いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

満足してなくはない

パソコンの不良より立ち上がりまで20分を要した。

せっかく早起きしているのに意味ない。

予期せぬことは起きるものだという訓示なのかなんなのか。

パソコンの寿命が迫っているのか。このパソコンを使い始めて7年ぐらい経つ。

今まで使っていたパソコンの中でもっとも寿命が長いように思う。

だからなんだという話だけど。なんかどうしても書きたかったので書いておいた。

別に何を書いてもいいから気にせずに書いている。

とりあえず頭の中にあるものを全部吐き出さないと、頭がすぐにマンパンになるので書いている。

パソコンにこだわりはなくて、全くの素人。

インターネットに接続できればそれでよい。特にスペックがどうとかそんなことは全く考えていない。だからなんでもいいのだけど、起動が早く、打ちやすいパソコンが欲しい。

でもつい最近iPhoneを5年ぶりぐらいに買い替えたからもはや手元にお金はない。

新たにパソコンを買い替える余裕は僕の財布にはない訳で見送る他に選択肢はない。

仕方ののないことだ。

お金がないということはそういうこと。物の面で不自由をするということ。

そうなると希望が叶わないとから心も不自由することになる。

じゃあお金はやっぱり物心両面においてかけがえのないものだなと思う。

結局はそう。

お金が全てとは言わないが、お金はいくらあっても邪魔にならない。

もっとお金が欲しいとは思わないが、もっとお金があってもいいのになとは思う。

欲の塊と言えばそれまでだけど、そう思わずにはいられない。

だって今の生活をしていくためにはお金がないと成り立たないから。

お金があるからこそ、こうやって文字を入力することができるし、ウェブ上でこの駄文を公開することもできる。

今坐っている椅子もパソコンを載せている机も全てお金を払って購入したものである。

だから結局はお金から離れることはできない。

もちろんどれも自作できればお金はそんなにかからないかもしれないが、0にはできない。原材料だけは自分で採取することは難しい。そこにはどうやってもお金がかかる。

ただインターネットに接続することを辞めることが出来れば、お金は0にできる。

インターネットに接続するために僕は生きているのだということがわかった。

リアルネットを全く持っていない。

人と繋がれる部分が今全くないことに気づいた。

今住んでいる地域でリアルに繋がれる場所がない。

それは生きる上ですごく脆弱なのではないかと思う。

情報を得られる場所がないというのは結構危なくないか?と思う。

でもめんどくさいからそれはいいかとも思う。

あまり得意でないことを無理にすると疲れるから、リアルネットワークはその時になったら。必要になったら構築すれば良いと言うことにしよう。

苦手なことは後回しにするのが僕の人生の最適解であって、優先順位としては非常に低い。

克服するために時間を割くよりも楽しいことに時間を割く方が圧倒的に良いと人生で学んだ。

子どもの時は苦手を克服するために色々と練習をしたような気がする。

いや、そうか?そんなに強制されたことそんなにないかも。

むしろ、子どもの時の記憶をほとんど思い出せない。どんな教育を受けていたのだろうか。

出来事はある程度思い出せても日々の中でのこと、特に家の中で起きたことに関してはほとんど覚えがない。むしろ消去されている可能性が高い。

だから僕は今こうやってここで生きられているのかもしれない。

記憶が残りすぎることも善し悪しだなと思う。

もしかしたら楽しい記憶まで喪失している可能性はあるかもしれないが、現状が満足できるものなら、過去がどうとかどうでもいいような気もする。

どうでもよいというとそれは極端かもしれないが、しっかりと振り返って見ようとしなくてもいいのかもしれない。

現状が満足できているからこその思考かもしれない。

とすると現状が満足できるような行動を選択することが過去も未来も自分の満足できるようなことが起きるのかもしれない。

じゃあ過去がどうとか未来がどうではなくて、今どうしたいかということにやっぱり目を向けることが大事なような気がする。

過去の事実は変わらないが捉え方は変えられる、未来に関してはその未来に居る時にどう考えるかだから今どうのうのこうと言っても仕方がない、ではやっぱり今どうしたしたいか、将来が不安だとかどうとかそんな話ではなく、今が楽しいかどうかただそれだけ。

だから今僕は結構毎日満足できているから、来年とか5年後とか10年後とかそんなに深く考えなくてもいいような気がする。

毎日が楽しく満足出来ているなら、きっと来年も楽しく満足できる。そう思って毎日生きたらいいかなと思っている。

何の話からこんな展開になったのか良く分からないけど、僕は現状結構満足して生きているということは言える。

まあそんなもんでいいのでは。

完ぺきはないから、そこを求めてもどうしようもない。

本音のところでは完ぺきを求めたいし、もっともっと良くなりたいというのはある。

でも今の僕のやり方では完ぺきも良くなるのも難しい。

どこかでやり方を変えるという選択を取らないと変わらない。

それはわかっている。いつまでも先延ばしにしているのは良くないと。

でも現状で満足してしまっているから、変えるのは結構体力がいる。

満足出来てない人だったら、そこに注力することは可能だろうとは思う。

描く未来によって、今の働き方が変わる。

そういう意味で未来を描くことも大事なんだろう。

未来の描き方で今の現状が満足できるかどうかが変わってくる。

だから恭平さんは未来ではなく、将来の現実を書くことをオススメしているのだなとわかった。

将来の現実どんなんがいいのか。

もっかい考えよ。

現実も満足しているけど、もっと楽しくてもいいかも。

のんびりやっていくことが今僕には合っているから、年数かかること前提で取り掛かろうと思う。道のりは長いな。でも87歳まであと50年か。短いのか長いのかよくわからんけど。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。