられない。これは体質なのだと割り切ることにした。

腸活だなんだと世の中は騒いでいるが、腸活以前の問題なので、腸活したところでベースが変わらないから便秘と下痢も中々変わらない。

本当に自分でもあほだなと思っているけど、それはそれで仕方がない。体質だから。

この体質を持ってどのような生き方が自分に合っているのかと言うことを探している最中。

ひたすら模索を続けている。

これは自分探しなどという眩しいものではない。

泥水をすすりながらも前に進んでいかないといけいない中年ちょっと前の男の哀愁漂う冒険だ。

この先に明るい未来などあるのだろうかと思いつつもノリと勢いだけで生きて行くと決断したんだから、こんな滑稽なことはない。滑稽すぎて誰も指摘できない、周囲はただ冷めた目で僕を見ているしかできない。

でもそれがいいのではないかと思っている。

あの人はちょっと頭がおかしと思われているぐらいがちょうどいい。

だってそうなればちょっとでもまともなことをしたら褒められるから。

どんなポジションで生きていくのかというのは非常に重要だと思っている。

ポジションが自分の体質に合っていれば人は楽に生きられる。

ただそれだけだと思っている。

それはポジションに高い低いとかがある訳ではなくて、特性があるだけ。場所が違うだけ。

そこをいかに見つけていくのかと言うのが僕の人生らしい。

それをどうやって早く見つけるのかと言うこと人に伝えられるとちょっとは役にたてるのかもしれないと今少し思った。

でもそれが具体的にはどのようなことなのかはいまいちわかっていない。

わかる必要もないのかもしれない。

伝え方も僕の体質に合ったものでないと窮屈になるから。

自分に合ったものをひたすら発見していくことが大事になるのかな。

今のところこの書き方が僕には合っている。

ひたすらキーボードを叩き続けるというスタイル。

今日はなんだか手が重いな。

なので今日はここまで。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。